第8場 領対の作戦会議

 木の扉を軽くノックする。

 扉の向こうは静かだ。

 トレントは首を傾げた。

「あれ? 誰もいないみたい」

 もう一回扉を叩く。

 中に人間の気配がない。

「モニカ、今回の『基地』って此処であってるよね」

「そのはずよ」

 モニカが家の軒下の雪に銀色の石を置いた。

 指の先で石の周りに簡単な模様を描いていく。

 す、と模様の上に、白い手を乗せると。

「『天水盤』、開帳」

 石がぐにゃりと溶ける。

 ふるふると身震いしながら薄い円状に広がった。

 水盤だ。

 水面に幾何学模様が浮き上がる。

 それは地図だった。

「トレント。やっぱり、集合場所はここであってるみたい」

の現在位置は? 」

 水盤の地図から溢れたように銀色の駒が出現した。

 全部で四つ。

 寄り添う三つの駒と、近づいてくる一つ。

「セドはこちらに向かってるところね」

 モニカが近づいてくる駒を指す。

「でも変ねえ、アスカの駒は私たちの近くに——あら? 」

 モニカの目が瞠られた。

「どうしたの? 」

「駒が増えたわ」

 寄り添う三つの駒から遠く離れた場所に、一つ。

 新たに銀色の駒が現れた。

「標的の駒です」

 滑り込む涼風のような声がした。

 雪の上、墨を一滴滲ませたような影。

「アスカ」

 トレントが声を上げた。

「遅くなってごめん」

「いえ」

 ——モニカの『天水盤』は『発信器』を付けた人間の位置を駒に見立てて地図上に表示する。

 地図が小さかったから、近くにいたアスカと自分たちの駒が重なって見えたようだ。


 アスカは黒檀のような瞳に、モニカの天水盤を写した。

「先ほど、『役者候補標的』に『口付けて』参りました」

 モニカの発振器を——24番目の被害者に付けてきたのだという。

「新しく出来た駒は彼のものなのね」

「はい。念には念をと思い、私の『蛇姫』も憑けておきました」

 完璧よ、とモニカが笑む。

 トレントはアスカに訊いた。

「『蛇姫』って——蛇の形をした使い魔だっけ」

「はい。あれは私と直接繋がっていますから、なんでも手に取るようにわかります」

「遡られないように注意してね。術師と直接繋がる属性術はそれだけ精密な情報を得られるけど、から……」

「勿論です。気がつかれないことに関しては、私は結構得意だと思っていますよ」

「そりゃそうだ」


 ぬらりと水盤の上に影が這った。

「やっと来たか」

 紫煙と共に低い声が落ちてきた。

 タバコを咥えた背の高い男。

 鷲を思わせる鋭い眼光。

「セド! 」

 トレントは男の姿に、当初の目的を思い出した。

「セドが作った『基地』ってどこ? 」

 フラウトの領対たちは、影灼利用行きに入るとまず『基地』を作る。

 要は活動のための拠点だ。

 しかし伝えられた場所にある家の扉を叩けども応答は無し。

 トレントとモニカは、それで途方に暮れてたのだった。

「……」

 セドと呼ばれた男はトレントの呼びかけに返事もせず、ずかずかと傍の家へ向かった。

 先程トレントが叩いた木の扉にそのまま足を踏み入れる。

 そして。

 ぬるり、と。

 セドの体は、扉を霧の如くに素通りした。

 その様子を見たトレントはがくりとうなだれた。

「それ、扉じゃなくって結界だったのかぁ」

 扉の姿をした結界。

 通り方を知っており、なおかつ許可された人間のみを通す篩。

 普通の扉だと思ってノックしたり、ノブを回してはいけなかったのだ。


 うなだれるトレントのトランクを手に、

「昼食は何か作りましょう」

 とアスカが提案する。

 白い雪を滑る風がアスカの長い黒髪をふわりと巻き上げた。

 焼きたてのパンの香りが鼻腔をくすぐる。

「あら、その紙袋の中身、フランスパンね? 」

「そうです。生成物ですけど、何も無いよりましですから」

 アスカの発言に、トレントは持ち込んだトランクを叩いた。

「ちゃんと食料は持ってきたよ」

 アスカとセドは影灼領域に入った際、食料を持ち込まなかった。

 急な出動要請で準備の暇もなかったからだ。

 昼時になってもトレントたちが来ない為、自分たちで調達しようと思ったのだろう。

 トレントなどは、緊急事態でない限り、生成物で出来た食物を口にするのはやはり気が引ける。

 毒ではないどころか味も変わらないが、トレントにはどこか、味が無機質に感じられるのだ。

 気持ちの問題だということはわかっているのだけれど。


 セドの作った『基地』に、今回の領域対策に派遣されたメンバーが集合した。

 フラウト影灼領域対策部トレント班。

 本格稼働である。


***


「さて。みんな集まったことだし、会議を始めよう」

 大きなテーブルを前に、四人それぞれがそれぞれの体で着く。

「そういえば、アリスは? 」

 トレントは五人目の班員の名を呼んだ。

 アスカ、セドと共に領域に入ったはずだ。

「中におりますが」

 アスカが胸に手を置く。

「呼びますか」

「ううん、。——じゃ、まずは影灼領域の概要から」


 モニカがコップに汲んだ雪解け水を指に染め、文様を描いた。

 机に天水盤が広がる。

 アスカが自分の懐から出した黒い石をその上に置いた。

 次の瞬間、水面に幾何学模様が奔る。

 店、大通り、公園。

 精密な地図が天水盤に浮かび上がる。

「こちらがこの度の影灼領域内見取り図になります」

 アスカが地図を示した。

 トレント、モニカに先んじてセドと領域に入っていたアスカは、領域内をくまなく走りこの簡易地図を作成した。

 アスカの描いた地図は簡易とはいえ、これから領域内を巡ることになるトレントたちにとって、十分な情報量を備えている。


 地図は綺麗な円型の内に収まっていた。

 北八三区の特徴的な地形である。

「基礎データ、構造解析レベルは参照の通りです」

 アスカが水盤に手を触れると、水面がじわりと揺れて、地図と別に新たな枠が浮き出た。

 ずらりと並ぶ数字と文字。

 地図と同時にアスカがまとめた、表の一覧だ。


 トレントは自分の胸ポケットから紫色の石を取り出した。

 机の上に広げた水盤は大きい。

 とはいえ、表ともなれば自分の手元で見た方が見やすい。

 トレントは石に自分の属性力を流した。

 掌の中で紫色の石がぐにゃりと揺れ、板状に広がる。

 属性力は個人によって波長が違う。

 トレントは紫色の石に、アスカは黒の石にそれぞれの属性力が記録され、同一の属性力の時のみこの『伝水晶』は起動する。

 天水盤も伝水晶も、モニカの作った通信及び情報蓄積の道具だ。

 属性は水属性。

 彼女の『天水盤』から生み出された『伝水晶』は、自らの水面に映したモノを取り込み、『伝水晶』間で情報を共有させる。


 トレントはふむふむと表の内容を読んだ。

「舞台総合レベルはA+、敷地面積は中か。ここに来る時に建物とか見てきたけどさ、再現度すごいよね」

 フラウト本部に勤務する彼らにとって北八三区はご近所だ。

 全く知らないわけではない。

「セドは市場の人達のことわかるよね」

 トレントはセドに話を振った。

 彼の交友関係、顔の広さはちょっとすごい。

「彼らの再現度は? 」

「市場の奴らなんざ、ほぼそのまんまだぜ」

 やはりと言うべきか。

 セドは市場の人間たちを知っていた。

「市場のご本人が領域に吸い込まれでもすりゃあ、ドッペルゲンガーに会ったってんでそりゃ腰も抜けるわな」

 実際、先ほど保護された一般人二十三名の中には、北八三区の八百屋の店主がいたのだ。

 可愛そうなことに。

「偶に知らねえ顔が混ざってたり、居るはずの奴が居ねえってェ店もあるけどな。ま、誤差の範囲だ」

 まこと、セドという人間は、仏頂面で目つきも口も態度も悪いくせに、何故か行く先、行く先、知り合いだらけの不思議な男だ。


 兎に角、今回の影灼領域精密だ。

 セドはそう言って姿勢を正した。

「アスカに地図貰ってからは領域の端の方も行ってみた」

「どうだった? 」

「全く精度が落ちてねェ。よく作られすぎてるぜ、この領域」

 影灼領域とて舞台造りには限界がある。

 記憶の再生に使わない場所があれば、手抜きをするのが普通なのに。

「人数量もかなり多いよね」

 トレントは人形の数に眉をひそめた。

 市場だけではない。

 カフェに、街の住人、通行人──。

 これだけの数の人形を作るだけでも大掛かりなのに、一度に動かしているとなると。

 今回の影灼領域は一体、どれほどの力を秘めているのか。


 トレントはセドとアスカ、二人の作った報告書の、二つの疑問点に目を止めていた。

 ひとつは時間帯について。

 時間帯は午前八時で止まっている。

 それはわかる。

「なら、どうして君たちは、この領域の記憶がと判断したの? 」

 時間帯も舞台美術に必要な要素。

 そこから動きがないなら、これは午前八時の記憶なのだ。

 そう考えるのが普通なのに。

「市場はいい。あいつらの仕時間帯は朝早いんだから、午前八時にゃもう開いてるよ。だが商店や人物の行動は違う。どの店も開いてるし、がっつりステーキ食べてるおっさんもいる」

 酒飲みもいれば、ベッドで絵本を読んでる子供と両親、なんて家もあるくらいだ。

「どう見ても午前八時だけの記憶じゃねえ。色んな時間帯の記憶が混ざってる」

 なるほど、とトレントは合点した。

「記憶の丈そのものが長い可能性も捨てきれない、か」

 再生される記憶の丈が長ければ、それだけ舞台の気温、景色、人間の行動にも移り変わりが出てくる。

 ──とすれば、今の状況はこうだ。

 違う時間の行動が、断片的に再現されている。

 それが同時に再生されている状態。

 時間帯が午前八時だったのは、『天候』という舞台装置も皆に倣っていたからだ。

 午前八時という断片的な記憶を、再現しただけ。

「なるほど、わかったよ。──もう一つ聞きたい」


 トレントはもう一つの疑問点に眉を寄せた。

「セド、アスカ、これはどういう意味? 」

 記憶主についての欄だ。

『個人』と表記がある。

「このくらいの規模であれば、影灼領域の記憶針は一人の人間の記憶が元になった『単一型』ではなく──『キメラ型』、何人かの記憶が合成されたモノのはずだ」

 たとえセントラルの中心地から外れた街一つだとしても——

 否。

 行政区一つと云う広い面積に、どれほどの情報量が積まれているだろうか。

 それを全て、一人の人間の記憶で賄えるか。

 誰もが無理と言うだろう。

 実際に無理だ。

 だが、何人かが集まれば話は別。

 互いの記憶を出し合えば、精密な地図を書き切ることも不可能ではない。

「普通なら、北八三の住人による同時多発的な記憶の集合体だと見るのが妥当だよね」

 記憶の集合体。

 記憶たちを纏めたのは、北八三区という膠。

 そうやって記憶の集合体は出来る。

 そうね、とモニカもトレントの言葉に頷く。

「私もそこが気になるわ。『北八三区という行政区に起きた何某かの出来事について』、これが集合条件となって記憶が惹かれ合い、融合。複合体キメラ型の記憶針になった——。そう捉えるのが自然よね」

 けれど。

 アスカとセドであれば、そんなことは百も承知のはずだ。

 モニカの指が最後の項目、『記憶主の人物像』を指す。

「個人の記憶、なのね? 」

 セドが頷く。

「恐らくな。たとえばだが——登場人物がな、綺麗に作られすぎてるんだ」

「綺麗に? 」

 モニカが先を促す。

「シンプルすぎる、と言ってもいいかもしれねえ。記号化されてるんだ。市場の奴らの性格なんか特に」

 八百屋の店主は猫好きで豪快。

 肉屋の女将は働き者で刺繍好き。

 魚屋の旦那は布屋の息子とどうもそりが合わない。

 パン屋は時計屋と仲がいい。

 そのどれもが現実と一緒。

 再現は精密だ。

「だがな、もし北八三区で起きた何かしらのイベント出来事についての記憶の、何人分かが合わさったとするぞ。とすると——」

「なるほど。みんながみんな、一人の人に対して同じ人物像を持っているわけじゃない」

 一人の人が、魚屋の旦那は元気な人、と思うとしよう。

 しかしもう一人の人は、魚屋の旦那はやかましい、と思うかもしれない。

 もう一人の人は、魚屋の旦那は快活だと思うかもしれないし、威張り屋だと思うかもしれない。

 一見似ている。

 同じ人物像を持ったように思える。

 しかし違う。

 受け取った時に発生する好感度、感想が違う。

 それだけで人物像は変わってくる。

 同じ人物に対して、一人数だけ違う人物像が存在する。


「そんなモンが何人分か集まれば、ほぼ本人に近い人間が作れるはずなんだ」

 人間は多面的だ。

 同じ人物に関しても人の数だけ違う印象を受けるのだ。

 なら、少なくともシンプルな人物像にはなるまい。

「だから、」

「ああ。それに地元民のな。これだけよく街や住人のことを覚えてられんのは、相当この街に居たやつだけだろ」

 少なくとも昨日今日この街に来た訳ではない。

 これだけ街や人々の特徴を捉えているのだ。

 もし外部の者であるなら、相当記憶力がいいとしか言いようがない。

「もちろん、そういう人間だって居んだろうけどよ」

「でもそれって相当特殊な人間だよ。その可能性は除外だね」

 トレントが肩をすくめる。

「アスカ並みに記憶力がよくなきゃ、そんな芸当はムリだな」

「……」

 アスカが「私に振るな」と言わんばかりの視線を向ける。

「そういう人間まで含めるなら、ただの旅行者だって対象になるぜ」

 一旦街に来れば、正確な地図を書くくらい朝飯前ってやつだからな。

 と、セドもトレントの軽口に悪乗りする。

「なっ……ちょっと、セドまで」

 アスカが食ってかかる。

「わあ大変、いったいどんな人なのかな〜? 」

「……ちょっと……」

 遊び始めた成人男性二人を、胡乱げなアスカの琥珀色が睨んだ。

「人を化け物みたいに言わないでください」

「………」

「………」

「なぜ黙りますか」

 アスカの言葉に男二人はそっぽを向く。


 ふと、トレントは目に入った地図に瞬いた。

「あ——。ごめんアスカ、ちょっといい? 」

「はい」

 未だ少々むっとしているアスカが片眉を上げる。

 トレントがアスカの作った地図を指差す。

「これは? 」

 地図の境界線上に数カ所、小さくバツ印がメモされている。

「ああ……」

 珍しく、アスカが困ったような顔を見せた。

 ちょっと眉が下がった、くらいの変化だが。

 それでもアスカの表情筋が生存確認を見せるなど珍事に等しい。

「属性力が湧いていた場所です」

「『領域源泉』? それとも、行術こうじゅつ痕跡かな」

「曖昧で判断できず……」

 アスカが首を振った。

 属性力のわだかまっている場所。

 誰かが属性術を使った行術痕跡でなければ、それは発しているものだ。

 それを領域源泉という。

 そしてそれは相応にして、領域の記憶にとって意味のある場所に発生する。


 トレントはトランクから新たな紙束を取り出した。

「一応、事件系の方も領域の内容候補を上げておこうか。影灼領域になると一番やばそうなのはカンパネラ駅の爆発事故だね。あとは二番地の車事故かな。うーん、どちらにしろ決め手に欠けすぎる」

「カルをとっ捕まえて吐かせるしか無いんじゃねーの」

 乱暴だなあとトレントがぼやく。

「そのことよ」

 モニカがセドの言葉を受けた。

「それが一番差し迫ってる問題よ」

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