戦線復帰
「――はぁ、ハぁ……」
目の前に、冷たいコンクリートが広がる。
視界が戻った時、自分の呼吸が酷く荒れている事に気付いた。
血と涎が混じった液体があたりに散っている。それが自分がやったものだと気付くのに、少しの時間を要した。
「お……れ、は……」
軋む身体から悲鳴が上がる。大地はゆっくりと顔を上げた。
目の前に、いつも見慣れた二人の姿がある。二人は蹲った姿勢のこちらを見下ろしている。
「か、会長……牡丹――?」
「ずいぶんといい面構えになったな、大地」
「あなたの無鉄砲ぶりに振り回されるこちらの身にもなってください。以後、おとなしく私の言う事を聞いてもらいますから」
普段となんら変わりないやりとり。ふたりとも呆れたような、それでいて嬉しそうな顔を浮かべている。
「――っ」
大地は直感する。俺はこの二人に、ギリギリのところを救われたのだと。
聞き間違える筈が無い。あの時、真っ暗な世界で聞こえてきたのは、時雨の声だった。
「どうした? 人の顔をじっと見つめて」
「……会長」
「礼などいらんぞ? 私は当たり前の事を言っただけだからな」
大地の言葉を遮るように、時雨は答えた。「そんな事より、上でベソ掻いているサラに顔でも見せたらどうだ?」
言われて目を上に向けた。泣きじゃくったサラの顔がこちらを見ている。
「大地……よか――、よかった。馬鹿ッ。グールに飲み込まれた時、本気で心配したんだから!」
「……すまん」
「サラ。もう少し我慢していろ。すぐに終わらせる」
時雨は視線を向ける。その先には、愕然とした表情を浮かべたレオンの姿。
対してレオンの目はこちらに、大地に向けられている。
「…………」
直後、流れるような動きでその銃口を大地に向けた。間髪いれずにその引き金をレオンは引いた。
「っ!」
大地の視界が何かに覆われた。
銃口から弾き出された漆黒の弾は、大地には届いていない。広げられた黒い扇子が射線を遮っていた。時雨の扇子だ。
時雨が手に持っている扇子は、対グール用に作られた専用の武器だ。ダウジングに特化した紫石とは別に時雨は装備している。最近は前線に出る事も少なく、武器を構えている時雨の姿を目にしたのは大地も久々であった。
「空気の読めない奴だな」
勢いを殺された銃弾は力なく地に落ちる。
「まさか、あの状態から意識を取り戻すとはな……!」
硬い表情は変わらない。だが、月島大地の今の姿に、その台詞は少なからず嘆じている。
「全くだ。流石に俺も終わったと思ったんだけどな。どういうわけか戻って来られたよ」
「だから言っただろう。私の仲間を馬鹿にするなとな。この男は殺しても死なないような奴だ。たかがグールの力が暴走したくらいで、この馬鹿者はくたばらない」
自信満々に時雨は言い放つ。
「おい、俺は褒められているのか? 馬鹿にされているのか?」
牡丹に尋ねる大地だが、「さあ、どうでしょうか」と牡丹は半分笑って濁す。
改めて、大地はレオンを見据える。
数の利で言えば、レオンは不利な状況の筈。しかしそれでも、
「……だが、その小僧が元に戻っただけだ。貴様ら小娘が二人増えようが、この先の結果は変わらん」
優位は断然こちらにあると、端的に言っている。
この男の変わらずの自信は、揺るがない。
「……」
大地は、二人の仲間の背中を見た。
二人共、大地よりも一回り小さく華奢な身体つきだ。それなのに、その背中から信頼に値する程の熱が発せられている。
この二人が加われば、怖いものなんか一つも無い。いくつもの修羅場を潜り抜けてきた二人だ。その実力は折り紙つきだ。
事態が事態だ。自分を含めて三人で、あの男と闘えばより確実に、サラを取り戻せる事が出来る。
不意に、拳に力が入る。
分かっている。優先すべきはサラの奪還だ。だからこそ俺は、ここまで身体を張ってんだ。
そう、頭では理解している。なのに。
「――っ」
身体の奥深く。理性ではない何かが訴えてくる。
「大地、まだ動けるか?」
時雨が顔だけをこちらに向けた。時雨も牡丹も、既に戦闘体勢に入っている。
おかしい事だと分かっている。間違っていると言ってもいい。
それでも――言わずには。覚悟せずにはいられなかった。
震える身体を押さえつけ、立ち上がる。
「会長――っ」
言いながら、視界がぐらりと傾いた。
「大地っ」
咄嗟に牡丹が肩を支える。
馬鹿な野郎だと、言われなくても分かっている。一人で立つ事すらままならない状態なのに、こんな事を言うのは。
「会長。ここは俺一人で、やらせてください」
勝手に、口が動いていた。
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