再戦3

「………………え?」

 空気が固まる。

 少年は確かに言った。明日の晩御飯はアジの開きだと。

 サラは自分が今どういう状況なのか分かっていながら、無意識にキョトンとした表情になった。そんなことに少年はお構いなく、

「いやー、箸の練習をするんだったら、やっぱ魚かなって思ってよ。それにお前食べたことないだろ? あれ見た目地味だが物凄い美味いんだぞ」

 間抜けな顔で何を言い出すかと思えば……

「そ……そういうことじゃないでしょ!? なんで今、明日の夕飯の話をしてるのよ! この状況わかってんの!?」

 サラは先程とはうって変わって、物凄い剣幕な表情で大地に怒鳴り散らした。身体はグールに捕まれて不自由なのに、今にも拳が飛んできそうな勢いだ。

 その様子に、大地は「ハハっ」と笑みを浮かべる。

 ここに来てやっと、少女が普段の表情に戻ったから。

 やはり、このワガママ娘はその顔の方が似合ってる。

「なに笑ってるのよ!」

「わるいわるい。サラ、やっぱお前はしみったれた表情より、そっちの方がいいわ」

「え? ……」

「分かってるよ。どういう状況かなんて……」

 大地は一度、大きく深呼吸をする。そして、落ち着いた表情で、

「だから、さっさと帰るぞ、あの家に。反省するのはその後だ」

「あっ――」

 その態度は堂々としていた。さぞ当たり前のように、大地は言ってのけた。

 帰る。

 たったこれだけの一言で、少女の決めた覚悟や決意を、目の前の少年は軽々と吹き飛ばす。

「貴様ぁ! ふざけるのも大概にしろぉ!」

 倉庫内に憤怒の声が響き渡る。横で聞いていたレオンが、これまでになく激昂した態度を見せた。

「言うに事欠いて連れ帰るだと? 寝言は寝て言え!」

「ああ、そうだな。俺は眠たいんだよ。明日も学校あるし。だから、あいつを降ろしてくれよ。さっさと帰るから。つーかエラく口調が変わってんな。そんなに自分の思う通りに事が運ばないのが腹立たしいか?」

 挑発にも似た返答を受けて、レオンは更に顔を歪ませる。

「貴様、本気で言っているのか?」

「俺はいつでも本気だよ」

 二人の視線が交錯する。大地は初めてこの男に会った時のような、恐ろしさは感じていなかった。それは相手が恐くなくなったとかではない。レオンの冷たく鋭い視線は変わらず、大地を眼だけで殺さんと射抜く。

 だが、今の大地にはそんなものが気にもならない。

 変わったのは少年の方。

 大地は、かつてないほどまでに怒っていた。自分の妹を悲しませるようなことしか出来ない、目の前のこの男に。怒りが限界を超えて、自身で制御がきかない程に。

「フハハハハ!」

 急にレオンは上に顔を上げて声高らかに笑い始めた。

「本当に貴様は分かっていないな!」

 ひとしきり笑い声を挙げ、大地にその視線を向き直す。

「なにがだよ?」

「貴様は妹の、サラの本当の正体を知らないのであろう! だからそんなふざけたことが言えるのだ!」

「正体?」

「やめて!」

 上空から声が響く。

 レオンの言葉に過剰に反応したのはサラだった。血の気が無くなっていると思われんほどに青ざめた顔で、必死にレオンに懇願するように叫んでいだ。

「言わないで! 大地には関係ないんだから! 私は義兄さんの言うことを聞くから! お願いだから……それだけは言わないで……!」

「……それほど小僧に知られるのが嫌なのか。悪いが、その願いは聞き入れられん。恨むなら、この諦めの悪い小僧を恨め」

「い……や……」

 非情にも、レオンの言葉はサラの気力を奪ってしまう。

 サラには一瞥もくれず、レオンは口を開いた。

「よく聞け小僧! 我が義妹はその身体に、グールに対抗しうる、とてつもない力を宿している。しかもそれは貴様のような外付けの能力ではなく、生まれながらにして持ちえている純粋な能力者としてだ! これがどういう意味か分かるか?」

「…………」

「それは即ち、『人間』ではない別の存在だということだ! 兵器と呼んでもいい! 見た目は我々と何ら変わりないが、内にあるものは全くの別物! これで分かったか? 貴様は人間ではなく化け物を、兵器を、知らずに連れ帰るつもりだったということに!」

「…………」

「分かったなら、早々に立ち去れ!」

「………………」

 ――――何言ってんだ? こいつ。

 そんなことを聞いて、俺が怖気づくとでも思っているのか?

 ふざけるな。たかだかそれくらいのこと、今さら聞いても何も思わねーんだよ。

 さっきからムカッ腹が立ってしょうがねぇ。一番ムカつくのが、こいつのサラに対する認識だ。こんな奴が一緒なんじゃ、あいつはいつまで経っても笑えねえだろうが。

 自分の妹を化け物だの兵器だの言う奴に、黙ってサラを渡す訳ねーだろうが!

 故に、口から出てくる言葉は、

「だからどうしたよ?」

「な……!」

「……大地……?」

 予想をしていなかった反応を見せられて言葉を失っているレオンを無視し、大地はサラの方に向き直る。サラのしみったれた顔を見て、ニシシ、と笑顔を向け、そして大きく息を吸った。

「サラぁ! 俺は前にも言ったよなぁ! お前の過去とか、グールがどうとか、そんなもんに毛ほども興味ないってよぉ!」

「だ……」

 その声に、サラは沸きわがる気持ちが抑えられなくなる。自分には資格がないと散々分かっているのに、少年の声は全てを否定し、心の奥深くまで届く。あんないい加減な奴なのに、デリカシーのかけらもないのに……

「だから、お前が何者だろうが俺にとっちゃあどうでもいいんだよ! っても、俺も似たようなモノ持ってるしなぁ! 途中で投げ出すくらいなら、最初っからお前みたいなワガママ娘の面倒なんざ引き受けねーよ! 言っとくけど俺だけじゃねーぞ! 会長も牡丹も俺と同じだ! そんなちっぽけなことなんて気にしねぇ!」

「だい……ち……」

 乱暴に放たれたその声は、少女の全てを受け入れるように、全てを包み込むように優しかった。心地よかった。この気持ちを抑えなくてもいいんだと、少女は我慢していた感情が、抑えていた気持ちが、その碧い瞳に溜まっていく。

「さっさと正直に言え! お前が言いたいこと、我慢していたことを全部吐き出しちまえ! 遠慮なんかする必要ねーぞ! お前が言った事を、お前が望んだ事を一つも溢さず受け止めてやる! だって俺達は、同じ屋根の下で暮らす――」

 何も心配いらない。それがちゃんとサラに届くように、今度は言葉にして、はっきりと――。

「家族なんだからな!」

「大地!」

 感情が涙に変わり、一気に頬を伝って流れ落ちる。とめどなく流れるその雫は、少女のその可愛らしい顔はくしゃくしゃにしてゆく。

 少女は嬉しかった。

 私が何も言わなかったのに、大地は分かってくれた。理解してくれた。いつの時でも、私が欲しい言葉を、大地は言ってくれる。

 もう我慢しなくてもいい。気持ちを抑えなくてもいい。

 遠慮なんか要らない。しない。したくない。

 少女はお腹に力を入れて、命一杯叫んだ。

 家族に頼るように、少年に届くように。

「たすけて! 私は帰りたくない! もう一度あの家に……大地と一緒に帰りたい!」

 切なる想いが、少年の心にしっかりと刻まれる。

「……上出来だ!」

 大地の中に、何かが湧き上がる感覚を感じた。グールの力を呼び出す時の感覚と似ている。けれど、これはもっと熱く、もっと激しく、荒々しい。

 大地が抱く感情が、そのままエネルギーに変わっていくような、無限に力がわいてくるような、そんなイメージ。

 初めてレオンと対峙して、倒された時。確かに自分は一度、諦めかけた。敗北を認めそうになった。

 そんな弱さはもう、身体の何処にも残っていない。あの時よりも遥かに今、自身に流れている黒い気配は濃く、好戦的に感じる。

 もう、何も考えることはない。やることは唯一つ。

 サラは素直にさらけ出してくれた。「助けて」と、自分の意思を伝えた。

 そんな事を言わせたクソヤローには、一切遠慮する必要はない。

 レオンが歯噛みをするように、上空のサラを睨んだ。

「……あの馬鹿者が……一時の感情に流されおって」

「一時の感情? ホントにお前は分かってないな?」

「なに?」

 大地は向き直り、目の前の敵を鋭い視線で貫く。

 安っぽいが、今の心境にぴったりの言葉がある。

 ――なんだか、負ける気がしねぇ。

 今からやることは単純明快だ。少女が泣いている元凶であるこの男を、思いっきりぶっ飛ばせばいいだけのこと。

 少女の家族として、そして兄として。

 ただ、それだけのこと。

「よくも俺の妹を泣かせてくれたなぁ、このパツキンオールバックが。この落とし前は、今からきっちりつけさせてもらうからな!」

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