道すがら食堂 another

木下源影

第1話 道すがら食堂で

木下源次郎は、東京に出てきて、はや一年が過ぎようとしていた。


富山の片田舎の実家で農業を成功させたあと、


何を思ったのか東京城下町商店街で飯屋をすることに決めたのだ。


その店の名を道すがら食堂と決めた。


『もののついでに寄って行って欲しい』という少々投げやりなネーミングだ。



源次郎は32才になったばかりで、その名前に似合わず、


堀の深いゲルマン系アメリカ人だ。


両親はいるのだが、源次郎は捨て子として、富山の児童福祉施設で育った。


ただただ、飯をたらふく食いたい事だけを願い、


11才の時に施設の兄弟たちと共に農業をはじめることにした。


13才になった時、小遣い程度だが兄妹たちに給料を支払える喜びを得た。


その手腕は冴え渡り、今では植物工場を抱えこむ大農場主となってる。



源次郎の役割は肉体労働以外のことで、新しい農作方法や現状の合理化など、


どこからどう見ても東洋人の兄、源太と共に担当した。



比較的暇な源次郎は、みんなのために調理をすることに目覚めた。


企業のトップが社員に食事を作ることに、源次郎は喜びを感じ、


そのスキルを生かして東京に出て、


その手腕を発揮しようと目論んでいるかのように見えた。


しかし、本当の狙いはそうではなかったのだ。


… … … … …


「…源ちゃぁーん、食欲ないのよねぇー…」


スナックマドモアゼルの雇われママのサユリが猫なで声で源次郎に上目遣いで言った。


サユリは出勤前は25才ほどにしか見えないのだが、


仕事が終わると40ほどに見えてしまう。


この界隈でのホステスはみんなサユリと似たり寄ったりだ。



この暑さだ、食欲のある者の方が珍しい。


源次郎は満面の笑みをサユリに向けた。


「では、あっさりとしたお料理を…」


源次郎はすぐさま調理にかかり、


数分後、一枚のプレートをサユリの目の前に出した。


「あははっ!!

 もやしだけ炒めっ?!」


「のように見えるものです。

 少しずつお召し上がりを」


皿に盛っているもやしは本当にもやしだけだった。


だが、少し冷えている店内なので、軽く湯気が上がっている。


サユリは源次郎の言葉通り、もやしを箸で少量掴み、口に運んだ。


「あら、珍しい…

 少し濃い味だけど、これがいいわっ!!」


サユリの箸の動きがどんどん早くなる。


そしてついに、源次郎の思惑のその一部がサユリの目に飛び込んできた。


「…お肉…

 ハンバーグ?」


サユリは自問自答しただけで、すぐさまそのハンバーグに箸を入れ、


口に運んで幸せそうな顔をしている。


さらに食のペースが進み、あっという間に、


大盛のもやしと300グラムあったハンバーグを食べ尽くした。


「源ちゃんっ!!

 ご飯食べたいっ!!」


サユリの食欲不振はもう消え去っていた。


「はい、どうぞ」


「まあっ!!

 手まり寿司っ!!」


中程度の皿に、小さな手まり寿司が五つのっていて、ご飯が衣を着たように、


見た目にも涼やかな一品だ。


「…ああ、なんだか、幸せ…

 食べることって、こういうことなのね…」


手まり寿司の最後のひとつを頬張りながらサユリは満面の笑みだ。


「まずは食欲を増進する必要がありますから。

 ハンバーグをいきなり見て、食欲が沸くのは子供くらいでしょうね。

 ですがもやしなら食べられない事はない。

 仰ったようにもやしは味を強めに付けて、ハンバークは薄味です。

 ですのでたくさん召し上がられたという結果に繋がりました。

 そしてご飯は白いご飯とつけあわせでもよかったのですが、

 やはり涼しく食を終えてもらおうと思って、

 手まり寿司を用意しておいたのですよ」


「もう、メニューって、決めてくれてたの?」


「はい。

 サユリさん、かなりお疲れのようでしたので。

 気に入っていただいて満足しています」


「本当においしかったわぁー!

 今までできっと一番感動したと思うのっ!

 早く帰って寝ることにするわ。

 今日はおいくら?」


「ツーコインで」


「えーっ!

 たった600円でいいのっ?!」


「できれば一枚は一万円金貨だとありがたいです」


「そんなの持ってねぇーよっ!!」


オレとサユリは大笑いした。


サユリは結局、全く見ずに財布から抜いた一万円札をカウンターに置いた。


最近のこの店の料金システムはこの様な場合が多い。



サユリのメニューを欲したホステスたちが、一斉に食事を始めた。


そして舌鼓を打って、満足げにして勘定をテーブルの上に置いて帰っていった。


源次郎が現金を回収していると、一万円金貨があったことに大笑いした。


今は午前一時、真夜中真っ只中だ。


~ ~ ~ ~ ~


午前三時。


もう真夜中とはいい辛い時間帯だ。


夜の帳も、そろそろ上がろうとする時間に、


どう考えてもその筋の男が店内に足を踏み入れた。


「いらっしゃい、だんな」


眉間に皺を寄せたこの男は、源次郎の目の前のカウンター席に座った。


「固くてマズイとんかつプレート」


「だんな、酷いですよ…

 安い食材をできる限り美味しく頂ける工夫なのですから…」


「そうか、それは済まなかったな。

 ダブルで」


「はい、トンカツダブル、毎度っ!!」


源次郎は手際よく一枚のとんかつを揚げ始めた。


フライの匂いが腹のすいたこの男の鼻腔をくすぐっている。


「はい、お待ち。

 もう一枚は今から揚げますから」


「おい…

 いつもと全然違うじゃあねえか…」


薄く黄金色に上がっているとんかつは見た目に美味そうに見えたようだ。


「今日は高級食材を買い付けてきました。

 鹿児島産の黒豚ですよ。

 さあ、召し上がってください」


「…お、おう…」


男は切れ味鋭いナイフを手に取り、トンカツに当てた。


バターが切れるような感覚で、軽く、『サクッ』といっただけに止まった音が、


さらに食欲を増進させたようだ。


男はさも幸せそうにトンカツを頬張り、そして、怪訝そうな顔をした。


「なんだ、これは…

 さらにうまい…」


男が口に入れた部分は、トンカツの端だった。


「美味い肉は脂も美味いんですよ。

 絶品でしょ?」


源次郎は、揚がったもう一枚を皿に乗せ、男に差し出した。


「付け合せ、全部くれ」


「へい、まいどっ!」


源次郎はまずはどんぶり鉢に柔らかに盛った飯を男に差し出した。


男はそれを見ることなく受け取り、大飯を喰らい始めた。


源次郎は、


きんぴらごぼう、肉じゃが、ひじきの煮物、切り干し大根、


高野豆腐の卵あえ、ほうれん草のゴマ汚しを小鉢に取り、


男の隣の席に並べた。


男は普段は見せない笑みを源次郎に向けた。


そして少なめに注いだ、


わかめとたまねぎの赤だし味噌汁を手近な場所にそっと置いた。


キャベツ大盛の野菜サラダをその隣に置くと、男は、


「今日はフレンチで」と言うと、


源次郎は冷蔵庫から小洒落た容器に入ったフレンチドレッシングを取り出し、


サラダの隣に置いた。


この男の食は底がない。


今日はさらに拍車がかかっている。


だが、5杯目のお代わりをして、しばらくしてから箸を止めた。


「今日が、最高の食事をした気分だ。

 子供の頃に、食べたかったよな…」


男は感慨深く言った。


「トンカツが美味い事もありますが、

 それにしても食欲旺盛でしたね」


「ああ。

 マラソンが三件と大立ち回りが二件あったからな」


「まさか、昼から何も?」


「ああ、そうだ。

 飯を食っている時間が惜しいからな」


この男の職業は警察官で、警視庁の警部だ。


名前を皇一輝という。


一輝は必ずこの時間まで仕事に明け暮れている。


この時間帯にだけ開いているこの道すがら食堂が気に入って、


毎食食べに来る常連客だ。


「ところで源次郎は嫁さんを探しに東京に出てきたんだろ?

 この場所じゃあ、いい女はみんな造ってるだけだろ…」


「いえ、もう見つけました。

 オレのターゲットを。

 まさか、本当に現れるとは思わなかったのです。

 …越前雛さん…」


一輝は少し眼をむいた。


そして、「ククク…」と低く笑い始めた。


「どこまで知っているんだ?」


源次郎は一輝の言葉がよく理解できなかったようだ。


一輝は刑事さながらの鋭い眼光を源次郎に向けている。


「…どこまで…

 と仰いますと…」


源次郎の言葉と仕草を見て一輝は、「いや、なんでもない…」と言って口篭った。


一輝は、ただの偶然だろうと思ったようだ。



『ガラガラガラ…』


「らっしゃいっ!!」


入り口の扉が開き、源次郎が客を迎えた。


白のブラウスにジーンズ、赤いパンプスに黒のサングラスをした女が、


源次郎の左斜め前の壁際のカウンター席についた。


一輝はその顔に驚きを浮かべた。


だが、何も言わなかった。


「源ちゃん、お勧めを」


「はい、ありがとうございますっ!

 お勧め一丁っ!!」


源次郎は軽い足取りで冷蔵庫からかなり重そうな一段の重箱を雛の目の前に置いた。


「へい、お待ちっ!!」


「早いわよっ!!」


雛は大声で笑った。


「デザートも用意してありますので」


「まあっ!

 それは嬉しいわっ!!」


雛は重箱の蓋を開け、さらに喜んだ。


「ああ、美味しそう…

 松花堂弁当ね」


「量はそこそこありますので、ごゆっくり、少し慌ててご堪能ください」


16分割された重箱の容量はそれほど多いとは思わない。


だが食べるに連れ、胃袋はどんどん満足して行くのだ。


「源次郎、オレにもくれぇー…」


一輝は源次郎を睨みつけて言った。


「ある訳ないでしょ…

 こちらのお客様のオレからのお勧めですから」


「なんでもいいから、重箱に詰めろぉー…」


一輝はただただ食欲が沸いただけだった様で、


付け合わせとはあまり被らない料理を重箱に収め、一輝に差し出した。


「一万円です」


源次郎は大いに笑った。


「支払ってやるっ!!」


一輝はやけくそ気味に言って、雛は横目でその様子を見て微笑んでいる。


「お兄ちゃんするぃーいっ!!

 その羊羹ちょうだいっ!!」


雛の言葉に源次郎は驚きの眼を一輝と雛に向けた。


全く今まで気付かなかった様で呆然として立ち尽くしている。


「デザートがあるって源次郎が言っただろ…

 これはオレのだっ!!」


「あ、そうだったわっ!!

 源ちゃん、デザートちょうだいっ!!」


「へ、へい、今、すぐに…」


源次郎はようやく眼が覚め、冷蔵庫に足を向け、


雛専用のデザートを冷えた皿に盛りつけた。


「うわぁーっ!!

 こっちの方がすっごーいっ!!」


雛は大声で喜んでいたが一輝は気に入らなかった様で、


デザートに箸を突き立てようとしたが、


雛がスプーンでその箸をブロックした。


「おふたりはご兄妹で…」


「まあな。

 血は繋がっていないが兄妹には違いない。

 雛の祖母と、オレの父が結婚したから、

 正確には兄妹とは言えないけどな」


「兄妹でいいの!

 …お兄ちゃんがいたからビックリしちゃったわっ!!

 お兄ちゃんもここで?」


「ああ、オレはいつも少し前の時間で、

 いつもなら今頃は家についているころだな」


「私、今日は撮りが早く終わったから。

 一体、いつから?」


「この店ができてすぐだから、もう一年だな」


雛は気に入らない様で頬を膨らませた。


雛がこの店に始めて姿を見せたのは半年前だ。


それ以来、融通の効くこの店を気に入ってくれた様で、


ほぼ毎食この時間には必ずここに来て何かを食べている。


雛が、少し上目遣いで源次郎を見ていた。


「源ちゃんに、お願いがあるんだけど…」


雛は一冊の台本をカバンの中から出した。


「セキュリティーターミネイト…

 雛さん、この大作にっ!!」


源次郎は大いに驚いた。


映像化不可能と言われたこの作品に雛が出るようだと、


源次郎はファン意識を持って満面の笑みを雛に向けた。


「私なんて脇に決まってるじゃない…

 主役は源ちゃんなの。

 もう決まったことだから、よろしくねっ!!」


「…い、いやぁ…

 もう決まったって…

 オレ、俳優でも何でも…」


「台詞回しの練習だけ付き合うわ。

 それに、それほど台詞ってないもんっ!!

 源ちゃんの行動と容姿、そしてその声。

 私が気に入って監督に提案したのよ。

 そしたらね、監督の方が乗り気になっちゃって。

 明日から俳優デビューだから、よろしくねっ!!」


「いえ、ですが、オレにはこの店が…」


「閉めて」


「雛っ!!

 いい加減にしろっ!!

 オレの美味い飯をどうしてくれるんだっ?!」


源次郎は一輝の言葉に、微妙に喜んだ。


「確かに、お兄ちゃんの様子から、

 源ちゃんの作ってくれるご飯は最高だと感じたわ。

 でもね、源ちゃんは俳優として一斉風靡できるのっ!!

 それをこの私が望んで何が悪いのっ!!」


確かに、


この大女優の越前雛に楯突くものは誰もいないだろうと源次郎は思っている。


まさにその通りで、雛に気に入られないと、


現場では干され、映画であろうがドラマであろうが交代劇が相次いでいるのだ。


だが雛はそれほど無茶な事は言っていないという。


雛が常識的で、それ以外の役者に原因がある事がほとんどだという話しだ。


「雛さん…」


源次郎は眼を泳がして台本のある一部分に釘付けになった。


「…漣蓮子さざなみれんこ…」


「この作品だけを書き上げて忽然と消えた漣蓮子の作品よ。

 源ちゃん、まさか知り合い?」


「木下澄美ってご存知ですよね?」


「当然よっ!!

 何度も木下先生の作品の映画やドラマに出させていただいたわっ!!

 大ベストセラー作家じゃないっ!!

 お会いした事はないけど…

 って、木下…

 源ちゃんも…」


「富山の田舎で農業と作家活動を…

 まさか、セキュリティーターミネイトも書いていたとは知りませんでした…

 驚きです…」


雛は一瞬固唾を呑んだがここは踏ん張った。


「そんなことはどうでもいいのっ!!

 源ちゃんの奥さんなのっ!!」


雛は絶叫に近い声で源次郎に詰め寄った。


「いえ、親友で戦友です。

 本名は巌剛がんごう澄美。

 苗字があまりにも固いので、

 オレの木下を勝手に使っているだけです」


雛は怪訝そうな顔を源次郎に向けている。


「今日、陽が昇ると来ると思います。

 この店の経理の方を担当してもらっているので」


「いいわっ!

 対決よっ!!

 私が勝ったら、映画に出るのっ!

 いいわね、源ちゃんっ!!」


源次郎は訳がわからず、頭の上にクエスチョンマークを浮かべている。


「雛、お前の言い分、意味がわからん。

 わかるように説明しろ…」


「私が源ちゃんのお嫁さんになるんだからっ!!」


源次郎は躍り出したいほど有頂天になった。


だが、澄美と対決する必要がどこにあるのか、源次郎は考え込んだ。


「女の勘…

 澄美さんは、源ちゃんに惚れているはずだわ…」


源次郎は何も言えなかった。


その節は確かにあると思ったのだ。


だが源次郎としてはその気持ちはサラサラなかった。


施設にいる孤児たちはみんな兄弟という気持ちで育っている。


そして源次郎は、雛と出会うために東京に出てきたのだ。


「先に言われてしまいました。

 雛さん、大好きです」


オレの言葉に、一輝が嫌々手を叩いている。


「オレはこの日を待ち焦がれていました。

 ですが、まさか、俳優になれとは…」


雛は満足そうな笑みを源次郎に向けた。


「私、全て調べて知っているの。

 鷹取紗里奈…」


源次郎はその名を聞いて息が詰まった。


それは源次郎の母親の名で、


今はアメリカハリウッドで超一流女優として名を馳せている東洋系アメリカ人だ。


「その血を十分に継いでいると感じるわ。

 今の存在感だけでも、中堅以上の俳優の素質を遥かに越えているもの。

 そして父親は、世界のミストガン財閥の党首、

 不幸な死を遂げたショー・ミストガン。

 これを知った時の方が驚いちゃったわよ…

 そして、源ちゃんはビジネス界にも進出できる器も持っている。

 農業ではもうすでに大注目されているわ。

 でもここはあえて私のために俳優デビューして欲しいのっ!!」


雛は真剣な眼を源次郎に向け、深々と頭を下げた。


「…一輝さん…」


源次郎は困り果て、一輝に助けを求めた。


「オレが反対しても雛は言うことは聞かんぞ。

 特に間違った事は言っていないからな。

 …美味い飯を喰えなくなる事は残念だが、

 ここはチャレンジしてもいいんじゃないのか?

 ダメだったらまた店をやればいいだけの話しだっ!!」


源次郎は一輝の話しに乗って、雛の言い分を聞くことに決めた。


~ ~ ~ ~ ~


半年後、久しぶりに真夜中の道すがら食堂の店先に暖簾が上がった。


我先にと常連客たちが押しかけ、清々しい顔の源次郎と再会した。


だが店内は狭い。


15名ずつから、源次郎は手酷い歓迎を受けた。


この日から、月に数日だけ、ここ道すがら食堂は営業を再開することになった。



ちなみに、雛と澄美の女の戦いの決着はまだついていない。


ドラマは、まだ始まったばかりなのだ。



―― 了 ――


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