チーム活動2

階段の先に光が差しているのが見える。屋上はもうすぐそこだ。最後の一段を昇り、二人は勢いそのままに、屋上へと乗りこんだ。

 直後、視界は白く遮られた。先程まで薄暗い場所にいたせいで、夕日の光に目が過剰に反応してしまう。

 どうにか視界を取り戻そうと、二人は目を凝らした。徐々に見えるものに色が着いてくる。

 そのおぼろげな目が捉えたのは、予想もしなかった光景。

黒い布のようなものが、宙を舞っている。それが上着だと分かるまでに然程時間は取られなかった。しかし問題はそれではなく、その先。

 屋上にいたのは一体のグール、だけではなかった。

 その目で見た光景は、古びたフェンスにぶつかり、フェンスごと外に投げ出されている金髪の少女の姿。

一瞬の出来事が、スローモーションで再生されるかのように感じた。

 フェンスの向こう側へと、少女の身体は屋上の範囲の外に飛び出していく。

「な――――」

 牡丹はほんのコンマ数秒、完全に身体が固まってしまった。

 グールが自我の確立の為に人を襲うということは既に知っている。だがこの目で実際に、自分達以外の誰かが襲われる光景を目の当たりにするのは初めてだった。それもそのはずだ。人を襲う前に、私達が倒していたのだから。

 足に直接杭を刺されたかのように、身体が動かない。それほどこの光景は、彼女には衝撃過ぎた。頭では分かっているのに、言う事を聞かない身体がもどかしく感じる。

 何を!と。牡丹はギンッと自分の脚を睨みつける。

 ――驚くな! うろたえるな! 考えなさい! 今この状況で、しなければならないことを! 最優先で行うべきことは――

「牡丹! この場はまかせる!」

 二本の脚が自由を取り戻す。その一言で、牡丹を身体を縛り付けていた見えない鎖が解ける。

 牡丹は顔を上げて、前を見る。気がづいた時には、大地は遥か前方を走っていた。

「おぉぉぉぉ!」

 屋上に怒号が響き渡る。

 紫石も何も持っていなくとも、自分がやるべき事を分っている少年が、疾走する。

なんのことはなかった。考えることなどない。少年の身体は勝手に動いていたのだ。大地は少女の姿を見た瞬間に、無意識に駆け出していた。

 一直線に少女のもとへと大地は向かう。その間にいる邪魔者なんかにも目もくれず、

「どけ!」

 大きな影に体当たりし、押しのけた。押されたグールは大地の存在に気づき、その黒くおぞましい腕を大地に向けて伸ばす。

その瞬間、

「そうは――」

 身体の自由を取り戻した牡丹が、一足で間合いに飛び込む。

 同時に、首もとの紫石を右手で掴んでいた。石が白く輝きだし、牡丹はその光を掴んだまま手を振り払う。既に紫石は首もとから消えていた。

 掴んだ光が真っ直ぐに伸びる。そして弾けるように、その輝きは一瞬に散る――。

 その手が握るのは、一本の刀。

 それは突如として現れた。黒い鍔から真っ直ぐに伸びるその刀身は、振るだけで折れるのではないかと思う程薄く、触れる空気すら無用に斬り捨てそうな程、鋭い。牡丹は姿勢を低くした状態で、柄の根元を左手で掴み、両手でしっかりと柄を握りこむ。夕日に照らされ、鍔元から切っ先まで、その刃がギラリと煌いた。

「させません!」

 左足が着地する。攻撃が容易に届く距離にまで接近した。呼吸を動く身体に合わせ、己の気を極限まで高める。

 狙うは一点。大地の進行を阻もうと伸ばされた、漆黒の腕。

焦点が合った。刃を立て、斜め下から一気に、対角線上に斬り上げる。

己の中で練り上げた気が刀身に宿るのが分かる。更に速く、更に疾く刀は走り、そしてピタリと、その切っ先が停止する。

音もなく、グールの腕は寸断され、胴体から切り離された。

 グールの動きが止まった。クルクルと回転しながら宙を舞う腕は滑稽にすら見える。すぐにその後、地面に落ちるよりも早く、霧が晴れるように腕は消失してゆく。

 牡丹のサポートにより、真っ直ぐに走る大地を阻むものはなくなった。そのまま勢いに任せ、

「おらぁぁ!」

最後の一歩で大きく屋上を踏み越える。大地は自ら、何もない空中へと飛び出す。

「こっちは心配すんな! 後は頼むぞ牡丹!」

 大地は叫びながら、放り出された少女に手を伸ばす。だが届かない。少女は気を失いかけているのか、大地の姿を見ても何も反応がない。

「クソっ! 届けぇぇぇ!」

もう一度伸ばす。今度は少女の腕を掴むことが出来た。引き寄せ、両手で身体をしっかりと抱える。しかし、その後のことは考えてない。どうすることも出来ない。少女を護るように抱きしめたまま、地上から六十メートルの高さから、大地と少女はビルの間を一気に落下していった。


「大地!」

叫ぶが、返事は帰ってこない。牡丹のいる場所からでは、大地と少女の安否は確認することが出来なかった。

大地は……少女は無事なのか? 牡丹は一刻も早くビルを駆け下りて、少年のもとへと駆けつけたかったが、

「ちゃんと分かっています! 私が今やるべきことは……」

 その衝動を、歯を食いしばって噛み殺す。

 グールは一度フェンスが破れた箇所を一瞥すると、こちらを向いて標的を定める。紅く眼を光らせ、まだ健在の腕を、牡丹に向かって突き出す。

 黒い脅威が目の前に迫る。

 だが衝突する直前、牡丹は跳んでその身を後退させた。ギリギリのところで攻撃をかわされたグールは直ぐに地面を蹴りつけ、再び牡丹を追う。

 互いが互いの間合いに入った瞬間、

 そのおぞましい腕を、牡丹の遥か頭上から振り降ろす。

 グールは僅かばかりの思考力しか持ち合わせていない為、繰り出す攻撃に殺気なんてものは感じられない。

だがそれでも、この黒い影の塊は確実に相手の命を狙ってくる。

そんな、見た目も動きも恐ろしい化け物と互角に闘い、討伐するのが、組織の役目。

 微塵も臆する事無く、今こそ役目を果たさんと、牡丹は刺すような視線で敵を睨みつける。

 少女は分かっているのだ。

「今やるべきことは、目の前の敵を倒すことです!」

 刀を返し、構える。

 キイン!と、

 鍔鳴り。同時に両者の動きが止まる。

 その腕は完全に振り下ろされてはいなかった。腕の下で踏みとどまるように、牡丹は刀を頭上に持ち上げ、刀身の側面でグールの一撃を受け止める。

 一般の女子高生が、決して受ける事のないであろう一撃必死の衝撃が刀を伝って、その細い二本の腕に激しく襲いかかる。巨大な鉄球が落ちてきたと錯覚するほど重い、ひたすら重い攻撃。

 防いだ刀が折れないのが不思議なほどだった。刀は刃こぼれ一つ起こさずに、その輝きを失わず、牡丹の身を守っている。

 柄を持つ両手が震える。グールの力が僅かに上のようで、ジリジリとその刀が押し込まれる。紫石で身体能力を向上させてもこの状態だ。速さは然程ないとしても、その禍々しい身体に秘めている純粋な力は、人間のそれを遥かに凌駕する。

「全く……相変わらずの馬鹿力ですね!」

 グールは力を腕に少しずつ加えているようで、更に刀身が押し込まれる。防戦一方ではジリ貧だ。

 だが、このまま黙ってやられるほど、このポニーテールの少女は甘くなかった。

 刀の先に見える紅い眼を見る。その眼が僅かに光を帯び、更にグールが力を加えようとした瞬間、

 フッと、逆に力を抜き、水平に構えた刀の切っ先を斜めに下げる。

「そんな力のゴリ押しでは……」

 刀に乗っていたグールの腕は、誘導されるように刀身を滑走し、降下する。その先にあるのは、無機質なコンクリートで塗り固められた地面。

「私を倒そうなんて無理な話です!」

 衝撃が、屋上全体を揺るがす。

 撃ち付けられた腕はコンクリートを豆腐のように軽々と砕き、地面を抉った。衝撃を受けた中心からバキバキッと、四方に亀裂が走る。直後、爆音と同時に、打ち上げ花火のようにその破片が飛び散り、粉塵が巻き上がった。

牡丹がどれほど凄まじい衝撃を一身で受け止めていたのかが、言葉にせずとも目に見えて分かる。これは生身の人間が受けて、まともに立っていられる衝撃ではない。

これがグールが振りかざす力。人に仇なす化け物の恐ろしさの片鱗を、嫌が応にも見せ付けられる。

 一秒と経たず、目視できない程にまで屋上一帯は砂埃と粉塵の煙に包まれた。少し遅れて、パラパラと四散した破片の落下する音が、ところどころから聞こえてくる。煙で視界が奪われる中、足音一つしない静寂が不意に訪れた。長いように感じる短い沈黙が、戦場と化した屋上を支配してゆく。

 少しの静寂が流れた後、巻き上げられた粉塵は、時間が経過していくと共にその濃度は徐々に薄まっていく。

互いに視界を取り戻す中、牡丹は既に、静かに構えていた。

 両者が完全に視界を取り戻す。しかし、グールの目の前に少女の姿はない。

「こちらですよ?」

 牡丹は目の前に見える敵の、背中に向かってそう言い放った。腰を落とし構えたその手には、この屋上で存在を示すように煌く刀が一振り。

 彼女は刀と一つになった様な感覚を覚える。手にしている刀が、まるで自分の手のように、その切っ先に至るまで、神経が通っているように感じた。

 声に反応してグールは振り返るが、遅い。既に動作に入っていた牡丹は、目で追えないほどの速度で、

「はぁぁぁぁぁ!」

その手を横に薙ぎ払う。

 刹那にして、一閃。

 再び、両者の動きがピタリと止まった。だがそれは一瞬のことで、直ぐに動きを見せたのは一方のみ。

 グールがその眼を僅かに光らせる。脅威の力を見せたその腕を振り上げ、牡丹目掛けて一直線に突き出す。

しかし、その攻撃を避ける素振りも受け止める素振りも見せず、一言。

「終りです」

 直後、牡丹は顔面に風圧を感じた。後ろに束ねた髪の毛がフワリと揺れる。見ると、グールの攻撃は僅か顔一つ分、左にずれて突き出されていた。牡丹が首を動かしたわけではない。グール自身が攻撃を外したのだ。

 遅れてズルリと、牡丹の視界からグールの紅い眼がフェードアウトしてゆく。

 そもそも、胴体から真っ二つに斬られた者が、まともに攻撃を当てられる訳がなかった。

「斬られたことも分からないとは。やはり愚かな存在ですね……」

 刀と一体となって振り抜いた牡丹は、右手で軽く刀を払った。その手に斬ったという感触はない。斬った事実を本人が感じられない程、その最大にして最高の一撃は疾く、鋭かった。

 滑り落ちるように、ボトリと上半身が地面に横たわる。同時に下半身も仰向けの状態で倒れると、その二つに分かれた身体は蒸発するように黒い霧が漂い、やがてその場から姿を消した。

「これで、任務は完了です」

 握っていた刀が光を帯び始める。細長い光はやがて拳ほどの大きさに収束すると、牡丹の首もとに停滞し、元の石に戻った。

 これが、人に見せる事のない少女達の戦い。これが、「組織」が人知れずに繰り広げている戦い。

深く息を吐き、呼吸を整える。牡丹は屋上を見渡した。コンクリートの残骸が見境なく散らばり、このビルだけに地震が起きたかのように、大きな皹が走っている。グールが腕を振り下ろした箇所に至っては地面が抉られ、真下にあるフロアが顔を出していた。大地と牡丹が来た時とは比べ物にならない程、この屋上はその戦いの傷跡を残していた。

「大地は!?」

 ハッと、牡丹は肝心なことを思い出した。大地の安否を確認する為に崩れたフェンス方へと駆け寄る。

……あの状況で走り出せる人間なんて他にいるのでしょうか?

 あれだけ無鉄砲な人間も珍しいと牡丹は思う。よくもまあ自分の危険を顧みずに、真っ直ぐに突っ走る事ができるなと、逆に感心してしまう程、大地の行動は突拍子がなかった。

 彼の破天荒ぶりは今に始まった事ではない。牡丹がまだグールの存在を知らなかった時、初めてあの化け物と遭遇した時もそうだった。

 この世のものとは思えない程のおぞましい姿を見て、恐怖で腰が抜けて動けなかった牡丹を土壇場で助けたのも、あの少年だった。

 あの時は、ヒーローが現れたと本気で思ってしまうほど、衝撃的な出会いだった。そのヒーローが、普段はボサッとして冴えない同級生だと知った時は、流石に落胆の表情を隠せなかったが。

 だが、そんな彼に助けられたからこそ、牡丹自身も「組織」に入ろうと決意した。今度は、いや、これからは、自分が彼を手助けできるようになればと思った。

 しかし実際はこれだ。牡丹が手助けをする前よりも、大地は更に先を行っている。今日なんてむしろ、大地に助けられてしまったではないか。

「何をしているんでしょう……私は」

 牡丹はため息を吐いた。これでは私は何の為に彼の傍にいるのだと。

 このままではいけない、もっと気合を入れなければいけない。そう思った時、

「――っ!」

 今まで感じた事がない、見て取れるのではないかと錯覚してしまう程、鋭く、冷たく、張り詰めた視線が、牡丹の全身を襲った。

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