第46話 プールにて【後編】

 中に入ると、五つ並んだ個室の一番手前を使用することにした。

 外はあんなに混んでいたのに、運がいいのか五つとも空室だった。


 同時に五つも使用することができないわけで、一つ開いていれば十分だと思いながら、ビキニパンツを下ろし、便座に腰掛け…………

 って、なんていうこと言わせてるのよ。

 この変態!

 危うく最後まで報告するところだったじゃない。


 でもわたしが腹立たしかったのはそんなことじゃなくて、そこで用事を済ませている最中に、洗面室で話をしていた二人組のこと。


 たぶん声の感じから、わたしと歳は同じくらいだと思う。



「ちょっと、あの勘違い四人組見た?」


「あー、あいつら? 自分のこと可愛いって勘違いしてる奴らでしょ。自意識過剰な感じの」


「そう。その中に男っぽい奴いたじゃない。なんか僕って言ってて、マジに男になりきってんの」


「うわっ、あれじゃね? トランス何ちゃらって」


「あははは、何それ。そんな奴がこんな公衆の場にくんなっての」


「言えてる。マジ人権ないよね」



 あームカつく!

 言いたいこと言いやがって。

 お前らみたいな奴の方が、よっぽど公衆の場に来て欲しくないっつーの。

 心が男で何が悪い。

 お前らに迷惑かけてるのか?

 もう、心が狭いっていうか無知の極みっていうか、どうしてそういう風にしか考えられないのかね。

 とやかく言う前に、同じ人間なんだってこと解れっていうの。


 わたしは個室の中でやり場のない怒りを抑えきれず、前の扉を思い切り叩き叫んだ。



「バカヤロー!」



 トイレの中に反響するわたしの声。

 二人組は「何? キモ」「行こ」と言い残し、出て行ったのだった。


 嫌な気分になった。

 だけどこの気分を引きずってはいけない。

 気持ちを切り替え復路を辿った。

 みんなを視界に捉え始めると、その周りに四人くらいの男性のような人影が見える。

 何か嫌な予感がしてきた。

 悪いこととは重なるものだ。


 わたしは足早に歩みを進める。

 いや、走った。



「もう僕らに構うな。どっかに行け」


「そんなつれないこと言うなよ。男女のねえちゃん。俺らはただ一緒に遊ぼうって言っただけじゃねえか」


「だから構うなと言っているんだ。とっとと消えろ」


「あんたが消えろよ。俺らはその可愛い方と遊ぶんだから」



 近づくにつれ露わになる全容。

 どうみてもチンピラ四人に取り囲まれている女の子三人、という感じだった。

 男どもは頭の悪そうな顔立ちで、中途半端なロン毛や、趣味の悪い金髪、ダサい角刈りなど、どこを取っても碌でもない輩だ。

 必死に守っているカオル君と、その後ろで抱き合うように蹲っているマコちゃんと沙織が痛々しい。

 周りには人気がない。


 誰か助けてくれる人はいないの?


 話をしていた男の一人が近寄ろうとした時、カオル君が両手を広げ阻止した。

すると男によって払うように弾き倒された。



「怪我したくなけりゃ大人しくしてろや」



 わたしはやっと到着するなり、男たちに向かって怒鳴り散らした。



「何してくれてんの、このクズども」


「ああ?」



 クズ四人とも一斉にこっちを睨みつけるけど、別にわたしは怖くない。



「その子たちは、あんたらみたいなゴミが関われる女の子じゃないのよ。とっととそこから離れて、視界から消えなさい」


「お、これは真打ち登場か。しかも可愛い。ねえちゃんも俺らと遊んでくれよ」


「そんな貧祖な顔でよく言えるわね。あんたらなんて自分たちで慰めあってりゃいいのよ。

 いいから、どけっての、このゴミ虫」



 頭に血が上ったわたしは、言葉にブレーキがかからない。

 一斉に飛びかかってきたら、わたしも相手にできるかわからない。

 だけどみんなを見ていると言わずにはいられないよ。



「この、いい気になりやがって。どうなっても知らんぞ」



 そう吐きながら、手前のゴミ虫はわたしを掴みにやってくる。

 ここで投げたら地面のコンクリートに強打して、たとえゴミ虫でも怪我では済まないかも。

 掴もうとしてきた手をさっと躱し、プールサイドまで歩みを進めた。

 躱されたことに苛立ったのか、「このっ」と吐き捨てながら更に加速をつけて掴みかかってくる。

 でも、ここなら大丈夫だ。


 わたしはプールを一瞥すると、掴もうとしてきた手首を取り、極め、くるりと相手を回転させて、プールの中に投げ入れた。

 ドボーンと豪快にプールに沈む一匹のゴミ虫。

 それを見た他のゴミ虫たちは、馬鹿の一つ覚えのように、同じような動作で順番にわたしに掴みかかってくる。

 バカで良かった。

 わたしは、それを一匹目と同じような動作で、次々と投げていった。

 まるでリプレイのように弧を描きプールに入水するゴミ虫たち。


 緊急だったからやっちゃったけど、良い子はやっちゃダメ。格闘技の技は外で使ったら凶器と一緒なのだから。

 わたしに投げ飛ばされ入浴中のゴミ虫たちは、未だ頭に血が上っているからか、威勢良く罵声を発してきた。

 別に訊きたくないのに。



「この女、壊すぞコラ」


「やれるものならやってみなさい」



 わたしは仁王立ちで、そのゴミ虫たちを見下ろした。

 特に気にせず水の中へぶん投げたものだから、落ちた際に衝突したかと気になった。

 でも怪我はしていないみたい。


 そこへ今更ながら管理の人たちがやってきた。

 遅いよ、もう。



「何やっているんだ君たち」



 それに気づいたゴミ虫たちは「クソ、覚えてろよ」なんて三流脇役台詞を吐きながら、間抜けな感じで向こう側に泳いでいく。

 わたしはそいつらを目で蔑むと、管理の人に向き直し事情を説明した。


 わたしたちは無罪放免。

 当たり前だよね。

 管理の人が去ると、みんなの元へ身を寄せる。

 余程怖かったのだろう、マコちゃんと沙織は薄ら瞳に涙を浮かべ、少し震えていた。

 もう、あんな奴らこの世から撲滅してほしい。


 カオル君はマコちゃんと沙織を、後ろから包むように「守ってあげられなくてごめん」と呟いていた。

 カオル君の方がよっぽど男らしいわ。

 そしてわたしは、マコちゃんと沙織の頬に手を添えた。

 小刻みに揺れている頬に。



「ごめんね、わたしが来たいって言ったばかりに、みんなにこんな辛い思いさせちゃって。もう、帰ろ」


「湊ちゃんのせいじゃないよ。湊ちゃん、かっこ良かった。また守ってくれた」


「そうでございます。湊様も被害者なのですから謝ってはいけません。

 ですが、わたくしは湊様に守って頂いてばかりで、不甲斐がございません」



 そしてカオル君も言う。



「僕もミナみたいにもっと強かったらと思うと、悔しいよ」


「カオル君は、わたしが向かって来るまで必死にマコちゃんと沙織を守ってた。

 男らしくてかっこ良かったよ。

 それにマコちゃんと沙織は、やっぱりわたしが守るから。わたしに守らせてね」



 わたしは立ち上がると、カオル君の瞳に愛情をそそぎ、マコちゃんと沙織の手を取った。



「もう帰ろうね。思い出を作ろうって言ったけど、嫌な思い出はここに置いていこう」



 わたしたちは、そのプールを後にしたのだった。

 と、その前に。


 意気消沈した四人で、帰りの支度を整えるべく着替えに向かう。

 更衣室では、「僕、トイレで着替えて来るから、終わったら呼んでくれ」と、来たときと同じトーンで言うカオル君。

 「ちゃんとシャワーを浴びなくちゃダメです」と、無理やり引っ張ってシャワー室に突っ込む。

 当然、シャワー室の中は女性ばかりだけど、そのまま帰るのはダメなんだから。


 帰り道。

 お腹も空いたし、まだ時間もあるから駅前のファーストフード店で食事して、カラオケにでも寄っていこうってことになった。

 プールから駅までは歩いていけない距離じゃないし、バスが来る時間はまだ先だったので、歩いて行くことに。

 さっきの出来事と空腹で、トボトボと歩みを進めるわたしたち。

 もちろん、いつものようにわたしの両手にはマコちゃんと沙織の手がしっかり握られ、その後ろを付いて来るカオル君がいた。

 だから、わたしの荷物はリュックに収められ、暑さで背中が汗ばんでいる。

 まあどうでもいい話ね。



「お腹空いたね」



 わたしは湿った空気を打開しようと口を開いた。

 いい話題が見つからないので、ただ思ったことを口にしてしまった。



『グゥ〜〜』



 言葉を口にした瞬間、わたしのお腹も打開しようとしたのか輪唱してくる。



「ミナ、そんなに空いたのかい?」


「湊ちゃん、すっごい体力使ったもんね」


「申し訳ございませんが、生憎、お口にするものをお持ちしておりません」



 みんなの集中砲火に、わたしの顔はのぼせ上がる。

 ただでさえ暑いというのに。



「い、いや、これは別にそこまでじゃないから。て、みんなも空いているでしょ。空いてるはずよ。白状しなさい、沙織!」



 照れ隠しで、わたしは弁解になっていない弁解を取り繕い、終いに沙織を巻き込んでしまう。

 両手もふさがっているし、ジェスチャーみたいなのもできないから、口を動かすしかないのよ。



「え、なんでわたし?」


「だって、食いしん坊の沙織が空いてないわけないじゃない」


「もう、湊ちゃんひどいよ〜」



 沙織には悪いけど、少し空気がホンワカとなった。

 沙織は頬を膨らませていた。

 でもみんなの笑みが出てちょっと安心。

 更に頭に過ぎったことが、口からでた。



「やっぱり、尊も誘った方が良かったのかな?」


「「「それはダメ」だ」でございます」



 一斉に返ってきた合唱に、少しの沈黙の後、みんなはいつもの笑顔で笑い合った。



 もうプールには行けないと思ってる?

 実はそんなことないんだ。

 お姉ちゃんに顛末を話したら、「そんなことがあったの。無茶しちゃダメよ、湊ちゃん。遊びたいなら別にうちの会社のプール使えばいいじゃない。言ってくれれば、ちゃんと貸切にしてあげるわよ」と言っていたの。

 わたしは「そんなのあったっけ?」と訊き返した。

「まあ、会社の更生施設だし。あ、この間、プライベートビーチ付きの別荘を買ったから、好きに使っていいわよ」とも言っていた。

 それならあんなトラウマを作ることもなかったのにな。

 でも、みんなで水着を買ったのが無駄にならなくて良かった!

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