一対一

「っ!」「なっ……!」

 時雨の目は見開き、牡丹は絶句するように言葉が途切れた。

「何を言っているのですか! 私達が一体何の為にここに来たと思っているのです! ちゃんと事態を把握してください!」

 真横で牡丹が怒鳴り散らす。頭に昇っているのか、支えている腕を引き寄せ、その豊満な胸をあてがっている事にすら気付いていない。

 普段なら嬉しいハプニングと思うかもしれないが、そんな余裕なんて今は持っていない。

 大地は優しく牡丹の腕を払った。ちゃんと自分の力で、二本の脚で立った。

「我ながら何を馬鹿な事を言ってんだと思うよ。サラの事だってあるし、どんな手を使ってでも、あいつに勝つべきだって、馬鹿でも分かる」

「分かっているなら、どうしてそんな事を!」

 牡丹の鋭い視線は大地に向けられる。牡丹も時雨も、自分の為に、サラの為にここまで駆けつけてくれた事は重々承知している。口にした台詞が、二人の行動を無下にしてしまう事も理解している。

「……理由を聞こうか」

 時雨は冷静に大地を見据えている。その奥の見えない深みのある目は、真意を捉えようと真っ直ぐに向けられた。

 時雨のその眼差しには、嘘はつけない。

「……どうしてそう思ったのか、正直自分でもよく分かっていないです。会長と牡丹の姿を見た時、これ以上にない味方が来たと思ったくらいだ。心強くないわけが無い」

「それなら何故、一人で戦おうとする」

 聞かれて、大地はボロボロになった左手を前にかざした。

 たったの一発だけだったが、あの男に届いた左手。

 今、黒い模様は浮き出ていない。

「分かんないですが、この戦いだけは……あの男にだけは。俺一人で立ち向かわなきゃって思ってしまったんです。あいつが同じ力を持っているせいかもしれないし、サラの実の兄貴だから、って理由も、たぶんあります……」

「だからと言って、お前が一人で戦う理由にはならんだろう」

 かざした左手を握り締める。

「あいつはれっきとした、俺の壁なんだ」

「壁……?」

 拳の先に見える、時雨を、真っ直ぐに見つめる。

「あいつをぶっ飛ばさないと、目の前に聳え立つ壁をこの手でぶっ壊さないと、俺は生闘会としても、男としてもここで終わる……。ここで何も出来ない奴が、これから会長や牡丹と肩を並べる事なんて出来ないし、それに――」

 大地は、サラの方に目を向ける。

「あいつの兄貴だなんて、とても言えねえ。この程度の壁を越えられないなら、所詮そこまでの『小僧』なんだ」

「そ……」隣で聞いていた牡丹が憤慨した様子で口を開いた。「そんな意地を張っている時ではないでしょう! 何の為の生闘会ですかっ。何の為の仲間ですか! あなたがボロボロになっていく姿を見る為に、私は生闘会に入ったわけではありません!」

 牡丹が怒鳴り散らず。乱暴なもの言いなのに、その言葉の中に、彼女の優しさが詰まっている。

 大地の事を大切に思っているが故の怒り。牡丹の想いも十分に伝わっている。

 だがそれでも、この決意を引っ込める事なんてできない。

 目の前に立つ時雨は黙って見つめている。その表情は硬い。

「私は仮にも空澄美高校の生闘会の会長だ。お前や牡丹の命を預かる立場にある」

「会長の立場は分かっているつもりです」

「分かっているものか。お前があの男に命を奪われるような事があれば、私は生闘会会長失格だ。目の前で仲間が死ぬなんて、そんな事は絶対にあってはならない。もしお前を見殺しにするような事態になったら、私の存在価値もそこで無くなる」

 冷たい口調。感情的だった牡丹とは正反対に、淡々と言葉を紡ぐ。

「貴様が勝てなければ、一人の女子があの男に捕らわれ、確実に不幸になる。その上私達も、貴様を失う事になれば正常にはいられまい。それでも、そのくだらん意地で一人で戦うというのか?」

 正論と共に時雨の鋭い視線が刺さる。

 時雨の言う事は何一つ、間違っていない。この一つ年上の先輩を納得させられるような台詞もロジックも、何も持っていない。

 だから、これしか言う事がない。

「勝てるとか勝てないとか、そんな打算的なもんじゃない。どんなんだろうが今ここで、俺はアイツに立ち向かわないといけないんだ」

 その台詞を聞き、時雨はゆっくりとその瞳を閉じた。

 再び目を開いた時には、視線の鋭さは無くなっていた。毒気を抜かれたような顔を時雨は見せた。

「……それでも、俺は負ける気なんて一切無いですけれど」と大地は後付けする。

「……本当に、お前には呆れてものも言えんな」

 先程よりも、少し顔つきがやわらかくなったように見えた。

 きっと、馬鹿な男だと、内心笑っているかもしれない。

「会長……」

「しかし、今回は私が判断する事じゃない」

 時雨は、サラの方へ振り返る。

「ということだサラ。私はこの一戦を、この馬鹿者に一任する事にしたが、お前が望むなら、私たち全員の全力を以ってお前の兄を斬り伏せよう。なに、この男一人でも、お前は無事に私たちのもとに帰って来られる。なんたってこの馬鹿は負けないと、そう『約束』したのだからな」

「……私は――」

 大事なのはサラ本人の思いだ。たかが少年の拳一つに自身の未来を託すなんて、馬鹿げている。サラがレオンの脅威から免れる為に、生闘会の全員の助けを必要と考えるなら、そうするべきだ。

 しかし、それでも。

「私は……最初からあんたが負けるなんて、少しも思っていないわよっ!」

 分かりやすい嘘。これほどボロボロの姿を見せて、不安にならないわけが無い。

 こんな醜態を見せた今でも、少女は、少年に託すと決めたのだ。

「あったり前だっ。こんなオールバック野郎なんざ、端から俺一人で十分なんだよ」

 その一言で、どれだけ大地の闘志は燃え上がる事だろうか。

 時雨の隣で、牡丹が全く腑に落ちないといった表情を浮かべている。

「そういう訳だ牡丹。おとなしくあの馬鹿を見守ろうじゃないか」

「納得できません。会長は、これ以上にもっと大地が傷つくところを黙って見ろと、そう仰るのですか?」

「なんだ牡丹。お前は月島大地という男が、結婚式でも着なさそうな、あんな趣味の悪い白スーツを着飾った男に負けると思っているのか?」

「そんな事は微塵も思っていません!」

 即答。言いながら即座に、牡丹はハッとした顔を見せた。

 あくまで牡丹は最良の選択肢があるにも拘わらずに、それを選ばない大地たちに納得していないだけだ。ただそれだけで、大地が負けるなんて事は牡丹も考えていない。

 ビルの屋上から何の躊躇もなく飛び出せる男が、一人の少女の為にいくらでも泥を被る男が、自分の信頼を裏切るなんて事はしないと既に知っている。

「だったら、お前も腹を括れ、牡丹」

 言いかけて牡丹は止めた。大地も大地だが、会長も会長だ。一度決めたら曲げることはない。

 牡丹は渋々言葉を噤んだ。大地が、時雨がこうなってしまえば、不承不承ながらも了承せざるを得ない。

 ガッと、牡丹が大地の両肩を掴んだ。唇を噛み締め、覚悟を決めたように大地の目を睨んだ。

「勝つなんて当たり前ですっ。もしも、もしもっ。負けるような事があれば、私があなたを介錯します。私の刀に無駄な血を浴びせるような事は、絶対に許しませんから」

「牡丹……」

 牡丹の手に力がこもっているのが、両肩から伝わってくる。

「心配すんな」

 今度は大地が、牡丹の小さな肩を優しく叩いた。

 同時に踏み出したその足は、力強く地を掴んでいる。

「終わったら、またみんなで晩飯食おうぜ」

 三人の少女に見送られ、少年は進む。ボロボロの拳を、一人握り締める。

 自分の身体だ。どう足掻いても、次で、最後の最後だ。

 勝利を願う女神三人がこの背中を見ている。期待している。こんな土壇場でも、やはり大地はこう思う。

「ははっ。負ける気がしねぇ」

 見据えるは、現時点最大で、最強の壁。

「最後だ。決着つけようぜ。趣味の悪い白スーツ野郎」

「……死に損ないが」

 レオン=フローレンスと、再び合間見る。

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