撤退2

 大地を担ぎながら、時雨と牡丹は燃える工場を抜け出した。屋内から出れば、瓦礫の下敷きになる心配は無くなる。

 時雨と牡丹の二人に担がれた大地は、未だ意識なくぐったりとしていた。

「こんなに傷を負って……」自分が受けたかのように、牡丹が痛々しい表情を見せる。「何故退かなかったのですか!」

 大地に向けて言ったのに、当の本人から返事はない。

「私がいない時に、無茶しないでくださいっ」

 少年に投げ台詞は、自分に対して返って来る。責めているのは、自分自身だ。仲間の危機なのに、傍にいなかった事を悔やんだ末の吐露だった。

 「大地……」

 時雨は肩の中にいる大地を覗き込んだ。

 元を辿れば、大地一人でここに向かわせたのは時雨だ。

 紫石で現場を特定した時、兆候はあったのだ。少しでも警戒を強めて、チームで行動するべきだった。

 大事な仲間が酷く傷ついたのは、私のせいだ。

「すまない」

「……か、……ん――……」

「っ! 大地っ」

 眠っていたはずの大地が、何か口に出している。時雨は大地の目をみたが、その目は閉じたままだ。

 意識が途切れた状態でも、何かを伝えようとしている。

「か……ば、ん」

「カ、バン……? 鞄か?」

 時雨は牡丹と顔を見合わせた。工場に入る前、フェンスの傍に大地の鞄が投げ置かれていた。

 大地はその鞄を気にしている。

 一体何を気にしているのだと思ったが、こんな状態になっても気に掛けているのだ。大地にとっては、とても大事な事なのだろう。

「心配するな。ちゃんと回収する。牡丹、すまないが頼めるか?」

「はいっ」

 牡丹は大地を時雨に預けて、鞄が置かれていた場所へと向かっていく。

 大地は安心したのか、直ぐに事切れた人形のように、身体を時雨に預けている。

(この男は……)

 時雨も、勿論牡丹も、言われなくても分かっている。この身がズタボロになろうが、決して退けない理由があったという事を。

 この男が無茶する時は決まって、自分ではない誰かの為なのだ。

 その無茶振りには、過去に牡丹、時雨が救われた。

 そして今度は、あの少女の為に……。

 時雨の腕の中で、大地は身体を預けたまま眠っている。

「……お前は重いな。とても」

 時雨は大地を抱えなおし、燃え盛る工場を後にした。



 すでにここは、工場と呼べる程の原型は残っていない。

 炎は何処までも侵食し、壁や天井、通気に利用されていた太いパイプやベルトレーンなんかの残骸は、既に形骸化している。

 ここに留まっていれば、わが身にも危険が及ぶ。

 そう判断したレオンは、時雨達が消えた方向とは正反対に踵を返し、燃え盛る炎の中を静かな足取りで歩く。

 外に出た時、レオンは視線を向けられている事に気付いた。

 敵意ではない。しかし好意的でもない。俯瞰されているというだけの視線。

「見ていたのか」

 つまらなそうな表情を浮かべて、冷たく言い放つ。その言葉の先には、薄く笑みを浮かべて立っている一人の男の姿があった。

「いやぁ、アンタのことやからスマートに事を済ませるかと思っとったが、結構派手にやらかしたみたいやな。既にこの周りには、消防車やら野次馬やらで人がごった返しとるで」

 からかうように男は言った。

「フン……」

「っと、お仲間からの伝令や。『もうじき動く。あまりアレにはこだわるな。目先の事よりも、その先のことを考えて行動しろ』やて」

 その言葉を聞いて、レオンはしばし口を閉じた。

「連中は、アンタの妹サンには、あまり固執してないみたいやな。っていうより、何かしらのトラブルで、アンタが今後の戦線を離脱してしまう事の方が痛手、と思っとるようやな」

 男は観察するような視線を向けた。レオンは片手で乱れた髪の毛掻き揚げ、一本も残さずに全てを後ろに流した。

「余計な心配をするなと言っておけ。その前に連れ帰れば言いだけの話であろう」

 諦めるつもりなどなかった。ここまで来たのならば、必ず取り戻す。そう新たに決意した。

「そうかい」

「……」

 無表情に答える男を、レオンは無言で凝視した。

「なんやねん? 俺の顔に何かついとるか?」

 おどけた表情を向けられたが、無視する。

「……貴様、妹の居場所を知っているだろう? どこだ」

「あら? ばれた? そうやねん。教えたらなんかフェアじゃないような気がしてな」

 男は更におちゃらけた笑顔で答えた。しかし、笑顔を向けられたレオンは反対に、冷めたような表情を浮かべている。

「……どこだ」

「そんなこわい顔向けんといてや? エエわ、教えたる。その代わりお代はしっかり頂きますぜ、旦那」

 男は激しく燃え盛る炎を背に、親指と人差し指で輪を作るしぐさを見せた。

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