窮地
その拳は、レオン=フローレンスにしかと届いていた。
呼吸が激しく乱れているのがその証拠だ。衝撃は計り知れない。もろに拳を受けた胸を必死に押さえている。
視線の先。月島大地が崩れ落ちる姿が見えた。
やはり、身体は既に限界を迎えていたのだ。レオンにしてみれば、こうなる事は容易に予想できた結果だ。
「……当然の結果だ。小僧」
獣の姿のように、両膝と両手をついて地面に伏せている。そこから人間の声とは到底思えない、低く唸る音が倉庫内を響かせた。
レオンは月島大地に向かって一歩、その足を踏み出す。
だが、足を前に出した途端、ぐらりとバランスを崩した。
「――――っ!」
身体が、思うように動かない。
レオンは直ぐに異変を察した。身体の奥から異物を排除しようと反応を示す。
目の前に鮮血が散った。
口の中に鉄のような不快な味覚を感じた。口角から血が滴り落ちた事で、体内に深くダメージを負っている事に気付いた。
身体の異変に追い討ちをかけるように、レオンの視界も徐々に曇ってゆく。
(――空澄美のグールの力……これほどとは――)
ここで毅然として立ち上がらなければ、どちら勝者であるか分からない。
「……」
レオンは身体の事など構わず、そのまま歩を進めた。
目前の敵を見下ろす。
月島大地はこちらにかまう事すら出来ないようだった。ただその身体を震わせ、その場に蹲っている。
「無様だな。小僧……」
この挑発すら、いまの月島大地には届いていないだろう。その証拠に、こちらに顔を向けて睨む事すらしてこなかった。
「ガァぁあ! ギッ……グッあぁぁッ!」
必死に何かに抗う音だけが、レオンの耳に届く。
自身をここまで追い詰めた当の本人が、逆に追い詰められている。
それはレオンが追わせた傷で、ではなない。自身の中にあった「黒い力」に押しつぶされようとしている。
左半身を覆っていた影が、本人の意思に関係なく不規則に蠢いている。身体の表面を漂っていた影は、いつの間にか大地の右半身にも及んでいた。もはや、グールそのものになりかけている。
完全にグールと化したなら、問答無用で近くにいる人間、この状況ではレオンを標的に襲いかかってくるであろう。そうならないのはまだ、精神の水際で月島大地が必死に抵抗しているからだ。
膝を着いて蹲ったまま、まだかろうじて、耐えている。
「だいち! だいち!」
サラの悲痛な叫びが呻き声に混じる。今まで見せた事の無い少年の姿に気が動転しているのか、拘束を振りほどこうと必死に抗う。
「離して! 離してよ! 大地が……このままだと大地が――!」
「もう遅い」
「っ!」
淡々と、レオンは答える。
「ここまでグールに侵食されたら、後は時間の問題だ。この状態から元の人格を取り戻した者など、俺は過去に一度も目にした事が無い」
フローレンス家はグールの生態について、実験、研究を人知れず影で重ねてきた。その知識の積み重ねは、現当主であるレオンにも受け継がれている。
経験からの観測、そして結論。少年がこの姿を見せた時点で、察していた。
「こいつはもう、元には戻らん」
「そ――」
その一言は、義妹を黙らせるには十分な一言だった。
「……この俺に勝つ為に振るっていたグールの力に、逆に牙をむかれるとはな。なんとも、小僧らしい結末だな」
見下ろし、レオンは吐き捨てる。自分の皮肉に反応できない事も別段驚きはしない。
レオンは背筋を伸ばした。意識をその手に集める。
指の先まで真っ直ぐに伸びたその手は、高く振り上げられた。
グールの力を宿したレオンの手刀。振れば鉄柱でも寸断できる鋭さを持っている。
「せめてもの情けだ、小僧。まだ人間であるうちに、その息の根を止めてやる」
「やめて! もうやめて兄さん!」
義妹の言葉など、聞き入れるつもりは毛頭ない。
その切っ先は月島大地の首に狙いを定める。
「楽にしてやる」
その手は、目に見えない速度で振り下ろされた。
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