チーム活動

「目標はここから北にある、無人のビルにいるとのことです」

 閑静な住宅街の僅かばかり上空、長く艶やかな髪を後ろで一つに纏めた、ブレザー姿の桜木牡丹が、手に持っていた携帯電話をポケットにしまいながら言った。太陽が沈みかけ、静寂な夜が訪れようとしている最中、端正な顔立ちをしたその少女は、高低差がまばらな屋根の上を軽やかに跳ねてゆく。

 だが、そんな事よりも、と。

「お前はいいなぁ! そんなにポンポン飛び跳ねられてよぉ!」

 牡丹は屋根から見下ろす形で、声のする方へと振り向いた。そこには学生服姿の月島大地が、牡丹と同じ方向に向かって走っている。

 大地は牡丹に追いかけるのがやっとで、額に大粒の汗を流していた。

「そんなことを言われても、私としては困るのですが……」

「分かった! じゃあ俺をおぶってくれ!」

「何が分かったのですか? あなたの馬鹿さ加減がですか?」

 牡丹は呆れた表情を向ける。

 二人が駆けるここ、空澄美(からすみ)町には、人間や動物以外に、さらにもう一つの生き物の存在がある。それは、一般の人は気づくべきではない、おぞましい存在。人に在らざる者〈グール〉というものだ。

 それは、黒い霧が固まった様な塊が人の形容を成し、頭部と思わしき部分には不気味に光る紅い目を持つ、明らかに人ではない、化け物。

 それは時に、人に被害を加える。元々、若干の思考力を持ち得ているが、更に自我を確立させる為に、より思考力を持つものを自分に取り込もうとする習性がある。つまり、人間の脳や血肉を目当てに、人を襲う習性が、グールにはある。

 そんな危険な存在を、牡丹と大地は人知れず討伐する為、今こうして現場へと向かっていた。

二人は、対グールに特化した戦闘集団のある組織に所属している。

 だが戦闘集団と言っても、大地や牡丹は、この町の学校に通っているだけの普通の高校生だ。

この月島大地なんか、部活に入っておらず、体力も筋力も男子高校生の平均からやや上ぐらいで、喧嘩は出来るが素人に毛が生えたぐらいの程度。牡丹は剣道部のエースだが、あくまでもその程度で、怪物の相手を出来るような能力は持ち合わせていない。

 その為、一般人と何ら遜色ない人間がグール相手に善戦できるようにと、組織から渡されるものがある。

 牡丹が屋根の上を跳ねる度に、首元の妖艶に煌く石が揺れる。

 宝石のようなそれは、「紫石(しせき)」と呼ばれる石だ。牡丹が軽々と屋根を飛び越えられる程の身体能力があるのは、その首もとで輝く紫石の恩恵の賜物である。

 ではなぜ、少年はひーひーとしんどそうな表情を浮かべながら走っているのか。

 大地は同じ組織に所属しているにも拘わらず、その石を持っていない。持ち前の体力だけで、牡丹のスピードに何とか喰らいついている状態であった。

「あぁいーなーお前は、紫石の力を存分に使えて! 俺もたまには人様の家の屋根を飛び越えてみたいわ!」

「ないものねだりはしないでくだい。ほら、急がないと目標を見失いますよ」

 牡丹は更にスピードを上げる。

「わかってるよ!」

 大地も負けじと足に力を込めた。

 


「あそこです!」

 二人の視線の先に、目標がいると思われる廃ビルが見えた。

 牡丹は最後の足場となる屋根から大きく跳ぶと、片道一斜線のあまり利用されていない道路を軽々と飛び越え、廃ビルの前に着地する。

後を追うように、全力疾走の大地も道路を横断し到着した。

「会長から連絡を受けた場所が、ここです」

 切れ切れの息を整え、大地はそびえ立つコンクリートの建造物を訝しげに眺める。

「しっかし、なんとも辛気臭い場所だな。グールだけじゃなくて別のモノも出てきそうだ」

 その言葉に牡丹はビクリと身体を震わせる。

「……今からこの中に入るのに、な、何故あなたはそういうことを言うのですか?」

「……もしかしてお前、怖いのか?」

 冗談で聞いたつもりが、本人はどうも本気らしい。先程よりも顔がひどく青ざめ、

「そ、そんなこと、ああ、あるわけないでしょう、ばばば馬鹿馬鹿しい」

 カミカミの言葉で虚勢を張っている。

「幽霊なんぞよりも、もっと恐ろしいもんを相手してるっていうのに」

「うううるさい! さっさと行きますよ!」

 呆れた表情の大地に目もくれず、牡丹は入り口の周囲にある瓦礫に気をつけながら、ビルの中を覗く。外からでは、暗くて何も見えない。

 中を覗いた後、今度は上に顔を向けた。目算で六十メートルもないといったところか。一階一階をくまなく見て回るのは大変そうだ。

 大地は大地で、ビルの周辺に目を向けていた。問題のビルの隣には、似たように使われなくなった無人のビルが、五メートル程の距離を開けて、無言でそこに建っていた。そのビルとビルの間には、容量いっぱいに詰められた黒いゴミ袋が、山ほど詰まれているのが見える。

「とにかく、中に入りましょう」

 牡丹が入り口へと向かった。大地も後へ続く。

 二人は開きっぱなしの扉から進入した。当たり前だが中に人の気配がなく、自分達の歩く音だけがやけに響く。夕日が沈みかけているため、割れた窓ガラスから差し込む若干の光を頼りに、大地と牡丹は内部を散策を開始した。

「気配がないな……本当にここにいるのか?」

 大地は先頭を歩く牡丹に訪ねた。

「ええ、会長の連絡からは、確かにここだと………もし移動しているなら、直ぐに連絡があるはずです」

「上の階に行ってみるか。この建物無駄に広いからさっさとしないと日が暮れちまう。手分けして捜した方がよさそうだな」

 その言葉に、牡丹はピタリとその歩みを止めた。

「……やっぱり、そうした方がよろしいですか?」

「その方が効率的……って、お前やっぱ怖いんだろう? 無理するなよ」

 牡丹はぐるりと大地に振り返った。余りにも突然な動きだった為、大地は少しびっくりしてしまった。ガチガチに固まった表情をしているが、その眼はウルウルと涙ぐんでおり、今にも泣き出しそうだ。

「こ、怖くなんかありません! 私はひ、ひひ一人でも全く問題ありません!」

「……どう見ても、問題大有りなんだがな」

 そこで、急に何かを思いついたように顔がにやけてしまった。少しこの娘を驚かしてやろうと、大地は僅かに視線をずらし、牡丹の肩の辺りを凝視する。

「? 大地……?」

 大地の視線に牡丹が気づく。

「なあ、牡丹」

「はい?」

「お前の後ろから無数の手が見え」

「~~~~!」

 言った途端、牡丹はあたふたと暴れだした。突然の変わりぶりに脅かした本人である大地も、その豹変ぶりに驚いてしまった。我を忘れて両手をバタバタさせて、グルグルと身体を回しているかと思えば、

「うお!」

「大地、助けてください!」

 今度は大地に抱きついてきた。女の子の体重を一身に受けた大地は体制を崩し、その場に仰向けになって倒れてしまった。

 少女の胸が腕に当たっている事を実感しながらも、

「おいおいおいおい、嘘だよ、嘘だから、目を開けろって! な!」

 大地の言葉が耳に入らないほど焦っているのか、牡丹はひっしと大地にしがみついたまま顔を上げようとはしない。決して離れまいと、しがみつく腕に更に力を込める。そのせいで、大地の腕により確かな、マシュマロのようにやわらかい感触が。

「だ、大丈夫だから! 何もいねーからとりあえず離れようその方がいいああ絶対それがいいお前の為にも!」

 ハッと、牡丹は我に返った。

「…………」

「な? 何もないだろ……?」

 無言で起き上がり、大地に背を向けて、乱れた服装を整える。その無言の背中が、大地に謎のプレッシャーを与える。

「……い、言っただろ? 冗談だって……」

 唾をゴクリと飲み込む。振り向いた彼女の形相は、想像以上だった。

 顔を真っ赤にしながら睨みつけているその眼は、瞳孔が開いている。全身から滲みでる殺気が、怯える大地を更に追い詰め、震え上がらせる。。

「……どうやら、グールを倒す前に粛清しなければならない者がいるようですね」

 牡丹の右の眉がピクリと上がる。

「いや……すまん。ほんのイタズラのつもりだった……でした。あああごめんなさい! 首元の紫石に手をかざすのは止めてくださいマジで!」

 命を請う大地の姿に満足したのか、牡丹はふうッと深く息を吐いて、

「全く……。ほら大地、さっさと起きて下さい。今からグールを相手にするっていうのに、あなたは緊張感がなさ過ぎです。もっと気を引き締め……」

 不意に、牡丹の言葉が途切れた。

 その目線は大地に向いておらず、この階の中央部分を見つめている。「どうした?」、と大地は立ち上がり、その何かを見つけたような牡丹の視線を追って、同様の方向に目を向ける。

 視線の先には、銀色に鈍く光る物があった。牡丹が近づくと、

「ナイフ、ですか……」

 そこには、刃がむき出しの小さなナイフが一本、転がっていた。

「以前からここに落ちていた、というわけではなさそうですが……」

牡丹が言うように、そのナイフは先程まで手入れがされていたように、曇り一つ、錆ひとつない、綺麗な刃を維持していた。大地も傍に寄り、横からそのナイフを覗き込む。

「誰かが、ここに出入りしていたのか?」

「町の不良共の溜まり場になっていた、とも考えられますが」

 牡丹は腰を落とし、転がっているナイフに触れようと手を伸ばした。特に特徴もないナイフ。気になることといえば、思っていたよりも、ナイフ自体が小さいということだった。男が使うには、グリップの部分が小さすぎる。だとすれば……。

「これは……」

 刃の部分に手を触れた瞬間、牡丹があることに気づいた。牡丹は訂正する。これはただのナイフではない。

「牡丹?」

「大地。これはどうやら私の持っているこれと、同類のものらしいです」

 首にかけている小さな石に触れて言った。何を言っているのか、大地は直ぐに理解する。これは、対グール用に作られた武器であると。

「なんでそんなものがここに? ……どういうことだ?」

「私達以外のチームという線もありますが、この場所は私達の管轄です。もしそうならば、会長から事前に連絡はあるはずなんですが」

「じゃあ、こいつの持ち主は一体――」

 僅かに、

「!」

 少年の左腕が、疼く。

「大地?」

 微妙な表情の変化に気付き、牡丹は大地の顔を覗き込んだ。直ぐに大丈夫だという視線を返す。

 感触を確かめるように、大地は左手をグッと握った。無意識に、目と眉の間が狭まる。

「……どうやら、この上にいるらしいぜ」

 上を見上げた。天井を見ているのではない。その先にいる、自分たちの敵の存在を確信する。

「急ぎましょう。奴らが人を襲う前に」

牡丹と顔を合わせる。二人は大きく頷いた。

 二人を取り巻く空気が、一気に張り詰めたものへと変化する。ここから先は、冗談は一切なしの、命懸けの戦いだ。自然と、二人の顔が引き締まる。

「おい、あそこ」

 大地は壁際に一つの扉を見つけた。接近し扉を開けると、上まで続く階段がそこにはあった。

二人は無言で視線を交わすと、トップスピードで一気に駆け上がる。

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