生徒会室にて1

「事情は大体分かった。ご苦労だったな」

「いえ……しかし、会長もご存じないのですね」

「私もグールについて全てを把握しているわけではないのでな……とにかく、その娘の目が覚めるまで待つしかないな」

 暗闇の中で、話し声が聞こえる。その声に聞き覚えはない。いつの間にか眠っていたらしい。少し眩しく感じながらも、ゆっくりと瞼を開く。

「お、目が覚めたみたいだぞ」

 誰……?

 目を開けて最初に飛び込んできたのは、何とも言えない馬鹿面を下げてこちらを覗く少年の顔だった。

 未だまどろみの中にある頭をゆっくりと回転させるが、わからない。

 ここは、どこ? 

 覚えのない場所だった。天井があることを考えると、どこかの部屋の中であることはわかるが、何故自分がここにいるのか、そもそも何故ここで眠っていたのかすらも覚えていない。

 眠る前のことを必死に思い出そうと、寝ぼけた頭を無理やり働かせる。頭の奥のほうがズキリと痛む。身体が思い出すことを拒否しているのか、やけに頭が重く感じる。

 私はあの時……

 その不確かな痛みの中で手繰り寄せた記憶は、何ともひどいものだった。

思い出したのは、黒い塊の攻撃によって、地上六十メートルの空に放り出された軟弱な自分。そして、こちらに向かって無鉄砲にも飛び込んできた、必死な表情で手を伸ばす少年の姿。

記憶の中の少年と、目の前の少年の顔が重なる。

思い出して、ハッと目が見開き、

「きゃっ!」

「いっ!」

 ゴン! と衝突音。文字通り頭に直接響いた。

勢いよく上半身を起こしたせいで、頭と頭がぶつかった。なんとも小気味のいい音が部屋中に響き渡ってしまう。

 自分の頭を両手で抑えた。せっかく思い出した記憶がまた飛んでいくかと思った。

「ちょっと! いったいじゃないのよ!」

「お前がいきなり起き上がるからだろーが。あー頭が吹っ飛ぶかと思った」

 赤くなった額を優しく撫でながら、少年と金髪の少女は睨み合う。

「大地、あなたは何をしているんですか?」

 少女が寝ていたソファの影から呆れた顔を浮べながら、後ろに髪の毛を一つに束ねた少女が顔を覗かせる。

「女の子の寝顔を覗き見するなんて、趣味が悪いですよ」

「おい牡丹、お前は俺を一体どんな目で見てるんだよ。よく見ろ。タオルを交換しようとしただけだ」

 タオル?

 少女はふと、自分の胸元を見下ろす。そこには、手触りのいい柔らかな毛布と、体温で少し温くなった、濡れたタオルがあった。どうやら、この少年は自分を看病してくれていたということに少女は気付く。

「……」

 少女は毛布とタオルをのけると、赤い絨毯が敷き詰められた床に足をつけ、ゆっくりとソファから立ち上がる。部屋を見渡した。

 部屋の中には、自分以外に三人がいた。その内の二人は女の子。落ち着いた雰囲気を持つポニーテールの女の子と、大層な椅子に深く腰掛けている、どこか威厳のある長髪の女の子。二人とも、同じ制服を着ていた。この部屋で唯一、黒い制服を着た男は、傍らで未だ額に手を当てていた。

「よく眠れたか?」

 椅子に腰掛けている長い髪の女が少女に声を掛けた。少女はその質問に答えることはせずに、立ち上がって逆に質問を返す。

「あなたたちは誰? それにここは何処なの?」

「まあ落ち着け。別にお前を取って食うわけじゃない。グールならそうするかもしれないが」

「会長、あまり笑えない冗談は控えてください」

 ポニーテールの少女が冷静に指摘する。

「目が覚めたばかりで済まないが、立ち上がれるぐらいの元気があるなら、話をすることは可能であろう」

「…………」

「質問には出来る限り答えよう。その代わり、こちらも数点、お前に聞きたいことがある。知っている範囲で構わないから、こちらの質問にも答えてくれると助かる」

 少女は少し考える。しかし、直ぐに答えは出た。状況をいまいち把握できなていない状態で、ノーと言える訳がない。

 それに、この者達の素性は知らないが、どういうわけかあの窮地から救ってくれた。悪い奴らではないのかもしれない。

「……いいわ。私も少し、状況を整理したいし」

 金髪の少女は今一度、ソファに腰を落とした。

「そうか。では牡丹、何か飲み物を頼む。話が長くなりそうなのでな」

「はい」

 牡丹と呼ばれた少女は言われて、すぐにお茶の準備にとりかかる。



「まずは……そうだ、名前を聞いてなかったな」

「サラ=フローレンス。サラでいいわ」

「流暢な日本語だな」

「この国に来る前に覚えたの」

「そうか。ではこちらの紹介もしておこう。私は色条院時雨(しきじょういんしぐれ)という。この学校の生徒会長をやっている者だ。そしてこちらの、髪を後ろに束ねているのが」

「桜木牡丹です。牡丹で構いません」

 牡丹が小さく会釈をした。

「最後に、そこにいる冴えない男が、月島大地。冴えないくせに無鉄砲な性格だが、まあまあ頼りになる奴だ。冴えないくせに無鉄砲だが」

「紹介というよりただの悪口になってるんですけど」

 大地が何か反論しているものの、時雨の耳には入っていないのか、そのままスルーを決め込んでいる。

 牡丹が全員分のお茶を出した後、四人はテーブルを囲んだ。サラと向かい合うようにテーブルを挟んで、時雨と牡丹が対面のソファに腰を落としている。大地は座ることはせず、壁に寄りかかる姿勢で話を聞いていた。

初めて目にする日本茶。湯飲みを前に僅かばかり感激しながら、

「……ここは、学校だったのね」

サラは改めて、ぐるりと部屋の中を見回した。そういえば、とふと思う。学校というところに来たのは、これが初めてのことだ。

「ここは空澄美町にある空澄美高校という学校だ。気絶したお前をこの二人が、とりあえずとこの生徒会室に運んだんだ」

「そう、だったの……」

 時雨に言われて、少し俯く。脳裏にあの光景が浮かぶ。身体があの不快な浮遊感を覚えている。ガタガタと身体が震えるのを、サラはグッと堪えた。

 気持ちを切り替えるように、サラは時雨に質問をした。

「あなた達は一体何者なの? なんであの場所にいたの?」

「普通ならば、これは極秘事項に当たり、詳しいことは説明できないのだが……、サラ。お前も知っている側の人間だろう。というよりそうでなければ、あんなところで化け物に襲われる事はあるまい」

「…………」

 時雨は、目の前の湯飲みを手に取りお茶を一度啜ると、ゆっくりと湯飲みをテーブルの上に置いた。

「我々は、『生闘会』という、グール討伐の為に結成された組織に属している」

「せいとかい?」

「紛らわしい名前だが、字は生徒が闘うと書く。文字通り、この学校の生徒である我々がグールを相手に日夜、人知れず戦っている。この町は非常に多くのグールが出現する傾向にある。それが人を襲う前に、我々生闘会が速やかに討伐しているというわけだ」

「……そうなんだ」

 納得したのかしていないのか、サラは自分でもよく分からないような表情を浮かべた。

 それにしても、と嘆息をつく。

 わざわざ海を跨いでこんな島国まで逃げてきたっていうのに、逃げた先にも黒い塊の化け物がはびこっているなんて、不運にも程があると。

 ――やっぱり……私はこの運命からは逃げられないのか。

 サラは寂しそうな目をして肩を落とした。言葉が詰まる少女の様子を伺いながら、時雨は話を続ける。

「あの場所に牡丹と大地がいたのは無論、グールの討伐の為だった。話を聞くところによると、どうやら、お前の兄と名乗る男がグールを使役し、お前を追ってはるばるこの町までやってきたみたいだな……」

「…………」

「グールが関係している以上、私共も放っておくわけにはいかない。できれば事情を説明して欲しい」

少女は完全に黙り込んでしまった。

 ……やっぱり、話したくない。

 思い出したくもないような惨めな姿を自分の口から説明するなんて、そんなことはしたくはなかった。それに、もし事情を知れば……

「サラ」

 完全に口を閉ざしたサラを見て、これが話すきっかけになればいいと、牡丹がゆっくりと口を開いた。

「私は、そのあなたの兄を名乗る者と話をしました」

「にいさんと……?」

「ええ。短い会話でしたが。何でも、貴方を連れ戻すつもりだったとか……それ以上、事情は伺えませんでしたけど……」

 再び時雨が、サラに訊ねる。

「お前はなぜ兄に追われている?」

「…………」

 またも目を逸らすように俯き、口を閉じる。……言いたくない。知られたくない。言えばきっと、私を見る目が変わる。恨めしく気味悪がられ、蔑むように私を拒否するだろう。こんな遠い島国まで来て、自分を追い込むような事は言いたくない。

「……知らない」

 短くはっきりと、嘘をついた。

「話によると、この町の事情についても知っていたらしい。その事については何か知らないか?」

「知らない」

「グールを操っていたとも聞いている。人間にグールを制御することが、そんなことが可能なのか?」

「知らないっ!」

 悲鳴にも聞こえる少女の返答が生徒会室にこだまする。その言葉を絞りだしたのがそこまで苦痛だったのか、サラは肩で呼吸をしていた。

 少女にとっては、その言葉はただの返答ではなかった。自分の今までの境遇と、恐怖の対象でしかない兄の存在。全てが嫌で必死に逃げ回る毎日。そんな、自分を縛りつける見えない鎖を壊したかった。全てを否定したかった。

 目が不自然に泳ぐ。少女の動揺しているということは、誰の目にも明らかだった。

 その短い一言にどんな思いが込められているのかを知ってか知らずか、時雨も牡丹も、取り乱したサラを前に、その口を閉じている。

 牡丹は様子を伺うように、無言でサラと時雨を交互に見やっていた。時雨の眼差しはその反対に、ぶれる事なく真っ直ぐ少女に向けられている。

 会話の一段落にしては余りにも長い沈黙。意図せずも重苦しい空気が、この生徒会室を蝕んでいった。

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