第44話 討論【後編】
わたしたちの論議に、マコちゃんが一言挟んだ。
「湊様のご家族は例え何があろうとも、破綻することなどございません。
わたくしがディスティアで拝見して参りましたどのご家族よりも強固な絆にてございます。わたくしもその絆に接することにより、この身に深く体感させて頂いております。
もとより、王家の絆の浅はかさを存じているルークであれば、承知のことかと」
マコちゃんの合いの手に、怯みを見せるルーク君。
それは王家の核心を突かれたためか、それともやっぱりマコちゃんには弱いのか。
でも、マコちゃんのルーク君に対する口調が戻っていたので、昨日と違って冷静になっているのがわかる。
わたしとの論議には沈着な応戦をしてきたルーク君が、マコちゃんの一言により焦ったのか、半ば強引な詰め方をしてきた。
「何にせよ、大企業に嫁ぐことは幸せなことですし、わたしたちという絆も存在するのですから、王家の血筋であるソフィア様が幸せになれるのはディスティア王国だけなのです。そしてそれがディスティア王国のためでもあるのです。
ですからソフィア様が現在どう思われようと、未来のために帰るべきなのですよ」
もうこうなるとわたしも冷静ではいられない。
とは言っても、ルーク君に暴力でこられている訳ではないのだから、紳士的にね。
「なにを言っているんですか? 結局幸せかどうかと感じるのは、マコちゃん自身なんですよ。
わたしたちはマコちゃんが幸せになるための、真意の議論をしていたはずです。過程を省いて極論に出るのであれば、わたしだって言わせてもらいます。
マコちゃんはわたしの傍にいるべきです。必ずわたしが幸せにしてみせます。わたしのマコちゃんは誰にも渡しません。何があろうと絶対に渡しませんから」
マコちゃんの頭に手を回し、わたしの頬にくっつける。
マコちゃんも身を委ねるように、寄り添ってきた。
ルーク君は『ギリリ』と歯をくいしばる素振りを見せ、悔しさを表に出している。
そして目を閉じながら、囁くように追い討ちするマコちゃん。
「これで分かりましたでしょう、ルーク。わたくしと湊様は相思相愛にてございますのよ。
既にいかなる手段を持ち合わせたとしても、決して離れることのない絆となっております故、わたくしの幸せはこの場所にしかございません」
そしてマコちゃんは、駄目押しとばかりにわたしの腰にか細い腕を回し、一体化を高めてくる。
何もないのにこれをしていたら、かなりアブナイ人に見えるのだろうけど、この場においては効果覿面だ。
ルーク君はその発言と様子を視認すると、脱力したかのように溜息を吐き呟いた。
「はぁ、これじゃ引っ張って帰ることもできなさそうですね。まだ今日を合わせて九日ありますし、様子は見させて貰いますが、残りの日数だけで説得しきるのは無理のようです。
折角、留学という段取りまで組んできたのですけどね。
正直言いますともちろんソフィア様には幸せになって欲しいのですが、僕たちが帰って来て欲しかったんですよ。ソフィア様の存在は枯れ果てた王宮のオアシスだったものですから。
ご婚約なされたとしてもご婚姻はまだまだ先の話なので、それまでは僕たちと共にいて頂きたいと思いまして。
やれやれ、最初の行動が浅はか過ぎたのですかね。……違いますか。
ソフィア様にはどんな行動をしたとしても無意味なのでしょう。
こちらにくる前にアメリアさんが『あなた方がどのような策を講じようとも、ソフィア様のお気持ちが揺るぐことなどございません』と言われた通りになりました。
僕たちは、僕たちとソフィア様とが過ごした十年の日々が確かなものと核心して、一時的な過ちにより離縁したことを後悔なされていると勝手に思い込んで、冷静になったソフィア様とお話しすることさえできれば大丈夫かと、妙な自信がありまして」
言葉の中にアメリアさんが出てきたため、目だけをパチクリと開けたマコちゃん。
「それではやはり、アメリアさんは今回のことに、賛同を示されたわけではございませんでしたのね」
「ええ。最初は無駄な労力を割くよりも、将来一時的にもお帰りになることがあった時のために、帰ってきて良かったと思って貰えるような環境を作っておきましょう、と言われたんですが、僕たちはどうしても諦めきれなくて」
「アメリアさんは、他の方たちは、お変わりございませんでしょうか?」
「元気ですよ。ソフィア様が出て行ってしまわれてから空気は少し殺伐としていますが、皆元気でやっています」
「そうでございますか。皆様にはくれぐれもよろしくお伝えください。わたくしも元気でやっておりますので、皆様も体調管理には十分にお気遣いくださいと。
そして、アメリアさんにはご恩はいつか必ずお返し致しますと」
そう言ってマコちゃんは、また静かに目を閉じた。
「もう僕がこの場にいる理由はありませんね。い続けるのも場違いですし。これで失礼します」
「ルーク君。あなたの、あなた方のマコちゃんに対する気持ち、すごく感じました。
さっきも言ったようにマコちゃんは必ずわたしが幸せにして見せますし、いつか必ずマコちゃんを連れてディスティア王国に伺いますので、待っていてください」
「わかりました。みんなで楽しみに待っていますね」
わたしが口にした言葉に、ルーク君は軽く笑みを浮かべ立ち上がると、こう言い残し退室したのだった。
ルーク君がドアを開けると、沙織とカオル君が廊下で待っていた。
カオル君、バスケの練習どうしたの?
との疑問を余所に、入れ違いで二人とも会室に入ってくる。
「あー、真琴さん。話し合っていたはずなのに、なんで抱き合っちゃってるの?」
「そうだぞ、そんなことをさせるために、会室を特別占用させたわけじゃないんだ」
そう、未だわたしとマコちゃんは抱き合っていた。
マコちゃんはわたしの身体に手を回したまま、わたしはマコちゃんの頭を頬につけたままの状態で。
ああ、マコちゃんの匂い、いい匂い。
マコちゃんは更に回した手にギュッと力を込めて、目を閉じながら呟いた。
「御覧のとおり、既に湊様とわたくしは、絆で結ばれた一心同体なのでございます。何人もこの絆を離すことなど叶いません」
問答無用だという勢いで、わたしたちを引き離さそうと、両側から引っ張る沙織とカオル君。
力負けして離れた時の、マコちゃんのぶーたれた顔が愛らしい。
わたしもわたしもと、重なっては離されるリピート光景を垣間見ながら、落着して良かったわと安堵の吐息をわたしはついた。
その後のルーク君は、極めて平穏な時を過ごしていた。
様子を見ると言っていたのだけど、本当にチラチラとマコちゃんの方を見るだけで、特に何も行動に及んでいない。
時々写真を撮っていたのは、せめて写真だけでも祖国の皆さんの元へ持って帰ろうということじゃないかしら。
わたしはルーク君に「一回うちに遊びに来てマコちゃんの生活も覗いてみたらいいんじゃないですか?」とお誘いをした。
「わざわざアウェーの地に赴くなんて、僕にはできませんよ」と返された。
アウェーって、うちは敵地じゃないわよ。
そりゃあ、お姉ちゃんとあったら保証はできないのだけど。
ルーク君のことをマコちゃんに訊いたら、最初は日本語を全然話せなかったんだって。
アメリアさんみたいな留学経験もなく、独学であそこまで話せるようになったらしいの。
頭がいいということもあるのかもしれない。
でも余程、マコちゃんと日本語で話したかったんじゃないかな。
ディスティア王国でのマコちゃんとルーク君は、先に話していた口調で会話をしていたみたい。
マコちゃんも、ルーク君の頑張りに対して誠意をみせようと、覚えたてのルーク君に口調を合わせたのだとか。
ちょっと嫉妬を覚えてしまったわたしに、「もう僕との会話は忘れてしまったんですかね」と悲しげにそうに言ったルーク君。
時が経つのは早いもので、気づけば留学最終日。
ルーク君は放課後、みんなに向かって、「短い間ではありましたが、有意義な時間を過ごすことができました。皆さん、本当にありがとう。楽しかったです」と、清々しい挨拶で締め括っていた。
教室の中にはシクシクと泣いている子もいて、悲劇の映画館のような空気になっている。
訊くところによると教室外でもファンがいて、短期ファンクラブもできていたんだとか。
別れのとき、マコちゃんとわたしはこれで最後とばかりに、ルーク君と向かい合った。
「それでは僕は祖国に戻ります。
今まで観察させていただきましたが、ここでのソフィア様の楽しそうなお顔は王宮でも見たことがありません。
もう完敗ですよ。ソフィア様のことよろしくお願いします」
「はい、もちろんです。わたしがしっかりとお姫様を守ってみせますから。安心てくださいね」
「何を仰っているのですか、湊様。わたくしはもう王族ではございません」
「別に王族じゃなくても、マコちゃんはわたしにとってお姫様だよ」
「湊様……」
この高貴で健気な姿。
誰が見たってお姫様だよ。
「そうです。僕たちにとってもソフィア様は唯一無二なのですから。どうかお体にお気をつけて」
「ルークも大事にしてください。それと…………来てくれて嬉しかったよ。ありがとう」
はにかみながら、上目遣いで口にしたマコちゃんに、ルーク君は穏やかな笑顔を見せて祖国へと戻って行った。
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