第32話 試合【前編】

「相談者来ないね〜」


 会を発足してから、一週間。

 誰も来ない。

 一人も。

 会を発足する前の方が、わたしの元に相談が来ていた、と確実に言える。


 会室にいるのは、わたしとマコちゃんの二人きり。

 カオル君は女バスの方へ行っていて、沙織は少し女バスを覗き見してから来るとのこと。


 沙織はカオル君と仲がいい。

 マコちゃんと同じくらいになってきたというべきか。

 今まで親しい友人ができなかったものだから、その反動で嬉しくてしようがないのだろう、とわたしは思う。

 沙織とカオル君は、優しい先輩と可愛い後輩という感じかな。


 マコちゃんは会長の職責により、会長席で一生懸命『会則』や『会訓』のたたき台を考えていた。

「みんなで考えようよ」と提案したのだけど、「香さんは部活でお忙しいですし、まず素案をわたしが一人で作成致してからでよろしいかと」と、力強く断言されたので任せることにした。

 だからわたしはソファーに座り、何の変哲もない真正面の壁をぼーっと眺めていた。

 沙織でもいれば雑談くらいできるのに、なかなか沙織も現れない。


 ただぼーっとしているのも時間の無駄だし、勉強でもしようかな、とリュックに手をやると、勢いよくドアが開かれ、沙織が駆け込んできた。



「湊ちゃん、真琴さん、大変!」


「どうしたの? 沙織」


「香さん、これから練習試合するんだって。何でも相手が強豪でライバル校みたい。みんなで応援に行こうよ」


「そうなの? それは応援しなくちゃね。マコちゃんも行こう?」


「はい、わたくしも応援に参加させて頂きます。参りましょう」



 わたしたちは体育館へと急いだ。

 考えてみれば、まだ一度もカオル君のバスケットをやっている姿を見たことがない。

 カオル君には、「ミナに見られたら集中できないから、できれば来て欲しくないな」なんて言われちゃったから、行くに行けないでいたんだ。

 だから、今回は目立たないように応援しよう。

 集中できなくて試合に負けてしまっては、元も子もない。

 沙織はカオル君の練習を何度か見ているから、そのヒーローぶりを我が事のように伝えてくる。

 だけど興奮しすぎちゃって、どんな感じなのか全然わからない。

 『ビュー』とか『バン』と擬音使われてもね。

 ここは百聞は一見に如かずだな。


 体育館に着くとすでに試合が始まっていた。

 うちの学校の体育館はかなり広く、バスケットコートなら優に3面は取れ、当の試合は真ん中のスペースでやっていた。

 ボールが転がっていかないように、上からのネットで体育館を三分割している状態。

 見学者はそのネットの外側で見ている。

 やっぱりうちのバスケ部も強豪校なせいか、大勢の観客が所狭しとひしめき合っていた。


 あー、これじゃあ、目立たないようにどころか、見ることもできないよ。


 わたしたちが観戦している生徒たちの後ろでドギマギしていると、前列で「湊ちゃーん、こっちこっち」と手を振っている人がいた。

 あれはわたしたちのクラスメイトだ。


 その声に反応した周りの人たちは、後ろのわたしたちを認めると「綾瀬が通るぞ」とか「開けろ開けろ」なんてあちこちから上がって、声を掛けてくれたクラスメイトまでの道のりが割れていった。

 わたしたちはお言葉に甘え、恐縮しながら間を通っていく。

 嬉しいのだけど、なんていうかごめんなさい。


 無事に到着すると、クラスメイトたちに呼んでくれたことに対してのお礼をする。

「いいよいいよ」なんて、はにかんだ笑顔が暖かい。


 試合に目をやると、一心不乱で一つのボールを追っている選手たちの姿があった。

 素敵、素敵だわ。

 わたしは体育以外で団体競技なんて経験ないから、こういうチームメイトと時間を共有して試合に臨む姿は、憧れちゃう。


 あっ、カオル君だ!

 表情がいつもと違う。

 集中力が半端ない。


「集中できないから来ないで」なんて言っていたけど、コートの上に立ったら、わたしなんて目に入らないんじゃないかな。

 選手達に指示したり、パスを要求したり、華麗にシュートを決めたり。

 輝いているカオル君が、とても眩しくて羨ましくなるよ。


 試合は終盤に差し掛かり、スコアボードを見ると僅差で負けていた。

 カオル君の表情が、みるみる焦りに変わっていくのが、より緊迫感として伝わってくる。

 気がつけばわたしたちは、精一杯声を張って応援していた。

 それに気づいたのか、ボールがコートの外へ出たアウトオブバウンズの時、カオル君がこちらに気づき目が合った気がした瞬間、口角だけを上げた。

 それからのカオル君が緊張感の中にも、楽しそうにプレーしていたように見えたのは、目の錯覚かな。


 終了のホイッスルが鳴るまで、点取り合戦が続いた。

 結局、劇的なサヨナラ勝ちとはいかず負けてしまったのだが。

 練習試合ということもあり、うちの学校の選手たちは、悔しさを滲ませながらも清々しい表情で相手選手に礼をする。

 それはカオル君も同じ。


 そして、さっきまで敵同士だった選手たちがお互いを讃えあうように、握手や会話をしだした。

 これがラグビーでいうノーサイドってやつね。

 敵にも味方にも慕われるように囲まれているカオル君が、かっこよくて誇らしくて。


 試合が終わったからか、体育館を分断していたネットは上げられ、いつのまにか見通しが良くなっていた。

 わたしたちの周りの人たちは、一人二人と減っていく。

 わたしたち三人は未だ手を握り合ったまま、余韻に浸り解放されてはいないのだけど。


 カオル君は一通りみんなと話し終えたのか、その場の人たちに手を振り、こちらに向かって歩いてきた。

 誰か隣に連れていて、その人は大人な雰囲気を漂わせた綺麗な人だった。

 微笑み合いながら会話をしているその様に、少し嫉妬を覚えてしまうのは気のせいかな。

 そしてカオル君がわたしたちの前へ来て立ち止まると、スポーツマンの表情がいつもの顔に戻っていった。



「ミナ、応援に来てくれたんだね。沙織も真琴もありがとう」



 言うなり、わたしを力強く抱きしめてきた。

 耳元で囁かれる「嬉しいよ」との声。

 今まで死力尽くして闘っていた汗の匂いが、走馬灯のように、先ほどの激戦をわたしの脳裏に浮かべさせ、心を再び震わせてくれる。



「ちょっと、香。綾瀬さんに汗ついちゃうわよ」


「あっ、そうだった」



 カオル君はわたしから離れ、顔には苦い笑みを浮かべている。

『汗が付く』と気にしてくれた隣のお姉さんは、近くで見るとさらに大人っぽく見えた。

 その仕草、表情、何を取っても他の子より一皮むけた感じで、わたしも来年になったらこんな風になれるかな、なんて思案ながら視線を向けていると、お姉さんと目が合った。



「綾瀬さん、初めまして。わたしは女バスの部長で二階堂春奈です。さすが香が好むだけあって、間近で見ると一層可愛いわね」



 二階堂先輩の言葉に横で、「コラ、春奈」と面映ゆそうに突っ込むカオル君。

 それに対しわたしは二階堂先輩に向かって、複雑な顔をしてしまう。



「初めまして、綾瀬 湊です。あの、二階堂先輩。カオル君のこと……事情っていうか、その、わたしを想ってくれていること知っているんですか?」



 仮にも少し前までカオル君は、トランスジェンダーであることを隠していたのだから、わたしもどう訊いていいかわからなくて、言葉を濁し選びながら質問した。



「カオル君? フフフッ、香らしいわね。わたしもこの間、香に訊いたのよ。

 さすがにびっくりはしたけど、わたしには特に問題ないの。

 香は香。わたしの親友であり戦友よ。だから綾瀬さんも香のことよろしくね」


「もちろんです。わたしもカオル君が好きですから」



 二階堂先輩もわたしと同じように、言葉を選びながら回答していた。

 少なくても周りにはまだ結構人がいるのだし、無理にこの場で他の人に周知する必要はない。


 はぁ、別に悪いことしているわけじゃないのに、隠さなくちゃいけないなんて世の中って不合理ね。


 そんな思いを巡らせていると、カオル君は沙織と、マコちゃんは二階堂先輩と話を始めていた。


 沙織はわたしたちを連れて来たことをカオル君に報告して、大事なものを拾って来た子犬のように頭を撫でられていた。


 マコちゃんはカオル君が、同好会と掛け持ちになってしまったことに対して申し訳なさそうに謝罪し、二階堂先輩に「活力源になっているから問題ないよ」と言われて、安堵していた。

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