元老院1

 目の前にそびえる、一際大きな扉を二回、ノックする。

『いいわ。入って頂戴』

 扉の向こうから声が聞こえた。時雨は無言で扉を開き、部屋の中へと入る。

 時雨が部屋に入って最初に目にしたのは、正面の壁一面に張られた窓ガラスだった。扉の前に立っている時雨でも、そこから窓の外を眺める事ができる。この部屋は地上百メートル程の位置にあるので、巨大なパノラマのように空澄美町の風景が一望できる。その次に目に入ったのは、扉に違わぬ広大な部屋の真ん中にポツリと置かれた、大層立派な書斎机だ。この部屋で目に付くものといえばそれだけで、他には何も置かれていない。

「あら、色条院さんじゃない。いらっしゃい」

 机の上に置かれている手の平サイズの観葉植物に、これまた小さなじょうろで水をあげていた女性が、時雨の姿を見て笑顔を振りまいた。

歳は二十代半ばといったところか。タイトなスーツ姿のせいで強調される身体のラインは、本人が意識せずとも、大人の色気をかもし出している。

「どうしたの? 定期報告……は、この前済ませたし」

時雨は部屋の奥まで進み、机の前で立ち止まる。

「総帥であるあなたに、昨日の事を報告しておかなければならないと思いまして」

「昨日の事?」

 殻になったじょうろを机の隅に置き、女性は椅子に腰を落とした。

 総帥と呼ばれた女性の名は、日野京子。この空澄町に蠢くグールを討伐するために結成された「生闘会」を束ねる上位組織、「元老院」の人間である。

この町にしか存在しない特別な組織、生闘会は、空澄美町を東西南北に四つの区分に分けられて配置され、各々が独立して日夜グールと戦っている。つまりこの町には、北の区分を担当している空澄美高校の生闘会とは別に、他に三つの生闘会が存在する。

 その四つの生闘会を束ね、指示を出し、統率を図っているのが、元老院に所属する日野京子となる。生闘会という実働隊を動かす権利を握っている為、総帥と称されている。

 他にも元老院の主な活動として、グールに関する生態等の研究や、紫石を創造し、それを各生闘会に配布したりもする。牡丹が使用していた、日本刀に変化する紫石や、今も時雨の手首に巻かれている、グールの探索に特化した紫石も、元老院から支給されたものだ。

 京子自身も、数年前は生闘会の一人として最前線で戦っていたと時雨は聞いたことがある。その為か、現場主義者としての考えが強い印象があった。

「昨日、何かあったの?」

「その前に、少々聞きたいことが」

「あら、何?」

 時雨は唐突に訊いた。

「人間がグールを操る事は可能でしょうか?」

「藪から棒にも程があるわね」 

京子はその質問に直ぐには答えず、じっと時雨の顔を覗き込む。目を逸らすことも顔を背けることもしない時雨の態度に、京子は何か含んだような笑顔を見せた。

「……要するに、昨日、そんな人物と遭遇したわけね?」

「私が直接会ったわけではないのですが」

 大まかにだが、時雨が言いたかった事を京子は言い当てる。現場を知っているからこその聡明さなのか。とにかく理解が早くて助かる。

 時雨は、昨日起きたことのありのままを、京子に報告した。途中、何度か京子が顔をしかめたりもしたが、サラの現状を含めて一通り報告を終えると、

「また面倒な問題を抱えたわね、あなたのところの『生闘会』は。前は月島君だったわよね?例の左手を持った」

 他人事のように京子は楽しんでいた。

 その態度に悪意はないと分かっているので、時雨はそのまま話を続ける。

「放って置くわけにもいかないので。総帥がなにかご存知ならと思い、窺ったのですが」

「その保護したサラちゃん、だっけ? その子は何か言ってないの?」

「ええ、何を聞いても知らないの一点張りで。何か後ろめたい事でもあるのか、一向に口を開いてはくれません」

「そう……」京子は少し考えるように俯き、「グールが生まれる仕組みは知っているわよね?」と時雨に尋ねる。

「ええ。陰の気といわれる邪悪な気の流れが、何かの拍子で停滞して一箇所に集中し、形を帯びた塊の事を総称してグールと呼ぶと……」

「……そう。そしてこの町は特に、陰の気が溜まる傾向が強い。その際限なく現れるグールを討伐する為に結成されたのが『生闘会』。って訳だけど、なにもグールが出てくるのはこの町だけじゃないのよ。稀にだけど、ひょんな所からグールが現れたりもするって聞いたこともあるし。それがこの国だけじゃなくて、どこか別の国で起きても不思議じゃない。もしかしたら私達以上に、グールに対して博識な人もいるかもしれない。別にそれだけなら気にする事ではないわ。問題なのは」

 顔を上げた京子の眼が僅かに細くなる。時雨は表情を変えずに答えた。

「グールの力を利用していること……」

 これが一番の問題だった。生闘会を束ねる時雨としては、正直サラが何者なのかということよりも、自分たちが討伐しているグールの力を、この町の住民でもない人間がコントロールしているという事実の方が深刻だった。

 笑えない。全く以って面白い話ではなかった。現に牡丹と大地は、そのグールの力のせいで危険に晒されたのだから。

 京子も同じように、何とも面白くないという表情を浮かべている。

「月島君の例があるもの。グールを操る人間が現れてもそこまで理解できないことじゃないわ。ただ、あんな気味の悪いものを目的の為に利用する時点で既に、危ない奴だってことは簡単に想像が出来る。全員が全員、月島君みたいに力を使ってくれる訳ではないと分かっているつもりだけど、それでも余計な問題は起こして欲しくないわね」

 京子は椅子から立ち上がり、窓の方へと振り向いた。今日の空澄美町は快晴だ。空気が澄んで山の向こうまではっきりと見通せる。

「とりあえず、私の方でも、その男について調べておくわ。『元老院』の事も知っていたというのも気になるし……保護したサラちゃんについては、引き続きあなた達が面倒見てあげて。こちらで編入の手続きはやっておくから。年齢に関係なく、『生闘会』のある空澄美高校に入れるから、そのつもりでいて頂戴」

「お手数掛けます」

「別に構わないわ。この町は、そういう事情であれば寛容な措置が取れるのだから」

 どこか遠くの一点を見つめながら、ふうっと小さくため息をついた。

「……全く。退屈しないわね。この町は」

 京子は酷く不機嫌な表情を浮かべた。

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