対決6

 レオンはスーツの襟を正し、軽く生地をはたいた。

 整える仕草を見せたが、身につけたスーツは然程乱れてはいない。それよりも、革靴の先端にこびりついた薄黒い血の方が余程目立っている。

 工場の壁や天井に纏った炎が、変色した血の痕を更に紅く照らす。

「…………」

 レオンは自分のつま先に目を向けたが、直ぐに興味無さげに目を逸らした。

「無様だな、小僧」

 その台詞は、レオンの前方に向かって投げられる。

 レオンの清潔感のある格好とは正反対。使い古された布切れのように黒く、ボロボロになったシャツを纏う。月島大地はその場に這いつくばっていた。

 所々で激しい音を立てて瓦礫が崩れていくのに、聞こえてこない。その耳はヒューヒューと、自身の浅い呼吸の音しか、拾う事が出来ない。

 声を出す気力もない。

 グールの力を使っても、全く以って目の前の男には通じなかった。

 重い一撃の数々は、その身に受けるにはあまりにも大き過ぎた。

 身体の損傷が酷いせいで、まともに呼吸もできない。

 顔の感覚も腹の感覚も薄れてきている。

 視界が徐々に暗くなってゆく。

(く……そ、が――)

 認めたくない現実が、脳内に語りかけてくる。

 この男には敵わない。薄れる意識の中で、そう突きつけられる。

 重くなった瞼が、視界も意識も全てを閉じようとする。意識の遮断は自己防衛本能の一つだ。大地の負ったダメージは、本能ですら危険である事を発している証拠であった。

 目を閉じれば全てが楽になる。もう、何も考えなくていい。

 楽な方へ、楽な方へと。身体が勝手に動く。

 だが、まどろみの境界で、最後にその目が映したのは、

「……」

 血だらけになった、自身の左手。

 ――届けぇぇぇ!!――

 不意に、あの時の事を思い出す。

 廃ビルの屋上で掴んだ、少女の白く細い腕。

 あの時伸ばした手は、確かに少女を掴んでいた。

 なのに……今は、どうだ?

 たかが、ボコボコにやられた程度で、その手を離すのか――?

 背負い込んだのは、只の自己満足だったのか……?

 ――てめぇのその手は、何の為にあるんだよ。

 目に映る左手に、黒い影は見当たらない。

 しかし、この身に秘める想いは、消えない。

 少年は、重い瞼を見開く。

 ……馬鹿野郎が。

 意識を支配してゆく暗闇の中で、足掻く。

 ――何、諦めかけてんだよ。

 自らに問い掛ける。一心に、力なく拳を握る。

 ――まだ、何もやりきれてねーだろうが……!

 少年の眼は、まだ死んでない。

 否、死なない。

 まだ、何も――。

「何も、守りきれて……ねぇ、だろうが!」

 ゆっくりと。

 本当にゆっくりと、うずくまった身体を起こす。方膝を立てて、バランスの悪い身体を支える。ガチガチに震える両膝で立ち上がる。

 醜く。無様に。月島大地は敵を前に、立ち上がる。

 意識を逃がすな。恐怖に飲まれるな。テメェの信念にしがみつけ。

 その眼を、闇に閉ざすんじゃねぇ!

 燃ゆる工場の中で、大地はその眼に光を宿す。目の前の敵を鋭く射抜く。

「貴様……」

 レオンはその執念にも似た少年の姿に、驚きの色を隠せていなかった。邂逅してから初めて、冷静以外の様子を見せた。

「なんだ貴様は? そんな満身創痍な身体で、なぜまた立ち上がる!」

 理解が出来ない。レオンの表情はそう言っている。「そもそも、貴様と妹はなんの関係もないであろう!」

 大地は切れ切れの息を深く吸った。

「……ああ? 俺だって……しらねーよ、あんなワガママ娘。こっちだって迷惑してんだ。ホントにマジで……なにやってんだろーな……?」

「そう思っているのなら、何故私の邪魔をする? 貴様、言動と行動が全くの正反対ではないか」

 レオンの疑問に対して、ふっと、小さく笑った。

 笑った理由は、自分でもよく分かっていない。

「……それでも、あいつが泣く姿を、俺は……見たくねーんだよ」

「なに?」

「事情は知らねーが、あいつは……逃げたしたくなるような辛い事を味わってきたことくらい、あのしみったれた顔を見れば、馬鹿な俺でも、わかる。きっと、俺達には想像できないようなことを経験しているってことも……!」

 胸に秘めた絶対的な思いが、溢れる。

「けど、それでも……やっとのことで、やっとの思いで、今あいつは笑顔を掴もうとしているんだよ! 笑おうとしているんだよ! その邪魔をするって言うなら、あいつの笑顔を奪おうってんなら! たとえこの身体がどんなになろうが、テメーの前に何度でも立ちはだかってやる!」

 少女の悲しい顔を見たくない。ただそれだけのこと。けれども、絶対に譲れない理由。

 やっと掴みかけた笑顔なんだ。

 俺の目の前で、再び涙で曇らせたまるか。

 その意志だけで、少年は今、この場所に立っていた。

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