再会1

「久しいな、我が妹。元気そうで何よりだ」

 長い間会ってない者が言うありきたりな台詞だが、その言葉に感情なんてものはない。この男はただ、見たままのサラの様子を口にしただけだ。

 レオンはグールの背中から飛びおり、通りに着地した。

「しかし、思ったよりも悪運は強いようだな。あの高さから落下しても、こうして生きながらえているとは」

「っ――」

 その言葉で、サラは思い出した。

 ――そういえば、あのピンチを救ってくれたのも、大地だった。

 思い出し、またさらに、少年の存在の大きさをこの身に感じる。

 このタイミングであろうことか、もしかしたら、この男に感謝しなければいけないかもしれない、とサラは思った。

 少年に巡り会わせてくれたこと、少年という存在の大切さに気付かせてくれたことを。

 しかし、その考えは直ぐに、別の感情へとシフトする。

 少女は静かに拳を握った。

「なんだ、その目は?」

 レオンは向けられた視線が、今までこの少女から向けられたことのない類の視線だということに直ぐに気付いていた。

 今までサラにとっては、義兄の存在は恐怖の対象でしかなかった。自分の境遇をこの男のせいだと恨んだことは数え切れないほどあるが、それでも、本人を前にすればそんな感情を向けられないほど、その目は鋭く、冷たく、恐ろしいものだった。

 その眼で見られるのが嫌だったから、屋敷を抜け出したと言っても過言ではなかった。少しでも遠く、義兄の存在から離れたいという一心でこの町まで逃げてきたのだから。

 今も身体が拒否反応を示す。この男の前から少しでも離れたいと、白く細い足が勝手に逃げ出しそうになる。

 でも、逃げない。

 少女は初めて目の前の恐怖に、逃げるのではなく、立ち向かう。

 理由はある。この男は少女の大事なものを酷く傷つけた。

 少女の目に宿るのは、恐怖でも怯えでもない、ただただ純粋な、怒り。

「あなたが大地をあんな風にしたの……?」

「ダイチ?」つい先刻に聞いた名前を出されて、思い出す。

「あの小僧のことか。止めはさせなかったが、あの状態ではしばらく……」

 言い終わることも待たず、

「……何の真似だ?」

 二人の身体が衝突する。

 首元を目掛けてサラは突き出していた。あの家を訪れてから、一度も使わなかったナイフを。

 だがその切っ先はあと一歩、届かなかった。寸でのところで手首を掴まれ、その狂気を止められた。

 掴んだ手と掴まれた腕が激しく震える。レオンは大きく腕を振り払う。サラは何の抵抗も出来ないまま、その華奢な身体が振りほどかれ、レオンから強制的に引き離された。

 通りの壁に背中から激しくぶつかり、サラは崩れるように地面に横たわった。背中を激しくぶつけたせいで、酸素が上手く吸えない。だがそれでも、強く握られたナイフは手放さなかった。

「どういうつもりだ」

 レオンは自分の妹がとった行動に理解が出来ない様子でいた。こんなことをして何になると冷たく諭すように、その碧い眼を向けた。

 かつては向けられることすら嫌悪していた、その眼。

 サラはその眼に微塵も臆せず、毅然として睨み返した。そしてすぐさま立ち上がり、再びナイフを構え、目の前の男に絶対的な敵意を乗せた刃を翳す。

 ただの突進と何ら変わりない、少女の攻撃。レオンは片足を半歩下げて身体を捻り、ナイフを持った手を横から弾いた。そのまま刃の進行方向を強制的に変える。

 かわされたと分かったサラは、すぐに足に急ブレーキをかけた。身体を反転し、レオンを視界に捉え、一足飛びで再び間合いに飛び込む。

「無駄だ」

 その言葉と同時にレオンは僅かに首を動かした。サラの攻撃はまたも空を切り裂き、ナイフの切っ先は顔一つ分横にずれる。しかしそれだけではなかった。

 今度は両手で腕を捕まれた。

「!」

 次の瞬間、身体が宙に浮き、視界が上下反転する。その時になってやっと、自分が投げられたのだと気付いた。

 容赦なく、その小さな身体は、泥と雨水が混ざった地面に叩きつけられた。

「答えろ。どういうつもりかと聞いている? まさか、私を倒せると本気で思ったのではあるまいな」

 叩きつけられてもなお、握り締めたナイフは離さなかった。その瞳に宿した怒りは収まる事はなかった。

 それは意地でもあった。大事なものを傷つけられて絶対に許さないという、その小さな身体に秘めた少女の意地。

 サラは捕まれた腕を振りほどき、仰向けの状態だった身体をうつ伏せに反転させる。震える膝を無理やり立たたせて、再び立ち上がる。

「上昇した身体能力のみに頼っているような戦い方では、、私を殺すなんてことは不可能だ」

 レオンが言ったとおり、確かに紫石で身体能力を向上させてレオンに歯向かっていた。紫石がなければ、どこにでもいる普通の女の子と変わらない。道具に頼らないと、この男には対等に戦う事すら出来ないと少女は知っている。

 こんな無茶をしなくても、この男には適わないことを少女は分かっている。

 ゆっくりと口を開いた。

「私は……あなたが怖い……本当を言えば、ここから直ぐにでも逃げ出したい」

「突拍子もないな。一体何の話だ。お前が私を恐れていることぐらい百も承知だ」

「けど――」

 その瞳は決して怯えた色を見せなかった。ただ真っ直ぐ、己の中にある気持ちをその眼光に乗せて、ぶつける。

「それ以上に、大地を……大切な人を傷つけたあなたが憎い!」

 今まで、他人と関わることなんて皆無だった。母親は自分を生んだ直後に他界してしまうし、友達と呼べる人なんて一人もいない。顔を合わせるのは、自分のことを妹だとすら思っていない冷酷な義兄と、殺される為だけに生み出された紅い眼のグールのみ。

 そんな少女が、地図上でしかその存在を知らなかったような小さな島国で、初めて人と触れ合うことが出来た。人の優しさに触れることが出来た。やっと心から笑えるような気持ちを持つことが出来た。

 だから、少女は抗う事を止めない。

 少年と知り合えたから、自分ではない誰かの為に、怒ることが出来る。少年の優しさに触れることが出来たから、自分ではない誰かの為に、憎むことが出来る。それがたとえ、今まで恐怖の対象でしかなかった義兄が相手だとしても――――。

「私は、逃げない……。あなたが大地に謝るというまで許さない! この刃を手放さない!」

 少女が立ち向かう理由は、それだけなのだ。

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