第36話 晩餐
「もう、油断も隙もないんだから」
と溢しながら、予定通りに夕食の支度をするため、キッチンへと向かった沙織とマコちゃん。
わたしとカオル君の居場所は、いつでも監視できるようにと、居間で待機になった。
お母さんは事情を訊いて、「あんまり火遊びしちゃダメよ」と軽く諭してくる。
いや、火遊びなんかしちゃいないってば。
お母さんがまだ上機嫌でいるのは、さっきの余韻が残っているからなのか、それとも三人で料理ができるのが嬉しいからなのか。
大人しく居間のソファーで待っている二人。
沙織たちの指摘により、できるだけ身を離す。
丁度、L字に曲がったソファーの端と端。
カオル君はさっきの未遂が余程残念だったらしく、口を尖らせていた。
別にカオル君に恋をしているわけじゃないよ。
たださっきの行為に、胸がキュンとしちゃって、ドキドキが治らないだけ。
いつしかわたしに春が来たとき、ああいうこともしちゃうのね。
と、一人妄想に吹けるわたしに、現実へ戻って来いと声がかかる。
「ミナ? 大丈夫か?」
「えっ? う、うん。大丈夫大丈夫」
ぎこちない返事をしてしまうわたし。
心配そうにわたしの側に寄ろうとするカオル君に、絶妙なタイミングで飲み物を持って来てくれたマコちゃん。
「多少、お時間を取らせてしまいますので、ミルクティーをお持ち致しました」
「ありがとう、マコちゃん」
「いえ、とんでもございません」
本当にグッジョブ!
いつも飲み慣れた大好きなミルクティーは、鎮静の効果が抜群だ。
「これは美味いな」と気に入った様子で、カップに口をつけるカオル君。
「本当に美味しいですよね」と何ともない返しを入れることで、更にわたしの平常心は舞い戻った。
「そういえば、灯さんいないの?」
「お姉ちゃん、尾崎先生とお泊まりだから帰らないって言ってました」
「そしたら、ミナの他のご家族は?」
「お父さんは海外出張中で、お兄ちゃんは放浪中です」
「なかなか他に類を見ない家庭みたいだな」
「うちの家族が普通じゃないのかは、他の家庭を知らないのでわからないです。
でもお父さんは企業の代表、お母さんはプロのピアニスト、お姉ちゃんがモデルでお兄ちゃんは置いといて、お祖父ちゃんは合気道の師範だから、きっと結構変わってるんですよね」
「変わっているといえばそうかもだけど、ミナの環境だと思えば、妙に納得がいくような気がするよ。
君の常人離れした学力や運動のスキルも然り、君の人を惹きつける魅力も然り、そんな数奇な運命があればこそ、ミナという存在が出来上がっているんだろうな」
「あ! 久しぶりに運命の話、出ましたね。ネットの中ではよく話していたのに、会うようになってからは、めっきり少なくなっちゃいましたから」
「それはミナと現実に出会ったことで、僕の運命が宿命に変わったからさ。
ミナはもちろん、沙織や真琴ちゃんといることが変わらない事実なのだから、僕は運命を願わなくても安心していられるようになったんだよ」
「二階堂先輩も、ですよね」
「そうだな。春奈も僕のことを理解してくれている」
カオル君の安堵の表情が、『カミングアウトして良かったんだな』と感じさせてくれる。
今後どうなろうとも、みんなは決して離れていくことはないのだから。
その後夕食ができるまで、練習試合の話で盛り上がった。
闘った相手は古くからのライバル校であり、共に地区を背負っている共同体でもあること。
ポジションとしてはカオル君がスモールフォワードで、二階堂先輩がポイントガード。
やはりバスケは個人競技ではないので、いくらもて囃されても仲間がいなければ何も出来ないこと。
そしてわたしのシュートに対しても、二階堂先輩を含むチームメイトから、入部するように頼んで欲しいと懇願されたこと。
わたしは相槌を打ちながら、カオル君の話に訊き入った。
バスケのこと、余程好きなんだと伝わる、躍動感溢れた説明に自然と陶酔していった。
あっという間に時間が経過し、「お食事のご用意ができました」と訊いた時は、思ったより早くできたんだな、と錯覚するほど。
ソファーから立ち上がり食卓テーブルへと移動した。
テーブルは六人掛けの、なかなか豪奢な造り。
わたしは真ん中に座り、その右側にマコちゃん、左側に沙織、そしてマコちゃんの前にお母さんが座る。
いつもなら、わたしの正面に決まって座るお姉ちゃんの席に、カオル君が誘導された。
テーブルの上にはもう既に、豪華な料理の数々が並んでいた。
本日の料理は、ローストビーフにフランスパンとロイヤルブレット、サーモンのマリネ、野菜がいっぱい入ったスープ、あとペペロンチーノと海老のトマトクリームパスタもある。
さすがに気合が入っているなぁ。
わたしも思わず「うわぁ、すごい」と感嘆が漏れた。
その声にマコちゃんも沙織も満足げ。
「それじゃ、湊。いつものお願い」
そうお母さんがわたしになげかけてきた。
でもわたしは右手を顔の前で軽く振り、お断りしてみせる。
「いや、今日の主役はカオル君だから」
大したことをするわけでもないのだけど、なんとなくでしゃばらないほうがいい気がしたから。
でもカオル君は、わたしを見て物欲しげな顔をした。
「そのいつものというの、知りたいな。僕は主役というより、みんなの晩餐に呼んでもらったという方が気が楽だしね」
そう。じゃあ、そうしましょうか。
主役のカオル君が言うならね。
わたしはみんなの顔を見渡すと、いつものように口ずさんだ。
「わかった、それじゃわたしが。
今日もお食事を用意してくれて、ありがとうございます。
今日も頑張ってお仕事をしてくれたみんなに感謝をして食べましょう。
いただきます」
「「いただきます」」
わたしの挨拶に、みんなは一様に合掌をして復唱した。
堅苦しいかもしれないけど、うちではこれが日課なの。
「へえ、いつもミナが今のをやっているの?」
「変かな?」
「変なんてまさか。僕も食事をする前に、いつも訊きたいくらいだよ」
「わたし、料理をすることができないでしょ。だから食事をする前に感謝をさせてって言って始まったの。
最初はお母さんへのものだったのだけど、お母さんが自分だけ感謝されるのはむず痒いって言うものだから、付け加えたんだ」
これはわたしの感謝の意。
食事が用意されるのを、当たり前だとは思いたくない。
だからせめてこれくらいは。
すると沙織が口をはさむ。
「わたしも久しぶりだよ。湊ちゃんの挨拶大好きだけど、なかなかお呼ばれされないし。今は真琴さんもいるんだから、もう少し呼んでくれてもいいのにさ。
本当に冷たいんだから」
「沙織は自分の家があるでしょ。やっぱり家族で一緒にいられる時はいなくちゃね」
「それはそうだけど……」
腑に落ちない表情を見せる沙織。
そしてマコちゃんが。
「そうでございますとも。ご家族は大切にしなくてはなりません。わたくしもお母様、灯お姉樣、湊様、お父樣にご家族のように接して頂いておりますので、精一杯大切にする所存です」
「そりゃ、真琴さんは毎日湊ちゃんとご飯を食べられるんだから、幸せよね」
「ええ、幸福の極みでございます」
「もういいからお食事にしなさい、冷めちゃうでしょ」
お母さんが制するように諭すのだった。
その後は、料理に関することなどの雑談を交えながら食した。
わたしとしてはどれもこれもが完璧だと感じたのに、これは酸味が足りないだの、盛り付けはこうやった方が美味しく見えるだので、それぞれの個性がぶつかり合っていた。
もちろん、カオル君を除いてね。
カオル君は男の子みたいにガツガツ食べていたから、よっぽどお腹が空いていたんだね。
不意にお母さんがわたしに。
「折角だから尊も呼んであげれば良かったのに。麗華ちゃんが中学の陸上大会で、お父さんもお母さんも応援に行っているから一人のはずだわ」
「そうなんだ。そしたらあとでわたし、尊に持って行ってあげるわ」
「よろしくね」
こうして、円満な夕食を終えたのだった。
そうそう、ごちそうさまの挨拶も忘れずに。
「今日も美味しく頂くことができました。
明日も変わりなく無事にこの時を迎えることができますように。
ごちそうさまでした」
「「ごちそうさまでした」」
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