生徒会室にて2

 サラは一人、顔を俯かせたままその口を噤んでいた。

 その小さく華奢な身体が震えている。彼女にとって、「知らない」というたった四文字の言葉にどれだけの意味が込められているのだろうか。

 サラの対面に座る時雨も牡丹も、ただサラに目を向ける事しか出来ない。

 なんとも居心地の悪い雰囲気が、放課後の生徒会室を包む。

 だが、そんな張り詰めた空気を無遠慮にぶっ壊したのは、

「本人が知らないってんなら、知らないんでしょう。知らないのに話せって言っても、そりゃあ無理な話でしょう会長」

 今まで唯黙って、遠巻きに話を聞いていた大地が口を開いた。

 別に少女の切羽詰った姿を可哀想に思ったわけでも、質問攻めだった時雨に異義を唱えたわけでもない。

 大地は牡丹が入れてくれたお茶を一口啜る。

「あつつっ……と、こんな尋問じみたことなんかしなくても、『なんだかんだありましたが、今はこうして、助かってみんなでお茶を啜ってる』ってことで丸く収まるじゃないですか」

 大地にとっては、それで十分だった。グールのことなんて正直どうでもいい。

 でも、自分が命を張って助けた少女が、終始しかめっ面のまま、というのは気に食わない。

 ただそれだけが、大地は気に食わなかった。

「…………」

 何に対しての仕草なのか、時雨は何も言わず、代わりにふうっと小さく溜め息をついた。

 その隣で、牡丹はそんな無責任な大地に苛立ちの顔を見せている。

「何を言っているんですかっ。グールに対する認識や、今後の活動にも大きく影響するかもしれないような事態が起きたのですよ? それを簡単に『もういい』だなんて……大地。あなたは何も分かっていません。物事を軽く考えすぎです」

「さっすが副会長、聡明なご意見だことで」

「私は至極全うな意見を述べているだけです」

 牡丹の言葉に、大地は額に手を当てる動作をオーバーにやってみせる。その動きがさらに牡丹の感情を逆撫でする。

「いやーかってぇなぁ、かたいよ牡丹。どれくらいかっていうと、げんこつせんべい並みに頭が固い」

「げっ、げんこつ!?」

「四六時中そんな気張ったような考え方は疲れるだろ? もっと気楽になろうぜ気楽に。そうじゃないと、せっかくお前が用意してくれたお茶も、冷たくなって美味しくなくなっちまう」

「そんなことは今、どうでもいいでしょう! 今大事なのは」

「みんなでお茶を啜ること」

「そうです。みんなで……ってちがいます! 大事なのは」

「牡丹」

 黙って二人のやりとりを見ていた時雨が牡丹の言葉を遮った。時雨は落ち着いた様子で、湯飲みを手に持っている。

「会長。会長も何か言ってやってください。大地は楽観的だと……」

「早く飲まないと、茶が冷めてしまうぞ」

「ではそうなる前に私も……って会長! あなたまで何言ってるんですか!」

 普段落ち着いているせいなのか、こういう状況になると牡丹は途端に捌ききれなくなる。似合わないノリ突っ込みをする彼女の姿を見て、大地はゲラゲラと笑っていた。

「やっぱおもしれーなぁ、牡丹をからかうのは」

「そこ! 笑うな!」

 落ち着きを取り戻す為に、湯飲みを乱暴に手に取ると、牡丹は一気に飲み干した。決して、大地や会長に言われて飲んだのではないと自分に言い聞かせている姿もまた滑稽だった。

 サラはその碧い瞳を丸くしたまま、ただ黙ってその状況を見ているしかなかった。ついさっきまで、結構シリアスな雰囲気だったのに、なんだこれは? なんでこの男は笑っているの? 何で目の前のポニーテールは一気飲みしているの? あれ? そもそも何の話をしていたんだっけ?

「おいちびっ子。お前はお前でなに目を丸くしてるんだよ?」

「え?」

 その声で、曖昧になっていた視線が少年に向けられる。大地はテーブルの上の湯呑みを指差すと、

「初めて飲むんだろう? 日本茶」

「…………」

 漠然と話を聞いていたわけではなかった。少年はちゃんと見ていた。湯呑みが置かれた時に見せた、僅かばかり感激した表情を。

「……うん」

 サラはコクンと小さく頷く。

「冷める前にさっさと飲んじまえ。熱ければ熱いほど、緑茶は美味いからな」

 言われて、サラは湯呑みを手に取る。ふうふうと冷ましながら、ゆっくりと、見よう見真似でお茶を啜る。

 苦い。けど……、

「どうだ? 茶の味を知った気分は?」

「美味しい……」

「そうだろう。世界に自慢できる飲み物だ」

「でも……」

「?」

 サラは俯き、肩を震わせる。

「でも……なんだ?」

「でも……」

 肩の震えはすぐに止まり、顔を上げる。

 少女は満面の笑みだった。しかし、右の眉はピクピクと上下している。

 涙的なものは流れてなんかいなかった。

 笑顔から憤怒の表情へと豹変する。

「だあぁれがちびっ子だあぁぁぁ誰がぁぁ!」

「今ごろかぶふぉ!」

 緑色の飛沫が宙を舞う。

 湯呑みで殴られたのは、大地はこれが初めてだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る