第21話 トラウマ
新たに家族も増え、この生活にも慣れてきたかなと感じ始めた休みの日、沙織の要望によりわたしの部屋でプチ女子会をすることになった。
実際は沙織が「真琴さんがアルバイトをなんで辞めたのか詳しく知りたい」ってことだったのだけれど。
あの時は夜遅くてご飯を食べることしかできなかったし、次の日からはお母さんが衣類や日用品を揃えるためにマコちゃんを連れ回していたから、話す機会もなかったの。
そんな訳でわたしの部屋で三人、テーブルを囲んでトーク中。
セクハラという親友の窮地に、自分も行っていればと息巻いていた沙織。「沙織がいたらわたしは厨房の中にも入れなかったでしょ」と諭したら、「それはそうだけど」とつむじを曲げていた。
マコちゃんがわたしの行為を武勇伝の如く語っていて、沙織は羨望の眼差しをわたしに向けてくる。
そういえば、あの時の帰りに疑問に感じていた『沙織は尊となぜ仲がいいのか』を訊いてみたら、「尊は自分と同じ匂いがしたから」だそう。
同じ匂いねぇ。
ということはまさか、尊ってボ、ボーイズラブなの?
巷じゃBLっていうんだっけ。
更に話を続けていると、マコちゃんが「わたし、お摘みとお飲み物をお持ちいたします」と立ち上がった。
わたしと沙織は「「わたしも行くよ」」とハモったけれど、「いえ、ここはわたしにお任せくださいませ」と遮られたため任せることにした。
「もう、湊ちゃんは台所に行っちゃダメだよ」と沙織が言う。
まあそうなんだけど。
そしてマコちゃんと沙織は一緒に立ち上がった。
沙織はおトイレにも行きたかったみたいだわ。
マコちゃんはもうお母さんとすっかり仲良しなので、台所の自由使用パスも取得していた。
既に何がどこにあるかわかっているとかいないとか。
廊下の方からトントントンと足音が聞こえてきた。
どっちかな?
「湊様、ドアをお開け頂けませんでしょうか」
ドアを挟みマコちゃんの声が届いたので、きっと手が塞がっているのだろうとゆっくりとドアを開けた。
グラスに注いだ飲み物と、籠に入った果物を乗せたお盆を持って立っているマコちゃん。
飲み物は何にしたのかな?
果物は林檎が二つと……
期せずして林檎の横にあるそれが、わたしの視界に入ってきた。
銀色で鋭利に尖ったそれは、わたしに圧倒的威圧を放ってくる。
そう、わたしは刃物がダメなのだ。
それを見たわたしは立ちくらみさながらに意識が薄れ、床に崩れ落ちるようにヘタリ込んでしまった。
霞んだ意識の中で、「沙織さん、大変です。湊様が!」と叫んでいるようだったけど、こうなってしまうと如何せん、直ぐに回復することはない。
ドタドタと足音をたてて駆け寄ってきた沙織は、「大丈夫よ、真琴さん」とわたしを包むように両手で抱きしめた。
別に動悸がしたり、過呼吸になったりという症状はない。
なんていうか意識がぼーっと遠くなって、戻るまでには時間がかかるんだ。
こんな状態の時は抱きしめてくれると安心できるから、沙織はいつもそうしてくれる。
「真琴さん、果物ナイフを隠してください」「はははい、かか、かしこまりました」そんなやり取りをしているのだけど、わたしは未だ戻れていない。
もっと、早く言っておけば良かったよ。
マコちゃんごめん。
そう朧げにわたしの頭をよぎっていた。
意識が覚醒したわたしは、マコちゃんにひたすら謝った。
わたしの家族や沙織、尊はもとより学校の先生やクラスメイト達も知っている事実であったのだから、未だマコちゃんに話していなかったわたしが悪いんだ。
「そうお詫び言を頂かなくとも、わたくしは湊様がご無事でありましたことが本望でございますので」って言ってくれても、わたしは本当に申し訳なく思う。
まずわたしが、なぜ刃物がダメなのかを話さなくちゃ。
わたしが五歳の頃、お父さんと休日に、近くのお店にお菓子を買いに行こうと歩道を歩いていた時だった。
繋いだ手は決して離れることなく、安心感のある優しいぬくもりに包まれていたことは、今でも記憶に残っている。
人々が往来する中、どこか不自然な様子のおじさんが前から歩いてきたんだ。
季節外れのコートを着ていて、半開きのコートの中に右手を抱えるように突っ込んでいた。
そのおじさんがわたし達の前に立ち、『何だろう? この人』とお父さんの顔を覗き込んだ矢先に、コートの中から右手が放たれ、銀色に閃く鋭利な刃物が現れた。
未だに刃の光は写真のごとく脳裏に焼き付いている。
家ではお母さんが料理を作っているときに見慣れていたはずなのに、外で見るにはすごく違和感を感じる道具。
お父さんが「湊!」と発したと同時に、弾き飛ばされたわたし。
何が起きたかも想像ができず、地面に横たわり痛みを感じるだけ。
「お父さん?」
わたしは訳が分からずにお父さんを見やると、膝をつきお腹に手をやりながら、こちらを確認するような仕草を見せるお父さんがいた。
顔色がみるみる悪くなっているのに、その表情はわたしの無事を確認し、安堵の表情を浮かべているようだった。
お腹に視線を下ろすと、濃く赤い液体が滲み出ていて地面に滴り落ちていた。
その後の記憶は、わたしにはなかった。
理解できていなかったはずなのに、直感的に恐怖したのか、お父さんがいなくなることを拒否したのか、唐突に意識を失った。
白昼堂々の事件だったため、周りの人たちによる通報が早く、幸いにもお父さんは大事に至らなかった。
刃物が小さく腹部に刺さった先も、重要な内臓を傷つけることがなかったので、二週間ほどの入院で済んだ。
お父さんは病院に運ばれ処置が終わってすぐに意識が戻ったのに、わたしは二週間あまり意識を失ったままだったので、逆に心配されたんだとか。
それからというもの、わたしは刃物に対し過敏に反応するようになり、始めのころはデザートナイフやハサミでさえ、さっきのような症状を引き起こしていたんだ。
今は、デザートナイフやハサミは何とか大丈夫になったのだけど、それでも癖で目を背けてしまう。
「別に包丁なんて使わなくても、生きていけるわよ」なんて軽く言いながら、対面だったキッチンに壁をむりやり入れてしまったお母さん。
料理を作るのを見たり、お手伝いしたりすることが好きだったわたしは、そのことを皮切りに見ることすらできなくなってしまった。
でも大好きなお父さんが無事だったんだから、それだけでも良かったと心底思っていたんだ。
お父さんを刺したおじさんは、結局逆恨みだったんだって。
お父さんの会社が倒産寸前の会社を買い取ろうとして、買われる側の重役達が強引に会社のスリム化を図り、従業員達をクビにしたみたい。
従業員達の技術を買い取ろうとしたのに、クビにして使い物にならない重役達だけ残った。
結局、価値なしと見なされ買収の話も白紙になったとか。
そして予定通りに倒産して、お父さんは刺され損てなことに。
残ったのは、お父さんの傷口とわたしのトラウマだけなのよ。
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