第34話 お母さんと二人
わたしたちが家に帰ると、早速マコちゃんと沙織は買い出しに出かけた。
わたしには料理が手伝えず、荷物持ちくらいしかできないのだから、「三人で行こう」って言ったのだけど、「時にはお母さまとお二人で、ご歓談なされても良いのではございませんか?」と気を使ってくれたので、お言葉に甘えることにした。
なんかわたし、甘えてばかりだなぁ。
そしてわたしはお母さんと一緒に、リビングのソファーでお茶を飲んでいる。
わたしはもちろんミルクティーなのだけど。
「お母さんと二人になるのも久しぶりだね」
「ピアノのレッスンの時に、二人になることもあるじゃない」
「だってあれは、先生と生徒という関係だし」
前にも話したことあったかな。
お母さんはピアノの先生、というか現役のピアニストなの。
お父さんと結婚する前は、天才ピアニストなんて呼ばれていた時もあったみたい。
結婚してから少しの間、一線を退いていた時もあったようだけど、今はまた現役だ。
だからお母さんは、コンサートとかリサイタルとかでとても忙しい。
それに加え、家のことやわたしたちへのレッスンとかで、ゆっくり話す時間も取れないんだ。
だから二人で話すのは久しぶり。
「お母さん、大丈夫? 疲れてない?」
最近は特に忙しそうだから、心配にもなってくる。
「大丈夫よ。ピアノは好きでやっていることなんだし、疲れているなんて言ったら怒られちゃうわ。
それと、真琴ちゃんが来てくれたお陰で随分助かっているし」
マコちゃんは家のことを一生懸命やってくれている。
うちでは洗濯は自分ですること、という決まりがあるから、掃除や料理なんかをね。
わたしも掃除をやってないわけじゃないんだよ。
でも今は、マコちゃんが既にやってある状態。
そして料理はお母さんと一緒に作っているんだから、羨ましくもあるんだよね。
「あの、お母さん、マコちゃんと仲良くしてくれてありがとね。
お母さんのお陰で本当の家族に、ううん、お母さんのことを本当のお母さんだと思っているように見える。
マコちゃんのお母さん、マコちゃんを産んで直ぐに亡くなったって言ってたから、お母さんのことそう思ってくれているなら、わたし嬉しい」
「真琴ちゃんがそう思ってくれてるのなら嬉しいけどね。でもわたしはピアノばかりで、家のこと頼りっぱなしだから悪い気もするわ。
慕ってくれているなら、お母さんとして甘えさてあげた方がいいのかもしれないけど、それもできないし」
「お母さんは、そのままでいいよ。マコちゃんは十分幸せそうなんだから。
お母さんがマコちゃんを大事にしてくれていること、ちゃんと感じてる」
「湊は真琴ちゃんどころか、沙織や今日呼ぶ香ちゃんていう子まで大事にしているんだってね」
「何で知っているの? カオル君のことは話したことないのに」
「この前、真琴ちゃんと料理を作っている時に訊いたのよ」
わたしがキッチンに入れないことをいいことに、話が筒抜けのようだ。
もっとも、お母さんたちが料理をしているときは、わたしは合気道の練習とかをしているのだから、そんな会話にはどのみち入ることはできないのだけれど。
「ねえ、湊」
「なあに? お母さん」
「あなたの今の目標ってなんなの? 真琴ちゃんは女の子だったんだから、もう真琴ちゃんのために理想の自分をつくる必要なくなったんでしょ? それでも変わらず頑張っているじゃない。
みんなはあなたのこと学業も運動も天才だと見ているかもしれないけど、お母さんはどれだけ頑張っているか知っているつもりよ。もう少し気を緩めてもいいんじゃない?」
「マコちゃんは女の子だったけど、そのことが、その想いがあったから今のわたしがいる。
そして自分自身を磨くのをこれからも続けていくことが、これからのわたしにとっても最良の選択だと信じているの。
きっとそうすることで、わたしを導いてくれる。
それに、お母さんたちも、わたし以上に頑張っていることを知っているつもり。だから、みんなに相応しくもありたい」
「まあ、そうよね。そんな湊がいるからわたしたちもやっていけるんだものね」
感慨深げにそう返してきたお母さん。
「わたしたちもやっていける」って、そこまでわたしの事を支えにしてくれているのかしら。
「あっ、そうだ。お母さん、この前言っていたコンサートのゲスト出演やってもいいよ」
「えっ! 本当! どうして急に?」
お母さんは目を丸くして驚いていた。
まあ、唐突だったのだから無理もない。
「今日、カオル君のバスケの試合見てたら、わたしもあんな風に輝いてみたいなって思ってさ。今までは自分のスキルアップのことしか考えていなかったけど、人前に出ることも大事なことだよね」
「それはやったわ。頑なにコンクールにすら出なかった湊が、わたしとセッションしてくれるなんて……
うふふ。どんな曲にしようかしら」
「コンクールに出なかったのは、ピアノ奏者を目指していたわけじゃなく、お母さんのように素敵な女性になりたかったからだよ。技術だってまだまだだと思っているしね。
だからハードル上げないでよ。わたしは前座でいいんだから」
「それはダメよ。あなたの実力はもうプロレベルなんだから。無名のわたしの娘がいきなり出てきて、わたしとセッションした時のみんなが驚いた顔、眼に浮かぶわ」
タイミング間違ったかしら。
虚空に耽るお母さんは、もうコンサートプログラムまで描いているみたい。
鼻歌まで飛び出してきた。
そりゃあ、お母さんと一緒に弾くのは楽しいのだけれど。
まあ、やると言ったからにはお母さんに任せるわ。
ピアノコンサートに出演することになっても、わたしは臆したりしない。
自分に自信もある。
もしかしたら、カオル君と同じ気持ちが味わえるのかなぁなんて、期待でワクワクしちゃうくらい。
鼻歌交じりで何を見るでもなく、夢想に耽っているお母さんを横目に、ミルクティーに唇を付けようとした時、『ピンポーン』と呼び鈴が鳴った。
お母さんが足を弾ませて、玄関の方へと向かう。
もうそろそろ、カオル君が来てもおかしくない時間だから、きっとカオル君かな?
そう考えながらミルクティーを一口飲み、わたしも玄関へと向かった。
わたしが玄関へ到着した時には、もう既にお母さんが扉を開け、カオル君を迎え入れていた。
「いらっしゃ〜い。あなたがカオル君ね!」
ハイテンションで迎え入れるお母さんに、戸惑い気味のカオル君。
顔が強張っている。
「は、はい。初めまして、野西 香です」
「あ、そうか、香ちゃん」
カオル君はわたしに気づき、縋るような目で問いかけてきた。
「ミナ、この方は?」
「ごめんなさい、カオル君。お母さんなんです」
「え? お母さん? 美魔女……ていうか若すぎる」
「やだ、香ちゃん。よくわかっているじゃない」
まあ確かにお母さんは、若く見える。
今年で五十才になったのだけど、元々童顔だったからか、それとも人に見られることが多いせいか、三十代と言っても遜色ない。
もちろんエステなどに行ったりして、美容ケアはしっかりやっている。
客商売だからと念入りに手入れをしているから、評価されて満足だろう。
お母さんは余程嬉しいのか、先ほどの上機嫌に上乗せされ、目が細まり頬が緩んで締まりがない顔になっていた。
どうしていいかわからない、というような状態になっているカオル君。
わたしは駆け寄り「わたしの部屋へ行こ」と手を引いた。
お母さんはカオル君と、まだ話したそうな表情を見せたけど、カオル君の困りようが半端じゃなかったから、対談はまたの機会にすることにした。
お母さんは「あらら」と、残念そうな吐息を漏らしていた。
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