第7場 芽ぶく不知火

 八百屋の軒先の計りの椀に、丸くなった猫がにゃあと鳴いた。

「うわー可愛い……」

 カルは思わず見とれた。

「そこは社長席だからな! うちの社長のデスクだ! 」

 八百屋のおじさんの、元気な笑い声が市場に響く。

「あんたらは? 観光かい? 」

「ええ。俺、セントラルは久々に来たんですけど、駅前とかは結構、変わりましたよね」

 ジャックは真顔でさらりと言った。

 しらばっくれた会話。

「最近は開発するってんで、駅の近くなんかは結構変わったねえ。カンパネラ駅も大々的に改築するんだぞ」

「そうなんですかー。いつくらいから? 」

「もう始まってたんじゃないかねえ。一部は立ち入り禁止になってるって聞いたぞ」


 ジャックとカルは市場を巡り、店に寄ってはこんな会話を繰り返している。

 朝からずっとだ。

 こうやって記憶のヒントを得ていくんだよ。

 ジャックはカルにそう言った。


 しかし話をするのはジャックに任せっきりで、カルは暇だ。

 にゃあーと猫があくびをするので、「可愛いねえミケは」と勝手に名付けて撫でれば、「そいつの名前はジークフリートだ」とおじさんに言われた。

 邪竜を討伐したおとぎ話の英雄。竜殺しのジークフリート。


「竜殺し……竜の稚魚を食う的なことでしょうか……」

 八百屋から退散し、紙袋を片手にトコトコ歩く。

 カルがぼそっと漏らした言葉に、ジャックが首を傾げた。

「なにそれ」

「だって、竜って魚が滝を登った姿でしょう」

 つまり、猫社長ジークフリートは主食である魚を食べるという行為が未来の竜の芽を摘むという竜殺しに。


 ジャックが首を傾げた。

ドラゴンって卵から生まれるんじゃないの? 」

 あ。とカルは声を上げた。

「そういや、そっか」

 子供の頃に見た絵本を思い出す。

 卵から孵るドラゴンが描かれていたはずだ。

(なんで滝昇りって思ったんだろ、俺? )

 北部地方に旅行した時に見た滝を思い出した。あれはすごかった。あんなん登ったら魚も竜になる。



 市場近くのベンチで昼ごはんのタコスにかぶりついた。

 カンパネラ駅は交通の要所。

 様々な地区の食や物品が集う場所でもある。

(真冬の朝じゃあ賑わいも何も無いけどね)

 領域の中には昼も夜もない。

 ただピンと張り詰めたような朝で時間が止まっている。

 静謐な刻の気配。カルはここが影灼領域の中であったことを改めて肌に感じた。

(ほんとに全部作り物なんだ……)

 街ゆく人も建物も天候も。

 影灼領域の性質は『記憶の再現』だ。時間帯も再現される。

 どれだけ時間が経過しても、影灼領域の中は朝のまま。

 不思議な気持ちではある。不気味にも思う。


「それで、何かわかりそうですか? 」

「カンパネラ駅が話の中心みたいだ。あからさまに駅の話が多かった」

「じゃあ、今回の領域の記憶は、カンパネラ駅で誰かが何かしたって記憶なんですか? 」

 カルは辺りを見回した。

「カンパネラ駅以外の場所もこんなによく出来ているのに」

「そこなんだよカルくん」

 カルと同じタコスを食べながら、ジャックが言った。

「もしカンパネラ駅での出来事であるなら、カンパネラ駅だけ作ればいい。街なんか作るのはコストの無駄だ。普通、影灼領域はそんな遊びはしない。なのに北八三区全体が再現されてる。何かしらの意味があるはずなんだ」


「じゃあ、これは観光客の記憶なんじゃないですか。カンパネラ駅で降りて北八三区を巡るんです」

 それなら、駅を中心に、北八三区全体を使う。

「それはないな。この街が隅々までよく再現されて出来てるだろ。記憶の持ち主が相当この街のことを知ってた証拠だ」

 なるほど。

「旅行者じゃ、街をこんなに覚えてられない……少なくとも何度も北三八区に来た人ってことですか」

「そう。ま、一度見ただけで隅から隅まで覚えられるすごい記憶力持った人なら別だけど」

 ジャックが茶化すから、「そんな人いますか?」とカルは笑った。

「さー、世界は広いからねぇ」

 嘘とも本当ともとれない顔で、ジャックはそう嘯いた。


「あとね、もう一つ理由がある」

「なんです? 」

 ジャックが天を指した。

「この領域って、時間帯が朝で止まっているだろう。ならこれは朝の記憶なんだ」

「なるほど、街全体を朝のうちに回りきるのは無理ですね」

「そういうこと」

 時間帯も舞台装置の大切な要素だ。


 カルは空を見ながら言った。

「今回の記憶の再生は、すぐ終わりますね」

「どうしてそう思う?」

「だって、朝の記憶なんでしょう。舞台は冬ですから、少なくとも日の出から、陽が登りきるまでの2時間が精々じゃないですか」

「なるほど。カルくんも領域に慣れてきたね」

 ジャックはにこにこしながら聞いている。

 ちょっと嬉しくなった。

「時間帯が固定されてるなら朝の記憶か……もしくは朝がクライマックス、そのどちらかだ」

「じゃ、やっぱり今回は朝の記憶ですね。市場がこんなに静かですから!」

「ああ──静かだねえ」

 ジャックはのんびりと笑った。


 軽い昼食を取った後。

 再び始まった聞き込みを、カルはジャックにほとんど任せてしまった。

「駅もねえ、増築ばっかりで入らずの間も結構あるらしいのよう」

「お宝が出てきたりして」

 入ったケーキ屋兼カフェの女将と早速打ち解けるジャック。

(ジャックさんのコミュ力ってすごいよなあ)


 サック、サックと雪を踏みしめて歩く。

 隣でジャックがつるっと足を滑らせてバランスを崩した。

「大丈夫ですか」

「ありがと、無事。ああもう、今日で何回めかな。カル君は雪の中歩くの慣れてるよね」

「え、そうですか? 」

 おじさんはヘトヘトだよ、と膝を撫でながらジャックが言う。

「実家はどこなんだい。雪は多いの」

「あ……いえ……そんなことは。あれですよ、俺、最近よく歩いてたんで、ちょっとは体力ついたんじゃないですかね」

 そうかな〜やっぱり歳かな〜とぼやくジャック。

 その横でカルは——胸を抑えた。


 ドク、ドクと跳ねるような脈を打っている。

 あれ、なんで。

 俺は。

(出身は西部地方だ、って言わなかったんだ? )


 一瞬だった。

 なぜか、一瞬、——

 言わなかったんじゃない。

 言えなかった。

 言ってはダメだと、本能が告げたような。危機感のような。

 守らなくてはいけない何かがあるような——。


「あ、噂をすれば東部地方のお菓子だ」

「! 」

 ジャックの声に我に帰る。

「何か食べる? 」

「いいんですか」

 勤めて先ほどまで考えていたことを頭の隅に押し込む。

 さすがは駅の街。

 各地域の土産物が集結した土産物屋もある。

「じゃあどら焼きで」

 どうせなら普段食べられない珍味を食そう。

 店員が店の隅から菓子を出してきた。

「またマイナーな食べ物を……」

 ジャックがまじまじとどら焼きを見つめている。

「俺、東部地方のお菓子は好きなんです」

「へえ。俺は苦手だ」

「なんでですか」

「モッハ! ってなるじゃん」

 もっは?

 話を聞いてみるとその正体が分かった。

 餡子のことらしい。

「慣れると意外と気になりませんよ。羊羹とかは如何ですか」

 カルの勧めに、ジャックがむっと警戒をあらわす。

「ヨーカンって、知ってるぞ。あの黒いやつだろ」

「チョコだと思えばいけますよ。似てるじゃないですか」

 カルはぺりぺりっと紙袋を開けてどら焼きにかぶりつく。

「……」

「えっと……? 」

 ジャックが、カルに怪訝な目を向けている。

「むかし東部地方の友達に同じこと言われたのを思い出したよ」

 羊羹のことだろうか。

「そうなんですか」

「ことわざかなんか? 流行り? 」

「そういうわけでは……」

 そこまで言って、カルは手を止めた。

 羊羹と、チョコって。

 似てるか?

(あれ。まただ)

 何かが違う。

(羊羹とチョコもそうだけど、でも別の何かが——)

 なにか、

 先ほどから続く違和感だ。

 そう、朝から続くと言ってもいい。

 しかし正体が判らない。


 首を傾げながらカルは余っていたどら焼きを口に放り込んだ。

 四ツ角を曲がる。

「あっ」

 トン、と体がぶつかった。

 中途半場に上げていた手が相手の腕と触れる。

 ビリっと属性知覚がカルの首筋の血管を押し上げた。

「あ——っ、すみ、ません」

 ハっと意識を取り戻してそう口にする。

 いえ、こちらこそ、と相手が首を振った。

 すれ違いざま、焼きたてのパンの匂いが鼻腔をくすぐる。

 その瞬間。


 頭の中に一面の雪原が広がった。


 ——彼女が、行ってしまう。

 その後ろ姿を、自分の指が追いかけて——。


「カル君? 」

 ぽんと肩に手を置かれて我に帰った。

 自分は、何を。

「どうしたの、手を伸ばして。知り合い? 」

「あ——いえ、やっぱ属性で出来てるんだなーって、思って……なんちゃって……あはは」

 苦し紛れに出任せを言う。

「それで捕まえようと? 」

 ああ、いえ、はは、と曖昧に笑う。

 ジャックは「こんな時でも解析したくなっちゃうの……? 職業病……? 」と微妙な顔をしていた。

 幸いなことに深くは追求されなかった。

 再び雪の中を歩み始める。



 指の先が震える。

 外気の温度じゃない。

 自らの体が発する、冷気で。

 ——何かが違う。

 何かが。

 違和感が腹の底に溜まっていく。

 もう少し。

 もう少しで。

 ——溜まり切ってしまうような。

 予感。


 背筋を、雪の繊手が愛撫した。

 そっと振り向く。

 先にぶつかった人形の姿は、跡形もなく白雪に消えていた。

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