第9場 灯篭の移り火
モニカが新しく水盤を出す。
先ほど、ここ『基地』の前で広げたものと同一だ。
一箇所に集う四つの駒と、二つ通りを隔てたところでカンパネラ駅の方面へ向かう一つの駒。
「アスカ、役者の数は? 」
モニカが訊いた。
アスカが五つの駒のうち、一つだけ離れた場所にある駒を指す。
「今の所、確認できているのはカルさん一人のみです」
——役者とは、カルのことだと。
カルは役者だなのと。
アスカは言った。
「身元はセドがシェリーさんから預かった弟弟子のカルさんで間違いありません」
「うっせ悪かったな! 」
露骨に当てつけがましいアスカの物言いにセドがコンマ零秒の速さで悪態をついた。
当のアスカはどこ吹く風だ。
「別にセドのせいではなく……。影灼領域は自然災害ですから仕方ないのでは」
「あらあらあら〜シェリーさんの弟弟子をむざむざ影灼領域に〜しかも役者になっちゃったなんて〜これは大変だわ〜気合い入れて早期解決しなきゃ〜」
モニカの痛いところを的確に刺していく愉快な言葉の棘に、セドがぐぬぬぬぬと唸っている。
まるで抑圧された猛犬だ。
ね、アスカ、とモニカが振れば、
「はい。大変なことになってますね。身柄危険度も高にしてありますし」
と言葉多めに肯定する。
洒落にならない。
アスカにまで敵にまわられたセドは、
「あいつだって五星院の学生だろうが」
あながち素人ってワケでもねーだろ、などと口の中でもごもごと言うしかない。
「アスカ、カルくんの役への『共鳴指数』はまだ軽度なんだって? 」
「はい。錯乱も見られません。一緒に居る属性術師の影響もあるかと」
「同行者、ねえ」
トレントは報告書にある『同行者』の欄を見た。
「観劇者で、職は『夢売り』か。またグレーな……」
「でも、フラウトの委託業者の一覧に載っておりました」
「だからって、安心安全なお人柄ってェ訳じゃねえだろが。——まあカルにとっちゃあ、今回は不幸中の幸いだったかもしれねぇけど」
セドが言った。
「カルって奴、属性術師じゃねえんだろ。なら夢売りってのは影灼領域が仕事場なんだ。影灼領域には誰より慣れてる」
夢売り。
影灼領域のあちこちに落ちている、記憶針の削り滓を加工し、『夢』と呼ばれる玩具を作る者。
セドは腰を上げた。
「同行者の交渉には俺が行く」
「ありがと。じゃあ、カル君の保護はセドに一任しよう」
「おう。で、アスカ。夢売りの名前は? 」
セドが新しい煙草を咥える。
アスカが委託業者一覧を手繰る。
「登録番号イチマルヨンハチ、夢売りのジャックです」
「………は? 」
ポロ、と煙草がセドの手から落ちた。
「あぶなっ——あ、火ついてない」
とっさにトレントが空中で煙草を受け止める。
「ちょっとセド、危ないでしょうが——」
「おい待て、アスカ、登録簿寄越せ」
アスカの手から資料を奪うように手に取った。
「白い髪に橙色の毛先染め、顔の背丈も一致してます」
「確かにこのジャックだったんだな……ったく、まためんどくせえやつに——」
ふ、とセドの言葉が途切れた。
「……おいアスカ。お前、カルに『蛇姫』憑けてたよな」
「? はい。それがどうかしましたか」
蛇姫。
アスカの属性術。
他人に使い魔を付ける。
その使い魔は、アスカ自身と直接つながっているため、もし遡られたら真っ先に攻撃を受けるのは——。
セドが息を飲んだ。
「——っアスカ、こい! 」
がッ、とアスカの左腕を掴む。
引きずるように部屋を横断する。
「ちょっとなに——」
まろぶように付いていくアスカ。
思わず他二人も椅子から腰を上げている。
セドの顔には、鬼気迫るものがあった。
「『蛇姫』だ! カルに憑けてんだろ、
アスカのけぶるような睫毛が鼓動した。
その瞬間。
トレントが悲鳴に近い声をあげた。
「——! アスカ! 」
すい、と。
アスカの背後に蛇が出た。
セドが舌打ちをした。
「ジャック……やっばり遡ってきたか——……っ! 」
黒い蛇がそこに居た。
その蛇の鱗が。
——燃えている。
「アスカ! 蛇を切り離せ! カルの位置を探るのは諦めろ! 」
セドが言った。
「そうじゃねえと、お前の属性基盤まで焼き切られるぞ! 」
「——っ」
アスカが顔を歪める。
「蛇姫……『
バチッと何かが焼き切れるような匂いがした。
火を纏った蛇がぽとりと落ちる。
「転移させる! 」
セドが蛇に向かって石を投げた。
ぽう、と光った瞬間。
「『転移』! 」
幾何学模様の魔法陣が石から広がる。
檻のように蛇を包み込んだ。
その同時刻。
街の外れ、影灼領域の端。
同じ魔法陣が開かれた。
ぼとり、と何かが落ちる。
蛇だ。
身を焦がす蛇が、まるで炭のように崩れていく。
この蛇はそもそもアスカの属性術。
術という概念に似たモノを、カタチとして保っていた
じゅ……。
と小言のような断末魔をあげて、燃えかすが雪の上に瓦解した。
誰もいない裏路地の暗がりで、ほのかな属性の香りを残して炎が消える。
「——よし」
『移転先』で炎が消えたのを確認して、セドはアスカの腕を離した。
魔法陣の青い微光が霧散する。
——間一髪だった。
アスカが自分の腕から臨時的な使い魔『蛇姫』を切り離すと同時に、セドが蛇ごと結界の外へ空間移転させた。
「モニカ、『
トレントがモニカを振り返った。
「ジャックの匂いを追跡するなら今しかない! 」
モニカの灰色の瞳が。
青い燐光を宿す。
「領域全域に網を張るまで、あと少し! 」
モニカは窓から微動だにしない。
トレントは机に駆け寄り『天水盤』を覗き込んだ。
(くそっ)
舌打ちしたくなるのを寸でのところで堪える。
盤上に駒は四つしかない。
カルの駒が消えている。
(ジャックに潰されたか)
一つの駒の砕けた破片が、カンパネラ駅の近くの本屋に転がっている。
役者——カルに付けた発信器である『口づけ』が消されたのだ。
(保護対象な上に、重要な参考人でもあるってのに! )
アスカを見ると、腕をさすっていた。
トレントは唇を噛んだ。
アスカの術を辿られたのだ。
トレントらが基地と定めたこの家の周りには、セドの張った結界があったにも関らず。
結界は専売特許の土属性術師であるセドの張ったもの。
加えて彼の魔法陣の腕は若いながらも熟達している。
トレントはセドの魔法陣に関する能力を、身内であることを差し引いても高いと感じているのだ。
並みの属性術師には突破できない。
いくらアスカと直接繋がっている『蛇姫』を——属性力の通り道をたどったといえど。
そんな芸当が出来るのは、相当レベルの高い属性術師のみ。
(『化け燈籠』のジャック、か)
ただの夢売りではない。
名前が出た時のセドの反応も妙だ。
(一体、何者なんだ)
——一方その頃。
カルは本屋に居た。
扉のベルが鳴る。
うだるような暖炉の効いた店内。
一筋這入ってきた雪の呼気にカルが振り返る。
ジャックが本屋の戸口に立っていた。
「どうされたんですか? 」
本棚のビル街の隙間からカルの姿を見つけたジャックが、器用に肩の雪を払いながらやってきた。
虫が付いてる、とカルの肩から摘み出したその足で、ジャックが本屋の表へ消えてから数分が経っていた。
「蛇を捕まえようとしたら噛まれてしまったんだ」
「ええ!? 」
「小さな可愛い貴婦人だと思ったんだけどね。その実、毒蛇だったよ」
「ど、毒ヘビに噛まれたってやばく無いですか」
「やばいね」
のほほんと呑気にそう言うジャックに、カルは返す言葉も無く本を抱えたまま固まった。
***
モニカが息をついた。
「だめね。遮断されてる。全く匂いがしないわ」
領域内を自由に移動する『天船』。
その応用、網を張るように知覚の手を伸ばし、探索する『渡り』と呼んでいる術でニカは影灼領域内を探索した。
トレントは唇を噛んだ。
「アスカ、『術式基盤』は。無事? 」
「はい。蛇姫をすぐに解除しましたので」
彼女の答えに、トレントはひとまず胸を撫で下ろした。
(モニカの『口付け』は消された。アスカの『蛇姫』も気づかれた)
追跡は不可。
——失敗だ。
(術式を遡られたのに、アスカが無事だっただけでも御の字だ)
トレントはそう考えた。
「モニカ、何か手がかりは? 」
「私の『口づけ』の残り香があるから、役者の方は本屋にまだいるかもしれなけど……」
モニカの気遣わしげな視線。
「いいよ。今は足がない」
遠隔的な追跡はモニカの仕事だ。
しかし、こういう時に最も頼りになる
アスカはトレント班の足そのものだ。
(クソ、まんまと足止めを食らった! )
トレント班の構成員。
その役割。
ジャックは知っていたのだろうか。
それとも偶然なのか。
窓にアスカがひらりと飛び乗る。
トレントはぎょっとした。
「アスカ! 何を、」
「トレント、行きます」
アスカの黒髪が雪風になびく。
「これは私の仕事でしょう」
「何言ってるんだ! 」
トレントはアスカの腕を掴んだ。
「君は属性基盤を破壊されかけたんだぞ! そんな奴を向かわせられるか! 」
『蛇姫』はアスカの生成物である黒蛇と、彼女自身が繋がった属性術。
その黒蛇を遡り燃やされる。
即ち、術者が自分の属性力を操作する為の『術式基盤』を破壊されるに至ると同義。
もし術式基盤を壊されでもしたら、術者は一生、属性術は使えない。
それだけじゃない。
運が悪ければ、一般人が一般的な日常を送る為に必要な『共鳴』さえも。
「大丈夫ですよ、トレント。本当に。『蛇姫』をすぐに
「でも——」
「トレント。私を、
今この瞬間は、アスカの存在と彼女の足が物を言う。
トレントは腕を離した。
「——駒が壊れた場所は本屋だ。役者がその付近にいる可能性は高い。夢売りを避けて、役者を保護して」
「
アスカが窓を開ける。ひらりと猫のように窓のヘリにしなやかな足がかかる。
「おい! 」
セドが机の上にあった黒い石を投げる。
「忘れてました。ありがとうございます」
受け取った伝晶石を腕輪に変化させると、
ふ、と。
うたかたの蝶のように、アスカの姿は消えていた。
「基地の結界は? 」
「こっちの位置まではバレてねえと思うぜ。基地の結界は第一防壁までは侵入されかけたが、途中で『蛇姫』の侵入だけに切り替えたっぽいな」
セドが結界を調べながら言う。
落ち着いているようで、その目はぎらぎらと鋭い光を宿している。
自分の結界が突破されたのだ。
平常心ではいられないのだろう。
それが自分の得意分野であれば、なおさら。
モニカの『口づけ』の解除。
アスカの『蛇姫』の察知と遡行攻撃。
セドの結界を突破したことも加えると、ジャックという夢売りは相当な術者だ。
「セド。あの夢売りは何者なの? 」
セドの咄嗟の判断がなければ、今頃アスカの術式基盤がどうなっていたか。
想像するも恐ろしい。
「あいつはジャック、夢専門店『化燈籠』の夢売りだ。同時に影灼領域の観劇者。俺は何度か会ったことがあるが……」
セドの苦い顔から、あまりいい印象ではないようだ。
——影灼領域に現れる様は正に神出鬼没。
誰も彼の正体を知らない。
『化燈籠』という店を経営しているとはいえ、逆に言えばそれ以外彼の挙動を知るものは誰一人としていない。
そうかと思えば、世の中を騒がす悪事の場に必ず顔を出す、生来の野次馬。
それがジャックという男。
「あいつは年中、数多の影灼領域に入っている。なのに一度も役者になった気配が無いし、精神に異常をきたしたこともない」
要は評判の夢売りなのだ。
だが。
「あら変ね」
「なるほど、異常だね」
「そうだろ」
二人の反応にセドが頷く。
影灼領域とは訓練を受けたフラウトの構成員でも厄介な場所だ。
訓練だけじゃない。
領域用の専門道具もその一つ。
フラウトが年月をかけ、構成員達の辛苦と経験を吸った術式展開装置たち。
それだけやっても、領対でさえ、十分に気を付けなければ影灼領域に飲み込まれる。
素人であればいわんや。
(正体不明、言動不審の、力ある属性術師、か……)
厄介なことになったな。
「モニカ、『渡り』は続行してくれ」
「わかったわ」
リーダーのトレントは荷物を纏め始めた。
「セド、基地を別のところに組み直して貰える」
「わかった。時計塔でいいか」
「オーケー」
整理も誰彼の物も無く全てを詰め込みトランクを閉めると、トレントは立ち上がった。
「——早急に
領域からではない。
「手遅れになる前にだ! 」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます