第50話 プライベートコンサート【後編】

 場面は変わり、今はピアノコンサートの真っ最中。

 わたしは出番が来るまで、舞台の袖で待機している。


 会場内を見渡すと、皐月さんとその家族が見えた。

 一様に、お母さんの演奏に釘付けになっていることがわかり、安堵の息が漏れる。

 とりあえず相談は成功のようね。

 あと、お姉ちゃん、マコちゃん、沙織、カオル君、尊の顔も見えた。

 お母さんの旋律を前に、みんながうっとりした眼差しになっていて、わたしはすごく誇らしい。


 コンサートプログラムとしては全部で十曲。

 そしてわたしの出番は七曲目。

 六曲目が終わり、息つく間もなくスタッフの人に視線をやるお母さん。

 そういう段取りだったのだろう、マイクを持ってスタッフの人はお母さんの元へ駆け寄ると、マイクを手渡した。

 そしてお母さんは、大きく深呼吸をして話し始める。



「今日はわたしにとってとても素晴らしい日なんです。わたしがピアノを続けてきて、今日が一番嬉しい日なんですよ。

 これまでのピアノ人生の中では、ピアノを辞めなくちゃならない時もあったけど、この日のために復活したんだと実感しています。

 その嬉しいこととは、宝物の娘と一緒に、皆さんの前でピアノを弾くことができるということ。

 私事であることは重々承知していますが、我侭をお許しください。

 紹介します。わたしの娘の綾瀬 湊です」



 お母さんの話が心に染みてくる。

 そこまで言ってくれて嬉しくないわけがないよ。

 感動してちょっと『うるっ』ときちゃったじゃない。

 演奏前だっていうのに。


 でも、一斉に会場中に響き渡る拍手に、わたしはその涙を拭いゆっくりとピアノの、お母さんの方へ向かった。


 お母さんの隣に到着すると、拍手へのお礼と拙い演奏を聴いてもらうための謝意を込めて、お辞儀をした。

 すると、お母さんが「ほら、湊。一言」と言ってマイクを渡してくる。

 訊いてないよ~。



「ただいまご紹介に預かりました、綾瀬 湊です。

 今日はわたしなどが母の演奏に入れて頂くこととなり恐縮なんですが、母の想いに応えられるように弾きたいと思いますのでご清聴をお願いします」



 わたしの挨拶に、再度鳴り響くの拍手。

 そしてお母さんはわたしの目に視線を合わせてくると、お互いが頷き合った。

 スタッフの人にマイクを渡し、椅子に移動して、ほぼ同時に着座する。

 少しお尻の位置を直してと。


 お母さんが徐ろに鍵盤上に両手をやると、わたしもつられる様に習う。

 一転した静寂の中、お母さんの呼吸音が聞こえてきた。


 もう呼吸するタイミングがいつものそれとは違い、独特なテンポを刻んでいた。

 まずは呼吸を合わせることから始めなくちゃ。

 わたしはお母さんの呼吸からその時の体調、感情、思考までなんとなくわかるんだ。

 伊達に近くで習ってきていないから。


 お母さんの集中力が高まっていく。

 同じように集中力を高め、ゴクリと口の中に溜まった水分を一掃する。

 そしてまずお母さんから……奏で始める。

 優しく始まった調べは『千本桜』という物語の幕開けだ。


 わたしとお母さんは正直この千本桜という曲をあまり知らなかった。

 居間でテレビを見ているとき耳にして、楽譜があって、試しに弾いてみたっていうのが出会い。

 連弾するならもっと他に曲もあった。

「どうせならお互い慣れていない曲で、同じリングの上で戦いましょう」とお母さんがけしかけてきたので、ある程度この曲を弾けるようになっていたわたしは「いいわ、負けないんだからね」と受けたんだ。


 この曲について調べてみると、明治維新後の激動期に時代の波が荒れ、その中で生きる人々が、奔走しながら新たな時代を築いていくことを描いた曲、と認識した。

 原曲は現代の表現方法として、サンプリングされた人の声を元にメロディーと歌詞を入れることによって音声を合成するという技術。

 総称ボーカロイド、通称ボカロという特殊技術を使い、仮想の中に現実を見出しているという感じ。

 躍動感溢れ目まぐるしく情景が変わるその様は、個人的な捉え方により多様な表現となってしまう。

 ここは、ある程度お母さんとの意思を統一させて、場面を絞って望まなくてはならない。

 同じリングの上で戦うのだから、想像しやすい場面がいいよね。

 ならば必然的に、最初の舞台は幕末から明治維新最中までの世界。

 この曲には歌詞があり、その中では登場人物も存在する。

 どうせならイメージはその歌詞に合わせて、将校はお母さん、花魁はわたしが扮し、三千世界に立つ。

 そして、いざ勝負!


 まず、お母さんが打って出てくる。戊辰戦争の幕開けだ。

 お母さんの力強い音色に圧倒されて、わたしはついて行くのがやっと。

 圧倒的な力の前に、わたしはあっさり敗北を喫してしまう。

 これが力の差なのだと納得するも、やっぱり悔しいよ。


 スローテンポになったところで場面を切り替え、今度はわたしから仕掛けるタイミングを画策する。

 場面を変え、倒幕後の新政府はわたしだ。そして今度のお母さんは外国による侵略者。

 一瞬お母さんの目に目を重ねると、お母さんは瞳の奥に戦艦を持って威圧してきた。

 負けていられない。

 わたしは富国強兵だと言わんばかりに猛々しさを見せ付けた。

 これにはお母さんの口角も上がり、楽しそうにわたしと競い合った。

 ああ、まるでその時代にタイムトリップしたみたい。


 曲も終盤にかかると、いつの間にか文明開化の幕開けに、わたしたちは陶酔していた。

 この時代の人の想いと現在自分が感じる想いが混ざり合い、不思議な気持ちになってくる。

 その時代その時代で、人々が強くしっかりと生きていたんだと、心に刻み込まれる。

 わたしたちもこの時代でしっかり生きていかなくちゃいけないと。

 そして最後は、お母さんと同時にフィニッシュ。


 終わった。

 終わったよ。


 観客席から拍手が起こり始め、わたしはお母さんの顔を見ようとすると、お母さんはまた鍵盤と対話を始めた。


 えっ?

 終わったんじゃないの?

 まだ弾くの?


 そして奏でられたのは、ベートーベンの『エリーゼのために』だった。

 わたしも流れを壊さぬようにと追随する。


 あんまり練習してないのに……しかも楽譜もないし。


 戸惑いながらお母さんを一瞥すると、わたしにニコリと微笑み、腰を浮かし、演奏が途切れないように弾きながら、立ち上がってしまった。

 意図せず独奏状態となり、『はめられた、図られた』と訝しみながら弾き続けるわたし。


 思えばこの曲は、お母さんが一番最初に教えてくれた曲。

 そしてある程度弾けるようになったとき、「この曲は弾くんじゃなくて詠うのよ。想いを乗せてこそ、この曲がどういう曲かわかるわ」と教わった。

 当時のわたしは若すぎて、何を言っているのかわからなかった。

 だからその真意を探ろうと、調べておいてよかった。


『エリーゼのために』はベートベンがテレーゼという想い叶わぬ人に書いた曲だといわれている。

 身分の違いなのか想いの一方通行なのか背景はわからないけど、曲を通して愛おしさ、情熱、そして孤独が心の中に溶け込んでくる。

 後ろに立ち、暖かな気配で包み込んでくれるお母さんを感じながら、今の想いをこの曲に込めてみる。


 マコちゃんはわたしを信じて一途で揺るがず、真っ直ぐにわたしを想ってくれている。


 沙織は周囲に不安を感じながらも、わたしという存在を頼ってくれている。


 カオル君は理不尽な社会に晒されながらも、信念を持ちつつわたしに特別な感情を抱いてくれている。


 わたしがこの曲に愛を込めるに相応しい人達。

 もちろん、お母さんやお姉ちゃんもね。

 尊はノーコメントで。


 気がつけば指が勝手に動いていて、テンポも強弱も譜面どおりになっていない。

 譜面はないのだけれど。


 でも想いを乗せて曲をみんなの心へ届けるって、なんて素晴らしいことなんだろう。

 わたしは最後まで、一音一音に想いを込めて詠った。


 『エリーゼのために』を詠い終わり立ち上がると、お母さんに背中を押され、前に進んでお辞儀をする。

 すると静寂に満ちていた会場から、一斉に拍手が巻き起こった。

 みんな、総立ちでスタンディングオベーションってやつ。

 すごく気持ちがいいよ。

 マコちゃんもカオル君もお姉ちゃんも、目に涙を浮かべながら拍手をしてくれている。

 沙織はというと、子供みたいに泣きじゃくっていた。

 お母さんはわたしの少し後ろへ立つと、肩へ手を乗せてきてしみじみと口を開いた。



「ピアノっていいでしょ。いろんな世界やいろんな時間に行くことができて、言葉とは別の想いも伝えることができる。ピアノがあなたの輝く場所であったなら、お母さん嬉しいな」


「うん。考えていたよりもずっと良かった。楽しかったし気持ちよかった。ありがとうね、お母さん」



 その後、わたしはお母さんの演奏を舞台袖から鑑賞した。

 自分の演奏が終わって、改めてお母さんの凄さが体感できる。

 偉大なお母さん。

 尊敬するお母さん。

 大好き。


 コンサートが終わり、挨拶をして舞台袖へと戻ってきた。

 長時間の演奏で、一番疲れているのはお母さんなのに「湊、疲れたでしょ。お疲れさまだったね」と労ってくれる。



「お母さんの方が疲れているに決まっているでしょ。お母さんの方こそお疲れさま。すごく素敵な演奏だったよ」


「ありがと。あなたは努力もさることながら、やっぱり天才だわ。今日は本当に楽しませてもらった。感謝してる」


「もう、お母さん」



 わたしの目には、またうるっとしたものが浮かぶ。

 それに気付いたお母さんは、わたしをそっと胸に包んでくれたんだ。

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