第39話 きっかけ【前編】

「まず、わたくしから申し上げます。

 わたくしは言わずもがな、湊様と将来を誓い合っている事実がございますし、湊様にわたくしの人生を委ねております故、何故と言う問いは愚問でございます。

 今ここに存在できるのも、湊様が博愛して下さるからで、わたくしの気持ちに関しても生涯、湊様をお慕いする事実に変わることはございません」


「前から気になっていたのだけど、日本へ来る前に何かあったの?」


「わたくしの祖国での出来事は余り申し上げにくいことなのですが、湊様とお誓いした日よりこちらの国へ戻って来られるまで、わたくしは人形でございました。

 全ての物事が勝手に進んでゆき、わたくしに許されたことといえば、あの時お誓いした自身を磨くことのみ。

 湊様のご存在がなければわたくしの心は折れ、この世にいなかったかもしれません」



 何があったのかはわからないけど、壮絶なことがあったのは想像に難くない。

 わたしの存在で救われることがあり、これからも救われるのであれば、わたしも幸せだ。



「マコちゃん、わたしのところに戻ってきてくれてありがとうね。今まで辛かった分、幸せになろうね」



 下にいるマコちゃんの瞳を見つめた。

「はい、ありがとうございます」と瞳を潤ませていた。


 少し間を空けて、今度は沙織が話し出した。


「今度はわたしの番ね。

 えっとわたしはね、湊ちゃんと出会う前は、本当に誰とも話ができなかったの。

 わたし、小学校の頃から凄く発育が良くて、男性の視線が怖くてしようがなかった。

 そして湊ちゃんと出会う少し前、ここに引っ越して来る前にバスで痴漢にあったの。

 とても怖かった。

 怖くて怖くて声も出なくて、周りの人を見渡しても誰も助けてくれない。

 きっと痴漢の人が巧みに死角をついていたんだと思うけど、その時はなんで助けてくれないのって頭が混乱しちゃって。

 それから、人間恐怖症になっちゃったの」



 そんなことがあったんだ。

 知らなかった。

 それにしても男ってやつは、最低の生き物ね。

 そりゃ、ごく一部の人だとは思うよ。

 だけど……だけど本当に醜い。

 腹立たしいったらないわ。



「こっちに引っ越してきたばかりのとき、お買い物の帰りにママとはぐれちゃってね。

 彷徨った挙句、たどり着いた公園のベンチに座っていたら、変なおじさんが近寄ってきたの。君、一人なら僕が遊んであげようかって言いながら、わたしに手を伸ばしてきて。

 わたしはその時も怖くて、動けなくなった。逃げることもできなかった。

 やっぱり周りの人は助けてくれないと思っていたら、わたしと同じくらいの男の子っぽい子が走ってやってきたんだ。

 そしてそのおじさんの手を振り払った。パチンと弾き飛ばすように。

 それでそのおじさんに『あなたみたいな人がいるから、女の子は安心して暮らせないのよ。義務教育からやり直しなさい、このダメ男』って言ってのけたの。

 おじさんは怒って掴みかかろうとしたんだけど、触れたと思った瞬間、見事におじさんは宙を舞ったんだ。

 今でも目に焼きついてる。

 とても綺麗に投げ飛ばしていてすごくかっこよかった。

 転がったおじさんはそそくさと逃げて行ったわ。

 それでその子はわたしに言ったの。『世の中あんな人ばかりじゃないから心配しないで。あなたはとても魅力的な人だから、男どもに見られちゃうかもしれないけど負けちゃダメよ。あなたには必ず素敵な人が現るからね』って。

 声をかける間もなくその子は立ち去って、入れ替わりにママが来てくれたんだけど。

 そしてママと隣の家に挨拶に行ったら助けてくれた子、つまり湊ちゃんがいたってわけ。

 わたしはその時『こんなに早く素敵な人が現れてくれた』と思った。

 だから湊ちゃんはわたしの初恋の人であり、今でも大好きな人なんだ」



 そんなことあったけ?

 あったかも。

 あの頃はまだ男っ気が抜けてなくて、いじめっ子とかをよく投げ飛ばしていたんだよなぁ。

 おじいちゃんには「外で投げてはいかん」と、叱られてたっけ。



「そっか、それで沙織、わたしの側にいるようになったんだね。

 おばさんたちから引っ込み思案な子だと言われたわりには、わたしに初めから打ち解けてくれていたから、全然大丈夫だと思ってたんだけど、そういうことだったんだ。何で今まで言ってくれなかったの?」


「だって、その時に湊ちゃんのこと好きだって言ったら、避けられちゃうかもしれないでしょ。それに湊ちゃんはいつも約束している男の子を待っているって言ってたし」



 そうか。それはそうよね。

 マコちゃんという理想の彼氏を待っているんだと、沙織にも尊にも、散々言っていたんだから。



「あははは、なんかごめん。でも最近の沙織、なんか人馴れしてきたよね」


「うん、湊ちゃんと恋人として傍にいられるようになったから、湊ちゃんが想う人、湊ちゃんを想う人は安心できるの。これも湊ちゃんを好きで良かったことだよ」


「あ、うん。そうか、それは良かった。まあ、理由はどうあれ、沙織が外でも元気でいられるならわたしも嬉しいよ」



 なぜか下では、マコちゃんと沙織がウフフフと微笑みながら向かい合っていた。

 まるで戦友が、共通の悩みを打ち明けたかのように。



「最後が僕だな」



 待ってましたと口火を切るカオル君。



「僕の場合は、ミナと出会ったのはシクスクだから、もうそのことは話さなくてもいいかな。まず、僕が訊いて欲しいことを言うよ。

 僕が自分が男だと気づいたのは、小学校中学年のとき。

 女の子の格好をさせられるのに違和感を感じ始めてさ。何かが違うって思ったんだよ。僕はこんなの着てていいのかって。

 そして、ミナには話したよね。その時好きだった女の子に告白した時、『かおりちゃんは女の子なんだから、男の子に好きだって言わなくちゃ』って言われて。

 何が何だかわからなかくなった。なぜ僕は女の子が好きなんだろう、自分は何者なんだろうって思うようになってさ。

 普通とは違うんだと感じ出したら、急に意識が強くなって、他人に知れたら軽蔑されるんじゃないかって。

 それからは自尊心との闘いだった。

 周りに影響がないのはどこまでなんだろうって考えるようになって、髪型は長いより短い方が好みだと主張したり、スカートよりズボンの方が動きやすいと言ってみたり」



 だから今の学校を選択したのか。

 うちの学校、私服だものね。

 そういえばカオル君のスカート姿、見たことない。



「一番キツかったのは中学だな。問答無用で制服がスカートだったからね。

 だから、部活を理由にして極力ジャージでいられるように考えたんだ。中学はバスケが盛んで、バスケに打ち込むことでジャージになる頻度も高くなったから、女バスに入って頑張ったんだよ。

 それに、バスケをしていると、余計なことも考えずに済んだしね。

 修学旅行での風呂の時間なんて最悪だった。なんで女子たちと一緒に風呂に入らなくちゃいけないんだって思ったものだよ。反面、罪悪感的なものもあったし。

 だから風呂のことを言われると、どうしても抵抗があるんだ」


「そうなんですか。……すみません。カオル君の気持ちわかってあげられなくて」



 そうか、だからお風呂に入ることを拒否してたんだね。

 不徳だった。

 自分が何気ないことでも、相手が重大に感じることもあるんだ。

 わからないかもしれないけど、わかる努力もしなくちゃ。



「いや、別にミナが謝ることじゃないよ。謝らないでよ。

 これは僕の自尊心の問題であって、好きな人と一緒に入りたいと思う自分もいるんだよ。

 僕はカミングアウトすると決めた以上、少しずつだけど自分の本当の気持ちを知ってもらうつもりなんだ。

 だから僕のお願いとしては、遠慮せず思ったことを言って欲しい。沙織も真琴ちゃんもね。

 そうだ、ミナのことが好きな理由ね。

 僕は男としてミナに恋している。そしてその気持ちをわかってくれた上で一緒にいてくれる。

 シンプルだけど最高に幸せだ」



 いつも堂々とした態度で接してくれるから、カオル君の繊細な部分は見えていなかった。

 改めて訊いてみると、大変な苦労をしてきたんだと痛感する。

 それはわたしが想像もできないほど、辛く切ないことだっただろう。


 きっと他にも同じように悩んでいる人は沢山いるのだろうし、わたしなんかがそれを解決できるほど世の中も甘くない。

 だからわたしは、カオル君の一歩目なのだから、まずカオル君に対して意識しないように意識して、頑張らないように頑張ろう。

 おかしいかもしれないけど、それが今のわたしにできること。

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