第2場 立花は踊る

 属性術。

 万物を構築する物質の全ては、根元を辿れば五つの属性に到達する。

 万物に宿る精霊を通し、その力を借り受け、使用する。

 それが属性術だ。


 カルは腕時計を確認した。

 特急がほぼ時間通りカンパネラ駅に到着したのが昼過ぎ。

 遅延しても一服できるくらいの余裕を設けていたのだが、案外時間ぎりぎりですよと時計の針が告げている。

 それに、ただでさえここはカンパネラ駅。


(絶対迷う! )


 カルは制服の内ポケットから手紙を取り出した。

 封筒に刻まれたフラウトの紋章が、溢れた夏の陽を受ける。

 その紋章に、カルの喉が知らず鳴った。


 属性術総合機関——通称フラウト。

 五属性術師団体による、唯一にして最大の公的機関。


 属性術は基本的には誰でも使えるものだが、コントロールは難しい。

 しかし属性術を基本システムとするモノが日常生活の場にまで広がり、現在は大方の人間が、自らの属性とモノとの『共鳴』くらいは使えることができる。

 それにより『家庭用属性術展開装置』——通称『家装』を難なく使うことができる。

 属性術が初等教育の必須科目となって既に百年は経とう。


 この属性術という技術に纏わる社会システムの元締めであり、様々な属性に関わる事柄に対応する役所の顔を持ちながら、専門的な知識を持つ者、さらに属性術を極めんとする者が集う場所。

 それがフラウト。

 カルの所属する五星院はフラウト直属の教育機関だ。


 そんなフラウト構成員の、「セド」という男からの手紙には、殴り書きとしか言えない文字で待ち合わせ場所が書かれていた。むしろこれは手紙とはいえない。メモだ。


『出口で待つ。』


 それだけ。

 五属性を専門分野とする五星院に在籍し、バイトを斡旋してくれる事務員をはじめ、フラウトの人間とはある程度関わってきた。

 だから別段フラウトの人間に憧れを持っていたとかそういうわけでは無い。

 が、しかし。初めて『仕事』としてフラウトに関わるカルにとっては記念すべき手紙なのである。

 しかしそれがこれである。

 なんだか切なくなった。


 どこで聞きつけたか、わざわざ姉弟子シェリーが送ってくれた「セド」の写真と文字を見比べてカルは途方にくれた。

 咥えタバコに高い上背、眼をあわせでもしたら「こっち見てんじゃねーよ」と噛みつかれんばかりの凶悪な目つき。と眉間のしわ。

 隣でニコニコ笑っている穏やかの権化の如き姉弟子が宇宙人に見える。


 ぐぬぬと往生際悪く唸りながらのろのろとホームを歩いていると、出口が見えてきてしまった。


(わぁーっ心の準備がさぁ、まださあ)


 加えてごった返した駅構内をうろうろしている分、暑い。人の熱気と自分の運動量と夏の暑さの闇鍋蒸し煮込み。

 しかしセントラルに来てしまったものはしょうがない。カルはぷるぷると頭を振り、キリッと前を見据えた。

 どんな熊が来ようがシェリーさんの旦那さんなら大丈夫! 旦那じゃ無いけど旦那だから大丈夫!!

 自分でもわけがわからなくなってきた。


「………………」


 時計を確認する。まだ時間はある。

 カルは全力で踵を返した。


(や、やっぱ荷物が届いてるかの確認を先に——)


 その時。

 何か軽いものがつむじに落ちた。

 ひんやりとした冷気が首筋を冷やす。

 どこからやってきたのか真夏にこの冷気は気持ちがいい——。


 ふわりと白いものが頬を掠めた。


「……え? 」


 ——雪?


 ドン、と背に衝撃を受けて我に返った。


「うわっ」

「あ、すみません! 」


 急に立ち止まったがために、後ろから来た人とぶつかった。

 カルは目を擦った。

 あまりに場違いなものを見た気がする。

 今、降ってきたような。

 雪、みたいなものが——。

 額に手を当てる。熱はない。


(なんだ今の。俺、疲れてんのかな)


 いや、熱中症かもしれない。眩暈を覚えた。


 待ち合わせの時間まで少しある。

 ここでうろうろするより、少しどこかに腰を落ち着けよう。

 人の波に逆らい、カルは手近な柱の下へと向かった。

 ここは夏のカンパネラ駅。

 煉瓦作りの、赤茶の建物。

 ——おかしい。

 灼熱の汗とは別の、気味の悪い汗が顳顬を濡らす。

 額を揉みながら、カルは下を見て進む。

 赤茶の道に。

 白が。

 白い綿が降ってくる。

 手のひらに白が舞い落ちて、じゅ、と溶けた。

 冷たい。

 カルは顔をあげた。

 人が洪水のように流れる駅舎。

 その上を、ちらちらと白い粉が舞っている。


「雪」


 カルの口から言葉がこぼれた。

 雪。

 雪が降っている。

 今は夏だ。

 初夏のはずだ、冬は遠い。

 少なくともセントラルにおいて、雪は寒い冬に降るはずだ。この暑い夏に降るわけが無い。

 それなのに。


(どうして誰も、何も言わないんだ)


 誰も雪になんて目もくれない。

 柱の下で立ち竦むカルすら目に見えないかのように。

 まるで気づいていないかのように。

 そのうちにも、頭に、肩に、手のひらに、雪が落ちては溶けていく。

 これは幻覚じゃ無い。

 カルは空を見上げた。

 均一に塗り上げたキャンバスのような、どこまでも青一色の、夏の空。

 そしてカルは気がついた。


(空から降ってきてるわけじゃ、無い!? )


 じゃあ、一体何が……。

 ふっ、と足元の重さが消えた。

 くらりと煉瓦の駅舎が曲がる。

 雑踏が水の中の世界のようにまろく響く。

 雪が。雪が舞っている。

 一体、何が、どうして。

 ぼんやりと白く霞む視界で、誰かが自分を見て叫んでいる。

 列車の車輪が轍を踏んでやってくる。

 煙を上げて——。



 雪が飛沫いて、カルの目の前を列車が走って行った。

 髪が巻き上がる。細かな雪がきらきらと羽のように舞い、頬に冷たく溶けていった。



「う……」


 目眩が落ち着いて、顔を上げた。

 そして、呆然と立ち尽くした。


「………どこだ、ここ」


 場所という意味でなら、それはカンパネラ駅だった。

 セントラル・シティの交通網の中心として生まれ変わった、カンパネラ駅。

 ——ただ。


 カルの息が空へ戦慄く。

 雪が降っている。

 轍の跡が黒く、白の中に浮いている。

 人が目の前を通る。茶色い、分厚いコートにフェルトの帽子。革の手袋に毛糸のマフラー。

 長靴で踏みしめる足跡は灰色く滲む。

 視界の端、地平の向こうのとごまでも雪が続いている。


「———」


 後ずさると、さく、と足の下が軽快な音を立てる。

 水気の少ない雪。

 どこまでも沈む、分厚い白の絨毯。

 その白さに途方にくれた。



 ——それは、あってはならない光景だった。

 見上げた駅舎は、剥き出しの線路と、灰色の石造り。

 今はこの世界のどこにも無い、改装前の姿。

 そして、カルが居たはずの初夏の下に輝く新駅舎とその町は、目の前のどこにもなかった。



 石造りの駅舎は、カルの記憶の水底にある遺跡と同じ姿で、迷宮への口を開けている。

 一面の雪景色であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る