暗雲


ところどころ古びているが、厳格な風格を漂わせるには十分な広さと大きさを持つ洋館の一室。髪の毛をすべて後ろに流した長身の男、レオン=フローレンスは、空澄美町から戻ってきて数日、自身の屋敷に待機していた。アンティークの木組みの椅子に腰を落とし、その存在感をアピールするように銀色に光る拳銃を、丁寧に手入れを行っている。

銃身を縦に見て、歪みが無いかを確認し、リボルバー式のシリンダーを開け、手で勢いよく回転させる。カラカラと心地のいい回転音が鳴る。シリンダーを閉じると、今度は撃鉄を親指であげ、人差し指で引き金を引いた。弾はあらかじめ入っていないので、カチンと、撃鉄が叩かれた音が、部屋の中に響く。その際、シリンダーが銃弾一つ分、回転したことを確認する。

 その拳銃は、俗にシングルアクションと呼ばれる物だ。この銃の特徴は、引き金を引く前に、逐一撃鉄を手動で上げなければ、弾は発射されない。引き金と引くと撃鉄も同時に動作するダブルアクションの銃と比べると、装填数が少なく、発砲するまでにやや手間が掛かってしまうが、拳銃の造りとしては部品が少なくシンプルで、その分壊れにくい性質を持つ。

 レオンは単純に、無駄なアクセサリが着いていない、このシンプルさが好きだった。打つ際に撃鉄を上げる動作も、より拳銃を使っているという実感が持てる。

 余計は不要。この銃は実に、レオンの性格とマッチしていた。

「……?」

 ふと何かを叩く音が耳に入り、そちらの方に目を向けた。観音開き型の窓の向こう側に、一羽の鳥が見える。

 その鳥は真っ黒な嘴でガラスをコツコツとつついていた。音の正体はこれだった。窓を開けないと、いつまでもつつくことを止めない様だ。

「わざわざこんなものを飛ばしてくるとは、珍しいな」

 つつかれている窓を開き、鳥を招き入れる。鳥はバタバタと室内で黒い羽をはためかせると、部屋の隅に置かれている机の上に静かに着地した。

 結論からいうと、カラスのように見えるこの鳥は、鳥ではない。ところどころ身体から靄のようなものが蠢き、その眼はルビーのように、無機質なくらいに紅い。

 レオンは窓を開けた。分かっていた。これがグールであり、これを飛ばした者が誰かということが。

「一体、何の用だ」

『いつ見てもそのお堅い表情は変わらへんな。一度くらい、旦那の気の抜いた顔を見てみたいもんやで。ほんなら今度は寝てる時にお邪魔しよか』

 机の上で微動だにしないまま、鳥型のグールから声が発された。見慣れた光景に、レオンは特段驚いた表情を見せない。

「そんな冗談をわざわざ言う為に、ここまでそれを飛ばしてきたのではあるまい。さっさと用件を言ったらどうだ」

『せっかちさんやなぁ。わざわざ一言伝えたい事があるから、親切心でここまで来たっちゅうのに、その対応は無いんやないか? そんなに物事を急いていると、思わないところで足元すくわれるで? もっと寛容に構えた方がよろしいええんとちがうか?』

「貴様ももっと慎重に考えたらどうだ? 楽観視していると、その内取り返しのつかないことになるやも知れんぞ?」 

『これは俺の性格や。今さら変えようと思って変わるもんでもない』

「その言葉、そのまま引用して貴様に返そう」

 一人と一体の間に、しばしの沈黙が流れる。

『こっちで、アンタの妹を見たで』

レオンの動きがピタリと止まった。だが直ぐに、「それはいつの話だ?」と質問を返す。

『ワイが見たのは三日前や』

「なんだと?」

 おかしい。レオンがあの町を離れたのは、今から四日前の事だ。それなのに、その後日に少女の姿を見たという話はにわかに信じられない。

 複雑な表情を浮かべているレオンを見て、

『その様子じゃあ、やっぱり知らなかったようやな。まさかとは思うけど、屋敷から逃げたことすらも知らなかったわけじゃないやろな?』

「愚問だ。その先日まで私は追跡はしていた。その時、不運にも死んだと思って……」

 ビルの屋上でのことを思い出した。年端もいかない制服姿の少年少女との遭遇。グールに対抗できる力を見せた、素性の知らない二人。後ろに髪を束ねた娘が言いかけた言葉。

『どうした?』

 やや口角をあげて微笑するレオンに訊くが、聞こえていないのか、答えは返って来ず、

「『生きている』……か」

 そう呟いただけだった。

 信じられないことに、サラはあの高さから落ちたにも関わらず、命を落としてはなく、今も生きているらしい。飛び込んでいったあの小僧は、唯の命知らずではではなかったと、今さらながらに気付く。

「来るんか?」

「当たり前だ。そうと知ったら、あんなところにアイツを野放しには出来ん。我々の目的の為にも、改めて奴を拘束し、連れ帰る」

「しかし、もうすぐ動きだすんとちゃうんか?」

「そんなことは言われなくても分かっている。それまでに、回収すればいいだけのこと。元々は、妹も入る予定なのだからな」

 壁に掛かっていた白い上着を羽織り、懐に拳銃をしまう。急いでここを発とうとするレオンに、グールは警告した。

『今回は、少し気張らないと無理かも知れんで?』

「どういうことだ?」

『そのままの意味や。アンタの妹さんの周りには、グールなんてものともしない、ななかなかに牙の鋭い犬っコロたちがおる』

「あのガキ共か……」

 その警告を受けて、レオンは再びあの時の連中を思い浮かべる。確かに、対峙した際、なかなかの身のこなしだと思ったが、己の実力を考えれば、一蹴するのはそう難しくあるまい。

「あんな、何も考えずに言われたまま動くだけの覚悟のない者に、私が遅れをとるなんぞ考えられん。またも抵抗すると言うのならば、今度は容赦なく、この手で人生の終りという幕を引いてやる」

 そう告げると、レオンは扉を開けて部屋から出て行ってしまった。

 部屋に残ったグールは言葉を漏らす。

『……そのシスコンぶりが、裏目に出らんければエエけどな……』

 そう言い残すと、蒸発するようにその場から消えた。

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