月島家2

 テーブルに取り皿やご飯が盛られた茶碗が並べられてゆく。今日からは二人分の皿の用意をすることになる。昨日までと比べたら、洗い物が少し大変になるなと、少年は苦笑する。

 サラはその対面で、食事の準備をこなしている大地を眺めていた。 その自慢の金色の髪は少し湿り気を残しているせいか、キラキラと小さく光が跳ねている。

 食事の前に「とりあえず先に風呂に入ってこい」と大地に言われていた。一通り風呂の設備の使い方を教授してもらい、一足先に身体の汗を流したサラは、とりあえずと用意された、姉が着ていたという部屋着に着替えている。

 しきりに台所とテーブルを往復する少年の姿を、サラは椅子に座ったまま眺める。少し大きかったらしく、身に着けたTシャツはブカブカだった。

 並べられた食器には、白く艶やかなご飯や、豆腐と葱が入った味噌汁が入っている。真ん中に置かれた大きな皿には、今日のメインである肉じゃがが盛り付けられていた。

 残り物の材料でここまで作れりゃ上出来だと、大地は鼻歌混じりに自分で自分を賞賛する。

「牡丹もこれくらいできれば、後は完璧なんだけどな」

 牡丹は男子生徒の憧れの的になる程、容姿も性格も申し分ないのだが、家事に至っては小学生よりも下手糞だ。カレーを作れば魔女の鍋になるし、ほつれた袖のボタンを縫いつけようとすれば、腕が袖を通らなくなるほど、家庭的な仕事に関しては超が付くほど鈍い。

 見た目とのギャップがいいと言う輩も多いが、家事全般をこなす大地にしてみれば、牡丹はすごく惜しい、あと一歩という感じの女の子にしか見えなかった。何があと一歩なのかは知らないが。

「今度あいつに、料理教室でも開いてやるかな」

 大地は笑いながら、茶碗にごはんをよそう。

 食事の用意が終り、大地も席に着く。そこでやっと、なんとも神妙な表情でテーブルを見ているサラに気がついた。

「なんか嫌いなもんでもあるのか?」

 言われてサラは、ブンブンと首を横に振る

「そ、そんなんじゃないわよ。ただ……」

「ただ?」

「初めてだから……こういうの……」

 少女は、今まで一人でしか食事をしたことがなかった。

 屋敷に居たときも一人だった。大層手の込んだ料理を口にするが、どこか物足りなかった。この国に逃げてきてからもそうだ。コンビニという店で適当に選んだパンを購入し、適当な場所に座って寂しく食べていた。兄から必死で逃げていいたのた。笑うどころか怯えながら口に詰め込んでいた。食事なんてm身体に必要な栄養を取り込む為の只の生理現象。サラにとって、食事なんてそんなものだった。ここ最近に至っては、まともに食べてすらいなかったが。

 だから、今見ている光景は、サラにとってみればひどく珍しいものだった。食事の準備をしているだけなのに、何が可笑しいのか、この少年は笑っている。食事の時に笑うなんて、少女は一度も経験したことがない。

「なーに感慨ぶってんだよ」

 ホントにめんどうなやっちゃなーと、大地は呆れた表情をみせる。

「べ、別にそんなつもりじゃ」

「心配しなくても、今日から毎日こんな感じで飯を食うんだ。今度からお前にも、飯の準備を手伝ってもらうからな。サボったりしたらその日の晩飯はお預けだぞ」

「…………」

 何気ない台詞が、不意に少女の胸を叩く。なんでこんな奴の言葉に反応するのか分からないが、なぜか心がホッとしてしまう。安心してしまう。

 ちがう。こいつだからじゃない。癇に障るのは、その遠慮の無さだ。なんでこうも無防備に接してくるのか、理解できない。

 喜ばしいことなに、

 悪いことじゃないのに……

 それがなんかムカつく。

 私は、自分のことすら話していないのに――――

「それが嫌なら、手伝いを」

「なんでよ」

 大地の台詞を、不安で一杯の声が遮る。

「なんで、理由も聞かずに、得体の知れないような私を受け入れられるのよ?」

「あぁ? 今さら何言ってん」

 ダンッ、と両手でテーブルを叩き、立ち上がる。

「だっておかしいじゃないっ! あんたも、あの二人も! 事情を話さない私の事を、どうしてそんな簡単に信用できるのよ! どうして見ず知らずの人間の為に、ビルの外に駆け出せるのよ。どうして簡単に家に招くことができるのよ! ねえどうして!?どうして!?どうして!?」

 嫌な感情が少女の中に充満してゆく。

 面と向かって言ったつもりなのに、どうしてか俯き、視線を合わせないようにしていた。

 少女の心を写しているかのように、味噌汁の表面は波打つ。

「どうして……こんな私を――」

 分かっていた。自分が物凄く馬鹿なことを言っていることを。分かっていた。そんな事が言える立場ではないと。

 けれど、言わずにはいられなかった。心の隅に刺さった小さな棘が、今になって大きなものになってゆく。

 不安と憤り、そして一杯の寂しさが混じった浮かない顔のサラを前にして、大地は何も言う素振りも見せなかった。

 というか、言えるはずもなかった。

 口の中はご飯と肉じゃがで一杯だったから。

 よく噛んだ後に、ごくりと口の中のものを飲み込んで吐いた言葉は

「ん? 終わったのか? なら早く食えよ。飯が冷めるぞ」

 その声でサラは俯いた顔を上げた。

 予想外すぎる反応に、サラは別の意味で言葉が出なくなった。思わず目が点になってしまう。

 この少年、あろうことかさっさとご飯を頂いているではないか。

「ちょ、ちょっとアンタ! なんで何事もなかったかのようにご飯を食べてるの!? って、まだいただきます言ってないのに!」

「俺は言ったぞ。おめーがなんかゴチャゴチャ言ってる最中に。っていうかよく知ってるな。この国の食事の作法」

「最中にって……アンタ私の話聞いてなかったの?」

「食いながらだけど聞いてたよ。あんだけデカイ声で喋られたら嫌でも耳に入る」

 大地は持っていた茶碗を、ゆっくりとテーブルに置いた。

「……だったらなんであの時、知らないって嘘をついたんだよ」

「! ……それは……」

 言われて、目を逸らす。

「言いたくなかったからじゃねーのか?」

「…………」

「心配しなくても多少なりとも、会長はお前を疑っているし、牡丹には警戒されてるよ。っても、恐らく『そういう姿勢』だけだろうけど」

「え?」

「あたりまえだろ。グールに追われてここまで逃げてきたような奴に対して、そう思わない方がおかしい。会長は『上』との関係上、起きたことを逐一把握しておかないといけないし、牡丹に至ってはお前の兄貴と意味深な会話を交わしている。つーかそもそも、お前が何かを隠していることは容易にお見通しなんだよ」

「だったら尚更じゃない! なんで――」

「お前のその表情を見れば、俺らじゃ想像も出来無いような辛い思いをしてきたんだってことも、容易にお見通しなんだよ」

「!」

 一瞬にしてこの少年は、少女の胸に刺さった棘を取り除く。

 自分が何も言わなくても、この人たちには届いていた。この人たちはただ表面上の、上っ面だけの親切心で動いているわけではない。それが今になって、やっと理解した。

「俺は、お前の過去とか兄貴とかグールの事とか、正直いってどうでもいいんだよ。飯のおかずにならないような話に毛ほども興味ないし、聞きたくもない。ただ気に食わないんだよ。せっかく命を張って助けた奴が、いつまでもしみったれた顔をしているのが」

 その言葉だけで、少女は救われたような気がした。その言葉で、空っぽになりかけていた心が埋まってゆく。

 同時に、今まで押し殺していた感情が、堪えていた感情が、少女の瞳を通してゆっくりと溢れ出した。

 ぽろぽろと、一粒、また一粒と流れだした雫は、頬を伝い、やがてテーブルへと跳ねる。次第にその感情は、全てを出し切ろうと少女の顔をくしゃくしゃにしてゆく。

 大地はそんなサラの姿を見て、ふん、と笑みを零した。少女が胸に秘めた感情をさらけ出してくれたことに、小さく喜んだ。

「おら、分かったなら座ってさっさと食え。ホントに飯が冷めちまう」

 ひとしきり涙を流しつくしたサラは「……うん」と小さく頷くと、椅子に座り直す。目は泣いたせいで腫れぼったくなっていたが、その表情はやけにスッキリとしていた。

 ――明日からは、やかましくなりそうだな。

 そんなことを思いながら、大地は味噌汁を一口啜った。

 

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