チーム活動3

 ここまではっきりと、敵意を乗せた視線を感じるのは初めてのことだった。

 それは、重圧で押し潰されそうなくらいの、単なる殺気。

 グールではない。こんな感情は、あの化け物は持ち合わせていない。

(ではこのプレッシャーは――)

 直後、

 弾けるような乾いた音が、屋上に響き渡る。

 咄嗟の判断で、牡丹はバック転でその場から後退する。体勢を整えながら、先程自分が立っていた場所に目を向けた。

 そこには、僅かに煙を上げて焦げ付いた地面と、二センチにも満たない、銅色の小さな鉄の塊が転がっていた。牡丹は直ぐにそれが何であるかが分かった。

(これは、弾丸……!?)

 そう判断したそのすぐ後、

「! くっ」

 尚も向けられる殺気から逃れるように、更に牡丹は二転三転と後退する。同時に、先ほど耳にした酷く乾いた音、発砲音が、続け様に牡丹の耳にこだました。

 数回聞こえた後、その襲撃は不意に収まった。牡丹は大きな弧を描くように飛躍し、屋上に設置されている貯水タンクの上へと着地する。直ぐに右手で紫石を包み、刀に変化させる。その顔は、酷く焦りの表情を浮かんでいた。

 こんな事態に遭遇するは初めてだった。今まで、襲撃されるようなことは一度たりともなかった。グールにこんな器用な真似が出来るはずがない。それに、今の襲撃には弾丸、つまり銃が使用された。

(ならば、私を狙った者はグールではなく――)

貯水タンクの上から屋上を見渡すが、誰一人として見当たらない。ならばと、今度は先に見える隣のビルの屋上に目を向けるが、そこにも誰も存在しない。

では何処から? その答えは簡単だった。

『ほう。紫石で能力を向上させている事を差し引いても、なかなかの身のこなしだ』

 反射的に見上げる。

 その声は屋上の何処からでもない、その更に上。上空から放たれた。

 夕焼けの空に見えるのは、その景色に全くそぐわない程の、黒く巨大な鳥。その場に停滞するようにその怪鳥は羽ばたいていた。

 いや、違う。

 巨大な鳥に見えたそれは形こそそうだが、よく見ると身体の表面がおぼろげで陽炎のように揺らいでおり、その眼はルビーのように紅く、怪しく光っている。

(あれは、グール!)

 人型以外のグールを目にしたのは、これが初めてだった。

だがそれだけではなかった。この後すぐに、牡丹は更に驚くことになる。

注目したのは、その背中。

巨大な鳥のグールの背中に、銃を片手にこちらを見下ろす男が一人、立っているではないか。

声を発したのは、その男。

「だが解せんな」

 男は銃をしまい、膝を軽く曲げて鳥の背中から飛び降りる。つい先ほどまで「戦場」となっていた屋上に、その身を置いた。

 少し長い金色の髪を、全て後ろに流した、白いスーツを着た碧い眼の男。

 凄まじいほどの殺気は、この男から感じるものだった。

「なぜ貴様のような小娘が、そんな物を持って暴れている?」

 牡丹は驚きのあまり、声も出せずに、ただ男の姿を目で追っていた。

 状況が理解できなかった。グールを倒したと思ったら、いきなり銃で襲撃をされ、空を見上げれば巨大な鳥に乗った男が現れるなんて、どう考えても不自然過ぎる事態だ。

「答えろ。小娘。貴様は一体何者だ?」

 少々苛立ちの混ざった声を浴びせられる。

(……落ち着きなさい。とにかく今は、この男が何者なのか知る必要があります――)

 心中で自分に言い聞かせる。一呼吸置き、先ほどよりも大分落ち着きを取り戻した牡丹は、探るように言葉を発する。

「暴れるとは人聞きの悪いですね。私はただ、人を襲う前にグールを倒していただけですが」

「ただ単に、グールの存在を知っているだけという者も少なくはないが……貴様と先程の小僧の二人だけで、あんな化け物を殺そうと思ったわけではあるまい。それに、その紫石はおいそれと手に入れられるような物ではないはずだ。ならば、貴様の後ろには何かしらの存在があると判断するが?」

(この男、一体何処まで――?)

 男に上手く切り返せない。動揺を見せないようにポーカーフェイスを装うだけで精一杯だった。いや、その表情すらもぎこちないように感じる。

 僅かに目にした状況だけで、牡丹の背後にある組織の存在まで見抜くこの男の洞察力に、牡丹は戦慄した。

(この男は、我々にとって危険な存在――)

 洞察力の端々を見せる男とは反対に、牡丹がわかった事は、それぐらいしかなかった。得体の知れない相手に、こうも堂々とした態度を見せられるのは、自分に絶対的な自信を持っている証拠だ。

出来るだけ情報が欲しい。その一心で牡丹はポーカーフェイスを保ちつつ、さらに言葉を交わす。

「あなたこそ何者ですか? その容姿から察するに、この町の者ではないとお見受けしますが。にも拘わらず、グールに関して詳しいというのは、私としては不思議でなりません」

 グールの存在は、この町だけのものだと牡丹は認識していた。それは、この町は他の町に比べて遥かに、グールが頻繁に発生するという特殊な面を持っているからだ。その為、特別な戦闘集団が組織されているのも、この町だけ。

 ならば、この国の者ですらないような男が、グールの存在を知っているのはどうにも納得ができない。

 ごく稀にその存在を認識する者もいる事は牡丹も聞いていたが、この男には当てはまらない。偶然にもその存在を知ってしまったという類の者ではないと、一目で分かる。

 ましてや、殺気を放って躊躇鳴く銃弾を飛ばすような。鳥型のグールを使役しているような男が、まともな人間とは思えない。

 無言で牡丹は睨み返していた時、男が、突然ハッとしたような表情を浮かべた。無表情の男が初めて見せた表情の変化だった。

 男は、牡丹の発した言葉の、意外な部分に反応していた。

「この町? ……まさか、この町は『カラスミ』という名か?」 

 なぜこの町の名前を気にしたのか、男の思惑が分からない。

「……それがなにか?」

 この町の名前を知った途端、男は考えるような素振りを見せる。そして、

「……成程。貴様のような者が存在するのは、どうにもおかしいとは思っていたが、納得した。よもやこの町で 目的を失うとは思わなんだ」

「目的?」

 牡丹の問いに男はつまらなそうに、

「私は、妹を連れ戻したかっただけだ」

 屋上に上がった直後の光景を思い出した。顔ははっきり見えなかったものの、髪の色ぐらいは覚えている。

「あの少女は、貴方の妹ですか?」

「そうだ。妹と言っても、腹違いの兄妹だがな。本当は生きたままの状態で捉えたかったが、思わぬところで命を落とすとはな」

「……その台詞は、彼女を襲っていたグールは、あなたの差し金だと言っているように聞こえますが?」

「その通りだ小娘。あれは私が使役していたグールの一体だ。本当は、ただ眠らせるだけのつもりだったのだがな。フェンスが古く脆かったなんて、我が妹ながら不運で仕方がない。あの小僧も、無意味に命を落としたものだ」

「彼は――」

 言いかけて、牡丹は口を噤んだ。咄嗟に、この言葉は、男に言うべきではないと慌てて判断した。

「なんだ?」

「いえ……とても妹思いの兄が吐く台詞とは思えませんね」

「フン、貴様が私をどう捉えようと構わん。私にとって妹の存在は価値があるか否か。その価値が失われたのなら、それは不要であること同義だ」

 男は表情をピクリとも動かさずに答えた。その様子だと、本気でそう思っているらしい。だがそれは逆を言えば、生きた妹ならば、どうにかして捕まえなければならない程の価値があったとも言える。

「なぜ、グールを駆使してまでも、妹にこだわるのですか?」

「そこまで答える義務はない」

 きっぱりと言い放った。男は続ける。

「そういうことだ。動きもしない死体を持ち帰ったところで何の価値もない。それでは私の目的は失われたも同然。ならば」

そう言って、右手を高らかと上げ、指を弾く。

 その音に反応するように、上空を停滞していたグールが男の傍に降下する。男はその背中に飛び乗ると、グールは再び上空へと羽ばたいた。

「これ以上ここに留まる事は得策ではない。早々に退散させてもらう」

「! 待ちなさい!」

 ほぼ同時に、牡丹も貯水タンクを踏み台に飛び上がる。刀を構え、鳥型のグールを目掛けてその身を空中へと飛ばすが、

「!」

 見えたのは、男が構えた拳銃の銃口。

「目障りだ。身の程を弁えろ」

 冷たく言い放たれた後、一粒の鉛が牡丹の目前に迫る。それは、空中に身を乗り出した状態では避ける事が適わないと分かっていながら、それでも躊躇なく撃たれた弾丸だった。

 かわすことが出来ないなら、受けるしかない。

「こんなもの!」

牡丹は構えた刀を振り上げ、そのまま縦に真っ直ぐに振り下ろす。

その一刀により、小さな弾丸は牡丹に直撃する寸前、綺麗に二つに分断された。

男は仕留められなかった事に特に気にする様子もなく、ただ冷静に牡丹の姿を眺める。

「フン、さすがは『元老院』の犬だな」

「! 何故その事を知っているのです!」

 睨み付けるように見上げたが、グールは既に牡丹の手に届く範囲を抜けて遥か遠くへと飛んでいった。重力に逆らえず、勢いを失った牡丹の身体は落下し、更に男との距離は開く。

 屋上に着地する。同時に刀を紫石に戻した後、再び空を見上げた。

 男はこの夕焼けの空から完全に姿を消していた。夕日に照らされた牡丹は、何ともいえない虚無感と疲労感に襲われた。

結局、あの男が何者なのか知る事が出来なかった。山ほどの疑問を牡丹に残し、去っていた謎の男……

反対に、向こうはこちらの事を知っているようだった。「元老院」という言葉を口にしたあたり、この町が抱えるある程度の内部事情を把握しているという事になる。

「一体、どうなっているのでしょうか……」

 考えるが分からない。

 不意に胸元のポケットが震える。着信だ。牡丹は携帯電話を取り出し、通話ボタンを押した。

「もしもし」

『私だ。首尾はどうだ?』

牡丹はふうっと、大きく息を吐いた。その吐息は電話の向こうにも届いたようで、『どうかしたのか?』と勘ぐられる。

「ええ。色々と。詳細は戻ってからでも宜しいですか? 会長」

牡丹のやや疲れた声色は、電話の向こうにも伝わる。

『ああ、構わない。話は後でゆっくりと聞こう』

「あ、会長。それと……」牡丹は、つい先程大地が飛び出した位置に目を向けながら、「傷の手当がしたいので、その準備と、毛布を一枚お願いしてもいいでしょうか?」

『ああ、構わんぞ』電話の相手は即答する。

「ありがとうございます。ではまた後ほど」

そう言って、牡丹は携帯電話をしまった。直ぐに大地の安否を確認する為に、ボロボロになったフェンスのところへと向かう。

 男は自分の妹が死んだと判断してこの場を去っていった。しかし、牡丹はわざとそれを否定しなかった。故に思う。


少女が生きているなら、あの男はどうするつもりなのか、と――

 

既に牡丹は分かっていた。理由は特にない。強いて言うなら、彼女は大地を信じていた。

 頭だけひょっこりと屋上の外に出し、ビルの遥か下を覗き込む。

「大地!」

 呼びかける声がビルの間をこだました。だが直ぐに反応はなかった。牡丹は目を凝らして、下に見えるゴミ山に注目する。

 ガバッと、ゴミの中から一本の腕が出てきた。その手を揺らしながら、

「……ゴミに埋まって身動きがとれなくなっちまった」

 ウネウネと腕一本でジェスチャーをしながら、篭った声がビルの壁を反射して返ってきた。その光景を見て、牡丹はほっと胸をなでおろす。

「よかった。何とか無事だったみたいですね。女の子の方は大丈夫ですか?」

「おお、なんとかな。落ちてる時に気を失ったみたいだが大丈夫そうだ。それよりここ生ゴミ臭くてたまらん。早くここから出してくれ~」

 今向かいます、と牡丹は急ぎ足でビルの階段を下り始める。理解が追いつかないことの連続で身体も頭もどっと疲れたが、それでも、少年が無事な事が素直に嬉しかった。

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