月島家1
「ここが俺の家だ」
瓦屋根をその碧い目で物珍しそうに見ていた少女に、大地は自分の家を紹介した。いや、今日からはこのちびっ子の家でもあるのだ。どうしてこんなことになったのだろうと、大地は気を落としながら門を押して開ける。
何ともまあ、いい加減な取り決めだった――――。
「大地。お前の家は無駄に広いだろう。一人暮らしが二人暮らしになったところで、特に問題もなかろう」
ざっくばらんとした理由だった。アバウトすぎるにも程がある。
「厳密に言うと、姉貴が長期の海外出張で家にいないだけで、一人暮らしってわけじゃあないんですけど」
大地もおいそれと承諾できるわけもなく、必死に断ろうとするが、
「どちらにせよ問題はあるまい。家にいないことには変わりないだろう」
「でも、もし家に帰ってきた時、なんて説明したらいいか……」
途中まで口に出したが、そんな言い訳は無意味だということに気付く。姉のオープンな性格を考えると、喜んで歓迎するだろうと。
それを察し、さらに時雨が畳み掛ける。
「まあそういうことだ。お前の姉なら二つ返事で了承するだろう。大地、これはもう決定事項だ。拒否は認めん。それとも何か? お前はこのいたいけな少女なんかどうでもいい。どこかの道端で野たれ死んでも関係ない。そう言っているのか?」
――それが決め手だった。返す言葉なんて一言も出てこなかった。
「日本家屋を見るのは初めてか?」
未だにポカンと口をあけて見上げていたサラは、コクリと首を動かした。
大地と同じ家に住むということに最初は抵抗を見せていたが、わがままを言えない立場だと意識している。だからこうして渋々ながら、家の前まで付いてきているのだが。
この家を見た途端に、先程までの険しい表情はどこかに吹き飛んでしまった。
「……この国の家って、面白い形をしているのね」
「今はこういった家の方が珍しいけどな。牡丹が住んでるのも普通のマンションだし。天気のいい日なんかは、縁側で日向ぼっこすると、ものすごく気持ちいいんだぜ?」
「ふーん」
エンガワって何だろう? 寝室? といまいち理解していなかったが、いつかやってみたいとサラは思った。
「とにかく、今日からここが、お前の家だ」
「ここが……私の家……」
言葉にして、もう一度見上げる。ここが新たに住む事になる家。そう思うと、黒く重々しいゴツゴツとした奇怪な屋根も、心なしか頼りがいがあるものに見えてくる。
「おーい、何してるんだ? さっさと中に入れよ」
玄関を開けたまま、大地はサラを呼んだ。
「なにさっきから上を見てんだ? ソフトクリームの形をした雲でも見つけたか?」
「だ、誰も雲なんか見てないわよっ。アンタ、さっきから私を子供扱いしてるけど、一体何歳だと思ってんのよ」
「何歳って……」
言われて、じーっと、少女の姿を上から下へ眺める。スタイルはまあまあだが、背は時雨や牡丹に比べて大分小さいし、その可愛らしい(第三者の目線に立って見れば、だが)顔もどこか幼さが残っている。
(外国の女の子はこんなもんなのか……?)
だがしかし、と大地の目線はごく自然と胸の辺りへ。
ぶっちゃけ小さかった。牡丹が拵えているものと比べると、その差は明らか。その点も考慮して判断すると、
「これでも十六よ!」
ゴバン! と体重の乗った拳が大地の顔面にヒットする。
尻餅をついた。手で顔を箇所を押さえつつ、
「十六!?俺達の一つ下かよ……ってちょっと待て! 答えを言う前に何故殴る!」
「なんか腹立つ答えが返ってきそうだから、ついよ」
「……そう思うなら最初から聞くなよ……っておい、靴を履いたまま上がるな!」
立ち上がり、土足のまま家の中に入る少女の首根っこを、なんて面倒な奴なんだと慌てて掴む。それを拒もうと、手足をバタバタさせながらサラは暴れ、
「もう、何すんのよっ」
「帰ってきたら、まずここで靴を脱ぐんだ。そしてある言葉を言ってからじゃないと中に入ってはいけない」
「言葉? なんで家に入るだけでそんな面倒くさい事をしないといけないのよ」
暴れる少女に言い聞かせる。今回ばかりは大地は強めに出る。
「別に面倒なことはないだろう。いいか、外から帰ってきて玄関を開けたら『ただいま』、反対に家を出る時は『いってきます』だ。この家に住むなら、これくらいの決まりはちゃんと守れ。それが月島家のルールだ」
「………………」
「どうした?」
急に、バタつかせていた手足を止めて黙り込んだサラを見て、また殴る気か、と掴んだ手を放し、少し警戒する。しかしサラは、奥に伸びる廊下を見つめたまま、
「……そうよ。私は今日からここに住むのよ。住む家に帰ってきたら、そんな言葉は当たり前じゃない」
「お? おう……?」
うん……うん、としきりに頷くサラの言葉に、曖昧な返事しか返せなかった。
――今思えば、前にいた屋敷なんて、そんな言葉は一度も口に出さなかったな。
辛かった過去を少しだけ思い出す。
その言葉は少女にとって、とても大きな意味を持っていたことを、大地は知らない。
ゆっくりと、少女はぎこちない口調で、
「た、ただいま……」
誰もいないから返事はない。しかしこれで晴れて、少女はこの家の住人となった。
一歩踏み入れる。ミシ、と小さく木が軋む音が聞こえてきた。その音ですら、少女は新鮮なものに感じた。踏みしめながら、ゆっくりと板張りの廊下を歩く。
「おい、あまり勝手に動き回るなよ? この家無駄に広くて捜すの大変だから」
その忠告を聞いているのかいないのか、サラはキョロキョロと首をしきりに動かしながら、奥へと進んでゆく。
「ったく。人の話を聞いてんのか?」
大地の声が虚しく玄関に響いた。
小さくため息をつく。とんでもない事になったな。と一人肩を竦ませる。
「……今さらウダウダ言っても仕方ねー。こうなったら、あのわんぱく小娘と健全に慎ましい共同生活を送ってやるよ」
きっと、会長にも何か考えがあるに違いない。いや、あって欲しい。というか、ないと困る。切実に思いながら、靴を脱いで自分も家に上がる。
「とりあえず、冷蔵庫の中を確認しとかねーとな」
今日の晩飯は何にすっかなーとぼんやり献立を考えつつ、大地は台所に向かった。
「……今日から二人分か」
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