第5場 影灼領域対策部

 夏の朝陽は清々しい。

 透明な青空の下、その日のカンパネラ駅はいつもよりも浮き足立っていた。

 その中心はカンパネラ駅の西部方面ホーム。

 白い制服の若い男が人の波を縫って走っていた。

「すみません、失礼、通して」

 始業前に関わらず出来た人だかりを、影灼領域対策部——通称『領対』第二班班長のトレントはやっとの思いで抜けた。

 はあ、と息を吐く。

 一つに纏めた紫の長髪が汗に濡れている。

(ここか、今回の影灼領域のゲートは)

 柱の周りには幕が張られている。

 半透明の乳発色に浮き上がるのは、立ち入り禁止との警告文。

 フラウトによる簡易結界だ。

 無論、結界としての機能は五属性を直に使った結界とは比べものにならない。

 しかしフラウトの者か、そうでないかを区別する篩くらいにはなる。


 フラウトだ、と。

 遠巻きな人垣の向こうで、自分のことを指した言葉がトレントの耳に入った。

 カンパラ駅が新駅舎となって数年。

 世界全土の拠点駅に影灼領域への入り口ゲートが出現したとあって、話題性は抜群らしい。

 もしくはこの人だかり、影灼領域のことすら知らない者の方が多いのかもしれない。

 人が集まっているから、何事かと次から次に人が立ち止まる。

 まるでネズミ講だ。

 勘弁してよ、と仕事中のトレントは辟易しながら、簡易結界に触れた。

 靄のような乳発色の膜が液体のように振動する。

 サッと、頬を涼しい霧が掠めたようなほのかな感触があった。


 トレントの体が保護膜を抜ける。

「モニカ! 」

 艶めく水色の髪。

 澄んだ湖の鮮やかな水面のような後ろ姿。

 それがふるりと揺れてこちらを振り向いた。

 班員のモニカだ。

「ごめん遅れて。どう? 状況は」

「今から一般人の退避を始めるところよ」

 煉瓦の床に、じんわりと濡れたような跡。

 大人ふたりがゆうに入れる程の円形の中に、幾何学模様を描いている。

『領域転換』の魔方陣だ。

 影灼領域のゲートと共鳴するための、いわば自然界への命令文、干渉するための方程式。

 フラウトの属性術師たちは、これを使って領域とを行き来する。

 要は魔法陣で影灼領域のゲートをこじ開けるのだ。


「領域に吸い込まれた一般人は何人? 」

「計二十四人ね」

 トレントは驚いた。

「多いね。この領域ってそんなに前からあったものなの? 」

 影灼領域の寿命は短い。

 人を吸い込む性質があるとはいえ、普通は一日に一人二人がせいぜいだ。

 トレントの最もな疑問に、モニカは首をすくめた。

「それがそうでもないらしいのよ。中に入ってるセドが彼らに聞いたところだと、昨日の昼から今日までに吸い込まれた人ばかりね」

 トレントは腕時計を確認した。

 現在時刻、朝の六時。

 領域の発生が昨日の昼としたって、まだ十八時間しか経っていない。

 ちょっと異常だ。

(どうってことないといいけど……)

 トレントは眉根を寄せた。


「さっきアスカから中の様子を聞いたわ。今回の領域、わりと規模が大きいみたい」

 数枚の書類をモニカがトレントに渡す。

一般人被害者の保護状況は? 」

「うち二十三人を保護。向こうでが終わり次第、順次退去してくるはずよ。今のところ、心身ともに注意の必要な人もいないわ」

 保護できたのは二十三人。

 トレントの額に僅かな緊張が走った。

 ……一人足りない。

「残る一人は? 」

 モニカは言った。

「『役者』になってる可能性があるのよ」

 ぴく、とトレントの指先が反応する。

「おまけに良いんだか悪いんだか、属性術師保護者付きなのよね」

 ああ、と合点したようにトレントは頷いた。

「観劇者か。それはまた、厄介だね。——とすると、当面の課題はその『残る一人』の保護かな」

 そうね、とモニカが首肯する。


 仕事の話がひと段落したところで、「それで? 」とモニカが悪戯っぽく笑った。

「駅のお偉いさんとのお話はどうだったの」

 トレントは苦い顔で彼女のニヤリと上げられた口角を見た。

「……」

「影灼領域が駅にあるのは迷惑だから、手取り早く解決しろって? 」

「まあそんな感じ」

 トレントは天を仰いだ。


 駅に影灼領域が出たと通報があったのは昨日七時。

 そこから調査班が諸々を調べ、トレントたち実動隊に出動命令が下ったのは夜の十時を過ぎていた。

 駅——しかも交通の要所というだけあって一悶着起こり、リーダーのトレントは今の今まで駅のお偉方に説明責任を果たさせられていた。

 責任も何も、影灼領域は自然災害の一種なのだからトレントにはどうしようもないのだけれど。

 だが、駅側が諸々渋るのもわからないではないのだ。

 交通機関は客の危険と隣り合わせ。彼らにとって、安全確認がどれだけ大切なことか。


「よりによってカンパネラ駅交通の要所ってのがなあ」

 近くの柱から、トロ、と、粒子のようなものが溶けたしているのが、期せずして視界に入った。

 頭が痛くなる。

 お疲れ様、とモニカが笑む。

「まぁ、駅側の気持ちもわかるわよ。ゲートがあるってことは、周りのものを属性要素に分解して、どんどん影灼領域が吸収してっちゃうってことだもの」

 ゲートとはつまり、領域にとっての呼吸する口だ。

 領域の中身——舞台装置、大道具、小道具その他を作るに必要な属性要素材料を補うために、影灼領域はゲートから周りの属性要素を吸い取っていく。

「放置しておけば柱は溶けて床はえぐれてく。運が悪ければ新築駅舎は倒壊ね」

 フフっと小首を傾げるモニカの笑みに、カンパネラ駅のお偉いさんがたの声がトレントの脳内で重なった。

 領域のゲートがあっては安全に運行できない。迷惑だ。安全を保障しろ。こういう時の五属性災害対策課だろう。

 トレントは頭と胃を抱えた。

「か、考えたくない……」

「そうならない為に私達が居るんじゃないの」


 その時。

 すう、と転換陣が揺れた。

「そろそろお出ましね」

 領域に吸い込まれた一般人たちの退去が始まった。

「…………ふと思ったんだけどさ」

 トレントは胸のうちの僅かな不安を口にした。

「何? 」

「二十三人もここに殺到するわけ? 」

「不可能じゃないでしょ、ちょっと狭いけど。それに、これしかないわよ」

 確かにこれしかないけども。

 トレントはため息をついた。

「ほんと、カンパネラ駅ってのがなぁ」

 影灼領域では何が起こるかわからない。

 だからこそ巻き込まれた一般人はフラウトが保護して領域外に出す。

 しかし領域から出したら出したで、ずっとこの場に居座るわけにもいくまい。

 何せここは、ホームのど真ん中なのだ。

(でもフラウトの結界の外に出したら出したで、野次馬とか色々あって面倒臭いしそれはそれで混雑の原因とか色々言われて——)

 トレントは延々と中年オヤジの仕事の愚痴みたいなものを心の中で呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る