第35話 ご褒美
カオル君がわたしの部屋へ入ると、さっきまで狼狽えるような素振りを見せていたのが一転、輝きの眼光を放った。
「おお、ここがミナの部屋か。実にいい。なんという可愛い部屋だ」
「別に普通の部屋だと思いますけど、女の子の部屋に入ったの初めてなんですか?」
カオル君も女の子なんだから、普通であれば愚問もいいとこなんだけど。
「初めてではない。でも彼女の部屋に入ったのは初めてだ。
春奈の部屋に入ったことはあるが、なんていうかあいつはダチだしな。
流石に性的対象に見られない奴の部屋では、興奮もしないだろう?」
「もしもし? カオル君はわたしの部屋で、わたしを性的対象で見て興奮しているわけ?」
何気なく部屋に入れたカオル君の口から、まさかそんな言葉が出るとは思わなかった。
まさかのまさか、マコちゃんも沙織もそんな気持ちで、わたしの部屋に入っていたわけじゃないよね。
「冗談だよ。たぶん冗談。あはは。僕も今日は試合で疲れているんだし、押し倒したりしないから安心してくれよ」
おいおい、疲れていなかったら押し倒すのかい。
なんとなく身の危険を感じつつも、いざとなったらわたしの方が強いんだし大丈夫だ、と無意味な納得をして、ジト目で許してあげることにした。
こういう時は、話を切り替えれば空気も変わる。
「今日はカオル君が頑張っていたから、マコちゃんも沙織も、ご馳走作るって張り切ってましたよ。買い出しに行ってるんですけど、期待していいと思います」
「それはありがたいな。でもミナの手料理は食べられないのかい?」
そうだった。
まだカオル君に、刃物がダメなことを言ってなかったんだった。
マコちゃんの二の舞にしてはいけないと、「実はですね」とカオル君に説明した。
ダメになった経緯から、マコちゃんに知らせていなかったことにより、迷惑をかけたことまで。
墓穴を掘るので、お詫びのキスの話は除いた。
カオル君は、それは大変だと本気で心配してくれているようだった。
でもハサミや食事に使用するナイフなんかは大丈夫になってきたんだ、と訊いて少し安心したみたい。
わたしの両手を握り「僕は必ず刃物からミナを守ってみせる」と、根拠がないのに力強く主張された言霊は、まだ見ぬ彼氏を想像し、わたしをキュンとさせた。
僅かに頬が火照るのを隠しながら、カオル君に座るよう促した。
座り込むその姿はあぐらをかいていて、男らしさに感心してしまう。
胸やお尻は出ていないし、バスケをやっているだけあって身体つきも筋肉質で、角度を変えたら美男子にも見える。
だから妙に意識してしまいそうになる。
だけどカオル君はやっぱり女の子なんだ。
そう思うことで、頬の火照りを冷ますように努力した。
そしてわたしはテーブルを挟み、向かい側に腰を下ろす。
少し気まずい沈黙。
かと思いきや、ただカオル君はわたしの部屋をキョロキョロ見渡しているだけで、気まずいのはわたしだけみたい。
わたしがカオル君をチラ見していると、部屋を見終わったのか、わたしに視線を合わせ唐突に口火を切ってきた。
「ミナ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「な、何んですか?」
「僕、今日頑張ったよね」
「そうですね、かっこ良かったですよ」
「そしたら、ご褒美に、僕のことを好きだと言ってくれないか?」
「へ?」
「頼む。まだミナの口から訊いたことないから、ぜひ訊きたいんだ」
「ま、まあいいですけど、絶対勘違いしないでくださいね」
「それはわきまえているから、心配無用だ。……そうだな。カオル君、好きだよ。で頼む」
「はあ……」
なかなかの要望に気後れする。
でもカオル君は本当に頑張っていたのだし、そのくらいはやってあげてもバチは当たらない。
深呼吸を一回して、カオル君の目を見据え、わたしは行為に到った。
「それではいきます。……カオル君、好きだよ」
言葉にしたら、妙に恥ずかしくなってきた。
さっき鎮めた頬の火照りが、耳を巻き込み勢いよく再燃する。
ゆっくりと顔を上げると…………あれ?
正面にカオル君がいない。
どこに……と思ったのも束の間、いつの間にか隣に寄り添っていた。
慣れた手つきでわたしの顎を持ち上げると、カオル君が発した駄目押しの一言が、わたしの心に突き刺さる。
「僕も愛している。もう僕の未来は君のものだよ」
そう言われ、実直な瞳で見つめられてはもう、心は囚われ身体も思うように動かない。
還る場所はここだとばかりに、引き寄せられていく唇。
はあ、もうダメだ。
「あっ、こら、何してるの?」
訊こえてきたのは、これは沙織の声だ。
わたしの麻痺した脳が叩き起こされる。
「香さん。わたくしたちが不在である隙に、抜け駆けをなさるとは協定違反でございます」
続けて発せられたマコちゃんの声に、やっと脳が通常運行になった。
と同時に沙織がカオル君を、わたしから引き剥がす。
二人が入ってくる音とか全然聞こえなかったけど、静かに入ってきたわけじゃないだろうから、完全に二人の世界だったんだ。
「もう少しだったのに」なんて悔しさを滲ませるカオル君に、脳の麻痺は解けていっても顔の火照りは未だ冷めていないわたし。
なんとか苦笑いで、その場をやり過ごしたのだった。
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