第4場 炭髭ビーンストーク

「『影灼えいしゃく領域』——」

 ぽつ、とカルの口端から言葉が溢れた。

「おや。この領域の名前を知ってたのかい」

「噂程度には」

「そう。領域というからには、ここは結界の一種だ。記憶を設計図に、建物を立て、街を作り、人を動かす」


「……俺たちも、動かされることに? 」

 ジャックが首を傾げた。

「ふむ。——なんで俺らが」

「人を動かすって」

「なるほど! 」

 ジャックの笑い声が冬空に弾けた。

「しかしカル君。周りを見てみよう。あのウエイターは『カフェの利用客にコーヒーを出す』役だ。カウンターに座るあの男性は『新聞を読みながら葉巻をくゆらす』役だ。彼は永遠に葉巻を吸い続け、手元にある冷めたコーヒーに口をつけることもなく、ウエイターに食事を頼むことも無い」

 なぜか?

「彼らはね、人間じゃないから。人形なのさ」

 そう言って、ジャックは砂糖の壺を引き寄せた。

「あまりに人に似ているけれど、あれは人を模した機械だ。この雪景色が舞台美術、カフェの建物が大道具なら、彼らは小道具だ」

 いくら『人を動かす』と言ったって——自分の意図関係なく他人に動かされるなんてこと、ただの人間が嫌な顔一つせずできるものか。

 ジャックの朗らかな声が紡ぐ当たり前の言に、カルはぎこちなく笑んだ。

 ——そうだ、人間が自分の意思に関係なく操られるなんて、そんなことがあっていいはずがない。


 ジャックは砂糖のポットの蓋を開けた。

「砂糖は? 」

「大丈夫です。甘いコーヒーはあまり得意ではないので」

 あ、そう? と言い、ジャックは匙を手に取った。砂糖が山盛り三倍、彼の熱いコーヒーに吸い込まれていく。

「俺たちはね、彼ら人形のことを『役者』と言っている。——ああ、俺たち、ってのはね、領域に入ることを趣味としている者たちのことさ。人形劇みたいなモノだから『観劇者』なんて呼ばれたりもするけどね。はは、なんだい、理解できないって顔してるね」

 ジャックは人差し指と親指で丸作ると、片眼鏡の中でウインクをして見せた。

「覗きが趣味なんだ。と言っても対象は人じゃなくて、落し物の誰かの記憶なんだから、極めて無害な覗き魔さ」

 カルは曖昧に笑った。

 そう言われましても。


「で、君は何をそんなに心配にしてるんだい」

「あ……いえ、影灼領域といえば、色々と物騒な話を聞いたものですから」

「そうかい。確かに昔は色々あったけど、今は良くなったものだよ。フラウトに領域対策部ができてからね」

 フラウト?

 聞き慣れた言葉にカルは目を見開いた。

「そ。記憶によっては、こういう平和な物だけでは無いからねえ。そういう時のために彼らがいるのさ」

「なるほど、影灼領域も五属性、フラウトの管轄というわけですね」

「そういうこと。まあ安全を守ってくれるのはいいけど、どうでもいいことまで介入してくるのはよしてもらいたいねえ」

「どうでもいいこと……? 」

 野暮なんだよ、とジャックはが苦い顔をした。

「ただ観劇を楽しみにしてる俺らにとっちゃ、お役所の頭の固さは時に野暮なのさ。——ああ、あんたも五星院ならフラウトの準構成員になるのか。悪いね、別にあんたらがどうってわけじゃない。生活の安全を守ってくれるのはありがたいし、俺もフラウトに知り合いがいる」

 ジャックは首をすくめた。

「巻き込まれた一般人の保護も彼らの仕事のうちさ。早いとこ落ち合って、領域から脱出させて貰うといい。俺らは自分以外の人間の領域の出入りに関与することはできないけど、奴らは他人を行き来させる術を持つ」

 カルは突然の希望の光に思わず腰を浮かせた。

「その方達って……! 」

「まだ来てないみたいだけどね」

 カルはがっくりとうなだれた。

 待つしか無いというわけか。


「実は俺、研究生としてフラウトに向かう途中だったんですよ……」

「かわいそうに」

 言われてしまった。

「ちなみに、フラウト側の君の担当者はなんて人? 」

「えっと……担当者さんはまだ行ってから知らされるようなのですが、迎えに来てくださる方はいます。セドさんという方です」


 猛禽類のようなセドの瞳が脳裏を一閃した。

 その瞬間カルの気持ちは急降下した。

 領域から出次第とっ捕まって千々に引き裂かれるに違いない。むしろ引き裂かれるくらいならまだいい方だ。無視かも。


 と、ジャックが声を上げた。

「なんだって、セドだって? 」

 その声に笑いが含まれている。

 カルは顔を上げた。

 こらえきれぬようにジャックの口角がピクピクしている。まさか。

「お知り合いですか!? 」

「知ってるも何も、そいつが俺の知り合いさ。あれだろう、煙草咥えた、目つきの鋭い仏頂面。そのくせシェリーさんのことが大好きな愛妻家」

「ああ、お二人は結婚されてたんですか」

「いや言葉のあや……いや、そうそう。結婚してるっぽいねぇ子供も一人か二人はいるかも」

 よほど仲のいい友人なのか、その笑顔は今までで一番の輝きである。

 そうだったのか、色々な意味で。

 カルはセドの猛禽類のような仏頂面を脳裏に描いた。そしてジャックの朗らかで知的な顔を顧みた。

(この二人が並んでるのが想像できない! )

 一体どこで出会ったのだろう。


「セドの後輩となったら話は別だ。よし、フラウト連中が来るまで俺と一緒にいよう」

「いいんですか? 」

「ああ。俺は覗きの常連観劇者だけあって影灼領域には慣れてる。サバイバルどころか、快適に観劇するための拠点くらいは確保してあるからね」

 ジャックは懐から懐中時計を取り出すと、「ああ、もう八時か」と言って立ち上がった。

「八時……? 」

「領域の外は夜の八時過ぎだよ。影灼領域は記憶の再生をする場所、って言っただろう。その通りにね、空も気温も時間帯の変化は無いんだ。だから、自分で時間を気にして寝食を忘れないようにしないと体を壊してしまう。お腹も空いたし夕飯にしよう。うちに案内するよ、ついておいで」

 カルはすたすたと軒の外へ出てしまうジャックを追い立ち上がった。

「あの、お勘定と、ストーブが」

 振り返ると、コーヒーとストーブは、立花に吹き崩れるように跡形もなく消えていた。


「ちょっと、君」

 前の方を歩いていたジャックが、道の先で通行人とぶつかりざま何かを渡している。落し物らしい。ぶつかった通行人は礼を述べているようだ。

 遠くてよく聞こえない。カルは足を速めた。

(影灼領域が作った人形だったとしても、こうやって人間と遜色ない応対はできるんだな)

 機械人形をヒトと見立てることが違和感の原因なのか、それともそもそも、彼らをヒトだと思うことがハナからずれているのか——。

『通行人』とのすれ違いざま、五属性の匂いが目の奥をくすぐった。


***


 鐘が鳴る。

 カンパネラ駅の隣。

 時計塔から鴉の群れが羽ばたいた。

 冷え切った石肌と、曇天の絹ごしの陽の影。

 時計の針と歯車が騒々しく壁を打つ。

 少女の可憐な声が、静かに空を滑る。

「——見つけた」

 北風が塔を駆け抜け濡れ烏がはためく。

 純白の制服。胸に紋章。

 背後に、墨で書いたように真っ黒な魔法陣が弧を描く。

「こちらアスカ。対象を確認いたしました。『口づけ』は失敗、同伴者一名、属性術師を確認。属性術での尾行は不可と判断。自分の足で跡を追います」

『こちらセド。了解した。『二兵』の使用を許可する、そのまま尾行を続けてくれ。こっちは一般人の捜索を続行する。また連絡する』

「わかりました」


「第一詠唱」

 少女の声が凛と放たれる。

 魔法陣が起動する。

「属性術総合機関フラウト、公安局災害対策課、影灼領域対策部実動隊トレント第二班所属、コードネーム・アオイノヨウの名のもとに、領域内第二種兵器使用の許可を申請します」

 少女の背後の魔法陣が、呼応するように黒くうねった。

 墨染の烏が曇天へ羽ばたいた。

 今日も始業の鐘が鳴る。

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