第31話 開会式【後編】

 入るなり尾崎先生が、怒声を上げた。

 先生はこの会を気に入っているみたいだから、いきなり入るなと言われれば無理もない。

 わたしは慌てて先生の前へ立ち、両手を顔の前で振りながら「違うの」と説明を試みる。が。



「あら、玲奈。そんなに怒ってどうしたの?」


「あ、灯か?」



 どうやらお姉ちゃんと先生は、知り合いだったみたい。

 そういうことか。

 これでさっきの疑問が解けた。

 先生がわたしの事を知っていたのは、お姉ちゃん繋がりだったんだ。


 暫く放心したまま立ち尽くしていた先生。

 見かねたお姉ちゃんは、「黙って立ってないで座ったら?」と、先生をソファーに誘導する。

 奥からお姉ちゃんと先生が向かい合って座り、お姉ちゃんの横にはわたし、沙織、先生の横にはカオル君、マコちゃんという順。


「久しぶりね」とお姉ちゃん。

 その様子じゃ、最近は会ってなかったんだね。



「灯、どうしてここへ?」


「もちろん湊ちゃんのお祝いよ。

 湊ちゃんは私の最愛の妹だもの、お祝いに駆けつけるのは当たり前のこと。

 何も不思議なことじゃないわ」


「俺が綾瀬の担任だって、知っていたのか?」


「知らなかったわよ。同好会を立ち上げるって湊ちゃんに訊いて、担任で顧問の先生が尾崎という名だって言ったとき、もしやと思ったけど、その程度ね。

 わたしはそんなに暇じゃないから、わざわざ湊ちゃんの担任の先生を調べることなんてしないわ」



 どこかガッカリしたように、肩を竦める尾崎先生。



「玲奈。わたしの湊ちゃんにあんまりちょっかいを出しちゃダメよ。あなたはもう大人なんだから、ちゃんと分をわきまえなくちゃね。

 それとも、本気で湊ちゃんのこと好きになっちゃったわけじゃないわよね」


「俺は、綾瀬のことは好きだが、ちゃんと分はわきまえているつもりだ。それに……」


「それに?」



 お姉ちゃんの訊き返しに、この場では話しにくいと、わたしたちをチラチラ見る先生。

 言葉に詰まる先生に、再度、早く答えなさいという眼をして、お姉ちゃんは訊き返す。



「それに?」



 その威圧に負けたのか、意を決したように先生は口を開いた。



「お、俺は今でも、灯のことを愛しているんだ」



 シーンとしていた室内に木霊した言葉。

 その言葉にわたし達の脳がすぐ反応できず、目が点になる。

 わたしは思わずお姉ちゃんの顔を覗いた。



「ふーん」



 と、お姉ちゃんは素っ気無い返事を返すだけ。

 暫く冷ややかな空気が流れ、少し息苦しい。

 この場にいていいのだろうか。

 それはわたしだけじゃなく、みんな感じているに違いない。

 当の本人たちに恐る恐る視線だけを向けると、先生は俯き、お姉ちゃんは先生のことをじっと見据えていた。



「それじゃ、また寄りを戻してあげてもいいわよ。ただし、条件があるけれど」


「本当か? また俺と付き合ってくれるのなら、どんな条件だって飲んでみせる」


「あなた、以前付き合っていた時、わたしを自分のものにしようとしていたの覚えているわよね。今度その兆候が見られたら、もう一生付き合うことはないと思ってね。

 わたしは別にビアンなわけじゃないんだから、普通に男性ともお付き合いするの。あなたのことも愛せるけれど、わたしにとっては別物なのよ」


「ああ、わかった。約束するよ」



 先生は渋々といった表情で承諾していた。

 それからお姉ちゃんは、こっちに向かって説明してきた。



「あなたたちがいるのに、こっちの話につき合わせちゃってごめんなさいね。

 訊いてのとおりわたしたち、付き合っていたのよ。この学校に在学している時ね。

 わたしは玲奈に付き合ってもいいけど、わたしを縛らないでって約束していたの。

 それが二股の宣言であったとしても、わたしは相手の了承さえ得られればいいと思っていたわ。

 今も思っているけど。

 だからわたしと付き合う人も縛るつもりはない。

 でもあの時、玲奈はわたしが別に付き合っていた相手に、別れてくれって談判しに行ったのよ。

 わたしは例え愛があったとしても、約束を破る人は許せない。だから別れたのよ」


「俺が悪かったんだ。あの時は思い上がっていた。本当に反省している」


「玲奈、別にもういいのよ。わたしは終わったことをいつまでも根に持つタチではないから。

 ただこの子たちには知っていて欲しい。

 愛の形は十人十色。自分が想うことが必ずしも相手が想うことではないの。

 そして今は湊ちゃんを独占しなくても大丈夫だと思っているかもしれないけど、独占欲は誰の心にもあるものなのよ。

 あなたたちが進もうとしている道は茨の道なのだから、それを我慢して耐えることができれば未来は明るいと思うわ」


「お姉ちゃんにも独占欲はあるってこと?」


「当たり前じゃない。わたしだって人間よ。わたしの独占欲は、これまでもこれからも湊ちゃんだけよ。

 だからわたしは今までずっと我慢してきたし、これからもずっと我慢していく。

 それはわたしが自分に対する約束なの。

 そして玲奈。わたしが湊ちゃんに独占欲を持っていたとしても、あなたのことはちゃんと愛することができるから、心配しちゃダメよ」



 先生は「灯」と口ずさみ、安堵の笑みを浮かべている。

 マコちゃんたちはお姉ちゃんの話を、講習でも受けているかのように訊き入っていた。


 よく考えると、世間一般的にはまったく相容れない話だ。

 だけど、もうこの環境が一般的ではないのだし。

 何にしても今回は先生が幸せ? になったのだから、良かったというしかないか。


 突然、ガチャっとドアが開く音が鳴り、マネージャーさんが「灯様、お時間になりました」と知らせてきた。

「あらもう時間なの」と、徐ろに立ち上がるお姉ちゃん。

 わたしに「湊ちゃん。わたしの連絡先、玲奈に教えておいてね」と告げてくると、目の前のテーブルを避けて、前に踏み出した。

 そして先生の顎を取り唇を寄せ、とてもディープなキ、キスを恥ずかしげもなくしていた。

 そりゃあもう見事に。


 わたしたちの顔が一瞬で真っ赤に染まる。

 大人のキスって刺激が強いわ。


 ああ、こういうところに先生はやられてしまったのかな。

 お姉ちゃんにこんなことされたら、好きにならない人なんていないよ。


 そしてお姉ちゃんは「それじゃ、またね!」と、存在の余韻を残し、片手で手を軽く振って廊下へと消えて行った。

 廊下ではまた『わーっ』と騒ぎが起きたかと思いきや、今度はどんどん遠ざかって行く。

 すごい台風だったわ。


 そのあと、開会式の時よりも更に上機嫌なった尾崎先生。

 愛が再び実ったんだから、当たり前だよね。


 先生に「お姉ちゃんと付き合うことになったんだから、もうわたしに構うことはないですよね」と確認したら、「灯が綾瀬を愛するなら俺も愛する」と訳がわからないことを呟いていたので、訊かなかったことにした。


 これがお姉ちゃんが帰って来てからの一幕だったとさ。

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