捜索1

 ひとり留守番をしていたサラは、居間にある壁掛け時計と睨めっこしていた。時計の針は、長針が十一のところを指している。もう少しで夕方の六時を回ろうとしていた。

「一秒でも遅れたら、布団で簀巻きにして思いっきり殴ってやる」

 何処でそんな言葉を覚えたのか、サラはむうっと口を尖らせた。

 大地が家を出た後、おとなしく留守番をするように心掛けていた。やっておかなければならない家事全般は既に大地が済ませていたので、特に何かをしなければならないことはなく、居間にあるテレビでも見て過ごそうとスイッチを入れるが、この国に来たばかりのサラが、見知らぬ土地の情報バラエティ番組なんか観ても、

「面白くない」

 リポーターが小洒落たスイーツを口に入れる直前に電源を落としてしまった。

 そうこうしているうちにお昼を回り、大地に言われたとおりに冷蔵庫からラップにくるまれた昼食をレンジで温めて(聞き慣れないせいか、レンジの音を聞く度に身体がビクついてしまうが)、無事に空腹を満たすが、まだ大地が帰ってくるにはまだ大分先なので、再び時間を持て余してしまう。

「あ、そうだ」

 器を流しに片付けた後、サラは思い出したように縁側に向かう。

 以前、大地が言っていたことを今から実践してみようとした。縁側で日向ぼっこをすると気持ちがいいという言葉が妙に頭に残っていた。

 誰もいないのをいいことに、短いスカートを履いている事もお構いなしに脚を乱暴に伸ばす。サラはごろりと大の字に寝転がり、ゆっくりと目を閉じた。

「……」

 だが、直ぐにその閉じた目を開く。

「……気持ちよくない」

 むくりと起き上がり、不機嫌な表情で空を見上げる。

 それはそうだ。日向ぼっこは天気がいい日にするものであって、こんな灰色の雲が空一面を覆っている時にやるものではない。

「ふん、もういいもん……」

 ふくれた表情のサラは、今度は居間で投げやりに寝転がる。最初はゴロゴロと身体を転がしていたが、次第に動きは遅くなり、いつの間にかピタリと止まっていた。


 そしてハッと気付いたのが、今から一時間ほど前。涎を垂らしていたサラはいつの間にか眠っていたということに気付き、むくりと起きて時計を確認する。あと一時間ほどで大地は帰宅してくると分かってから、少女はこうして時計の前から動かず、じっと短針が六を指すのを待っていた。

 あと一分で約束の時間だ。しかし、一向に帰ってくる気配はなく、少女は次第にイライラした表情を見せる。

「サンドバックの刑だけじゃ済まさないわ。ドラゴンスープレックスにソバットも追加してやるんだから」

 これもどこで名前を覚えたのか、プロレス技を遅れたときの罰のメニューに羅列していく。

 残り三十秒。少女の我慢は限界に達していた。

「大地の馬鹿! もう絶対に許さないんだから!」

 あと十秒。秒針がカウントダウンを始める。六、五、四、三、二……

 サラがあと一秒を刻むのを見届けるとほぼ同時に、玄関の方から戸が開く音が聞こえてきた。

「ッチ。ギリギリで帰ってきた」

 いつの間にか罰の方を楽しみにしていたサラが、残念そうな顔を浮べながら玄関へと向かう。

「大地、こんなぎりぎりじゃあ約束守ったなんて言わせ――」

 それを見た瞬間、

「ない……――」

 言葉を失った。

 我が目を疑った。

 頭が、真っ白になった。

 サラは身体の自由が奪われたように、その場で固まってしまった。

 それは、朝ここで見送った人物と同じとは思えないぐらい、変わり果てた少年の姿。

 服も身体もボロボロの少年が、一人で歩けない程の状態で、二人の人間に担がれて運び込まれていた。

 ――なによこれ……?

 少女は目の前の光景を必死に否定した。

 ちがう。こんなんじゃない。本当は元気な姿で買い物袋を持った大地が帰って来て、私が遅いってお腹を一発殴って、その後はぶつくさ言いながら大地が台所に立って夕ご飯の準備をして、私は手伝いでお皿とかお茶碗の準備をして、一緒にいただきますって言ってご飯を食べて、約束していた箸の使い方を教えてもらう筈だったのに……なのに……。

 なのに。

「どうして、こんなに傷ついてるのよ……?」

 こんなことしか、言うことができなかった。

「とにかく、部屋まで運ぶぞ」

 サラの言葉に返すことはせず、時雨は牡丹を促し、家の中に運ぼうと再び担ぎ上げようとするが、

「ねぇ、どうしたのよ? 一体何があったの? 教えてよ!」

 玄関で切迫したようにサラは牡丹に尋ねる。牡丹は本当の事を言えずにいた。

「それは……」

「誰がこんなことしたのよ!」

 牡丹は必死に状況を知ろうとするサラを前に答えることが出来なかった。困り果てて時雨に助けを求めるように目をあわせる。

 時雨は一度、大きく息を吐いた。

「よく聞け。サラ、おま」

 ガッと、

 それ以上の言葉を吐かせるのを拒むかのように、時雨の腕が強く掴まれた。

「大地っ……」

 晴れ上がってまともに見ることができない目を僅かに開き、切れて血が滲んでいる唇をゆっくりと動かした。

「まだ動くなっ。安静にしてろ」

「かい、ちょう……ダメ……だ」

「っ!」

 短い言葉と訴えるような目で、時雨に懇願する。

「…………ああ」

 それだけで、大地の言いたい事は時雨に全て伝わった。サラには本当の事を言うべきではない。せっかく掴もうとしている笑顔を、俺達が曇らせてはいけないと。

「わりぃ……サラ……約束、してたのに、今日は無理みたいだ」

「な、なに言ってんのよ! アンタは今、それどころじゃないでしょ!」

「お詫びってもんじゃないが、鞄の、なか……」

「か、ばん?」

 サラは牡丹が持っていた大地の鞄を見た。大地の話を一緒に聞いていた牡丹は、鞄の開き中を確認する。

 大地の鞄には当たり前のように教科書の類は入っていない。あるのは適当に入れられたシャープペンシルと空になった弁当箱。それと、

「これは……?」

 牡丹はシンプルな包装紙に包まれた、細長い何かを見つけ、それをサラに渡した。

 サラは包装紙を開き、包まれていたものを確認する。

「あ……」

 包まれていたのは、淡い桃色の下地に、白い桜の花びらの模様が装飾された、少し短い一膳の箸。

「家のやつは……お前の手には少し、大きいからな……結構……高かったんだぞ、そ……れ」

 力尽きて、再び大地は気を失った。

 その姿を見て、サラは沸々と自分に沸きわがるものを感じた。

 改めて思う。やっぱり、こいつはとてつもない馬鹿だと。

 私を子供扱いするしデリカシーはないし人の挑発にはすぐ反応するし……そのくせ事情を話さない私を何も言わずに信用するし、ぶつくさ言いながらもこの家に招き入れてくれるし、箸の持ち方を教えてくれるって約束するし、別に頼んでもないのに、こんなものまでプレゼントしてくるし……

 本当に、どうしようもないくらいに、馬鹿だ。

 謝ったって絶対に許さない。

 大地を傷つけた相手を。

 サラは急に立ち上がると、そのまま玄関の外へと走り出した。

「おい! サラ!」

 時雨の静止も聞かず、少女は暗雲の中に飛び出していってしまった。

「牡丹! お前はサラを追いかけろ!」

「は、はいっ」

 時雨に言われ、牡丹はその場に鞄を置くと、どこに向かっていったかも分からない少女を追いかけていく。

「蜂合わなければいいが……」

 最悪の状況を懸念しながらも、時雨はとにかくと大地を抱え、二階の部屋まで運んだ。

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