買出し1

 大地は布団の中で心地よく惰眠を貪り続けていた。太陽は既に顔を出してから結構な時間が過ぎており、締め切ったカーテンの隙間からは、暖かな日が差し込んでいる。

 今日は土曜日だ。なので、無理に早起きして朝食の準備をする必要もなければ、学校に行く必要もない。

 そういうわけで、未だまどろみの中にいる少年はまだ、一向に現実世界に戻ってくる様子はない。しかし、少年の目覚めを待ちきれない者が一人だけいた。

 本人の了解も得ず、遠慮なしに部屋の襖を開ける。

 大地と同じように、先程まで隣の部屋で眠っていたサラが、切羽詰ったような表情で大地の部屋に入ってきた。

 だが、動きが妙にぎこちない。布団の傍にぺたんと腰を落とすと、その寝顔を覗き込む。馬鹿な顔がさらに馬鹿になってよだれまで食っている。

 時間がない。

 手を伸ばし、申し訳なさそうに声を掛けた。

「大地」

「……ん……」

 声を掛けるが、目覚める気配がない。サラは諦めずに、今度は強めに身体を揺らす。

「ねえ……大地。起きて」

「ん……なん……だ?」

 無理やり夢の世界から引き戻された大地は、寝ぼけまなこで少女の姿をとらえた。ああ、朝ご飯が待ちきれなかったんだな、この娘は、とおぼろげながらに考える。けど、顔を赤らめて涙を潤ませているのは何故なんだ?

「なん、だよ……昨日は、いろいろあって……疲れてんだから」

 少女を背にするように寝返りをうった。しかし、お構いなしに身体は揺らされる。

「起きてよ大地……もう我慢できない」

「後で……ちゃんと、朝めし作ってやるから……もうちょっと……寝かせてくれ」

「ご、ご飯じゃないってば、早く起きくれないと……漏れちゃう……」

 漏れる? 何が?

 未だ睡眠を欲しがる脳みそを回転させて考えるが、意味がわからない。早くしないと漏れるってなんだ?

 でもちょっと待て、そういや、こいつなんで顔が赤かったんだ……?

 大地はハッとして、上半身を起こした。見ると、少女は太ももの上で手をもじもじさせていた。一瞬にして顔が引きつる。

「……お前、もしかして、漏れるっていうのは……」

「と…………トイレ」

 一瞬にして目が覚めてしまった。

「早く言えぇぇぇ!」

 聞いた途端、ガバッと起き上がると、少女の手を引っ張り、バタバタと階段を駆け下りる。

「昨日便所の場所教えただろーが! なんで一晩寝たら忘れてるんだよ!」

「だ……だって、この家迷路みたいなんだもん……あっ……大地、はや……く……」

「もうちょいだから! もうちょっとで着くから我慢しろ!」

「もうだ……め……」

「ここだ! 早く入れ!」

 ガチャバタン! とトイレの扉をあけてサラを放り込んだ。間一髪。間に合ったところで、大地は大きく息を吐き、胸を撫で下ろした。

「あー焦った。お陰で冷や汗かいちまったぜ」

 こんな事で肝が冷えたのは初めてだった。少女との共同生活は、予想以上に大変なんじゃないのかと、改めて思い知らされる。

 無駄に目覚めがよかったので、もう一度布団に戻る気にはならず、

「とりあえず、今は何時だ?」

 寝癖の着いた頭をボリボリと掻きながら居間に向かい、時間を確認する。

 壁掛け時計は十一時を少し回っていた。今から朝飯作っても昼飯になっちまうなぁと、少し寝すぎたことを後悔する。


 数分後、先程とはうって変わって清清しい表情のサラが、トイレから無事帰還してきた。

「大地、ご飯は? お腹空いた」

「ピンチを脱した後にすぐそれか。まあいいや、今から作るから、サラ、お前も手伝え」

「私、料理なんてしたことないわよ」

「自信満々に言うことじゃねーよ。いいよ徐々に出来るように俺が教えていくから。とりあえず茶碗の用意とかしてくれ」

「まあ、それくらいなら」

 昨日の事もあってか、心なしか性格が丸くなったように感じる。それくらい、今は気を許してくれているということなのだろう。

(まあ、素直なのはいいことだ)

 二人で台所に向かおうとした時に、チャイムの音が家中に響いた。玄関先にある呼び鈴だ。

「誰だ? 郵便か?」

 大地は反転し、玄関の方へと足を運ぶ、つられてサラも後ろをついてくる。

「その姿をみると、先程まで布団の中にいたという感じですね」

「あれ? 牡丹じゃねーか。どうしたんだ?」

 玄関には、私服姿の桜木牡丹が立っていた。牡丹は薄手のパーカーにショートパンツ姿で、大地の家にやって来た。

 同じく寝巻き姿のサラが、大地の後ろからひょっこり顔を出す。

「おはようございます。サラ。一晩見てないだけなのに、またずいぶんと表情が和らぎましたね? 何かあったんですか?」

 昨日はどこか棘のある表情だったのに、今日は垢抜けたように柔らかな顔立ちになっていることに牡丹は気付いた。

「べ、別に何もないわよっ」

 ぷいっとサラは赤くなった顔を逸らした。それを見て大地はニシシ、と笑いながら、牡丹の質問に代わりに答える

「いやぁ聞いてくれよ。この娘っ子よぉ、昨日飯を食う前にワンワン泣いて……」

「なにベラベラ喋ってんのよ! このデリカシーなし男が!」

「おふぉっ!」

 渾身のドロップキックを背中に受けて腰が砕ける。うずくまりながらも大地は訂正した。こいつはやっぱり素直じゃないと。

「ま、まあとにかく安心しました。硬い表情をしているより、あなたは今の表情の方がずっと素敵ですよ」

 笑顔の牡丹に言われて、また頬を赤らめる。

「わ、分かってるわよ。それくらい……」

 背中のダメージを回復した大地は立ち上がり、話を戻した。

「あたた……っていうか牡丹、お前は何しに来たんだ?」

「今から買い物に出かけますよ。早く着替えて準備してください」

「なんだよ藪から棒に。買い物って何の?」

「サラの服とか生活品とか用意しなければならないでしょう? それに、今日は丁度学校が休みなので、町の案内も兼ねて今日行くのが得策です」

「あー……」

 言われて納得した。確かに、この家にサラの物なんかひとつもなかった。サラの唯一の所有物は、居間の壁に掛かっているマントのみ。今着ている寝巻き代わりのTシャツも、元は姉の服だ。

 サラの方を見る。体型と異なる大きさの為、凹凸の少ない胸元が襟元から見えそうになる。サラの発する敵意の視線に気づき、大地はささっと目を逸らすと、

「そうだなー。ずっと姉貴のおさがりっていうのもなんだし、必要なモンはさっさと揃えた方がいいよな。ってか、財布にそんな余裕あったっけ? 通帳確認しねーと」

「それなら心配ありませんよ」

 残金を確認する為に居間に戻ろうとした大地を、牡丹は呼び止める。その手には少しばかり膨らんだ茶封筒が握られていた。

「必要なものは、これで購入するようにと昨日、私が帰る前に会長から渡されたんです。なので、大地が出費することはありません」

「……さすが、大財閥のお嬢様だな」

 恐らく、そのお金は個人の財布から出したのだろうと容易に察しがついた。この町に住んでいる者で、「色条院」という名前を知らない奴はいない。それほどまでに、時雨の家はこの町の名家である。

「そういうことですので、サラ、あなたも準備をしてください。今日は私がサラに似合う服を選んであげます」

「うん。あ、でも着ていた服は今洗ってるから」

「姉貴のクローゼットを漁れば、何かしら着られるのがあるだろ。後で俺が用意するから、ちょっと待ってろ」

 ん? って言うか……

 大地はあることに疑問を持った。

「ちょっと待てよ。サラの買い物だから、こいつが行くのは当たり前だが、俺が行く必要はあるのか?」

 最もな意見を牡丹に尋ねた。自分は特に必要なものはないのに、どうして俺も一緒に出かけなければならないのかと。

 だが牡丹は何を言っているんだとばかりに、

「大地がいなければ、自由に買い物が出来ないではないですか。今日は一日、あなたは荷物持ちです。ちなみにこれも会長命令ですので」

「なっ」

 そういうことらしい。無論、拒否権なんてものはなかった。

「共同生活初っ端からこれかよ。先が思いやられる……」

 テンションの上がったサラとは対照的に、大地はがっくりと肩を落とした。

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