第17話 バイトの悲劇

 漸くマコちゃんが、わたしの家に来る日となった。


 アルバイトが終わってから来ることになっているので、わたしはマコちゃんのバイト先のファミレス内で、ミルクティーを口に含みながら終了時刻を待っていた。

 当のマコちゃんはウエイトレスではなく、厨房での洗い物担当ということ。

 残念ながら待っている間に、働く姿を見ることはできない。

 ちなみに待っているのはわたし一人。

 沙織は「お母さんの誕生日で、料理とか作らなければならないから」と嘆いていた。


 八時終わりと言っていたから、あと三十分くらいだな。

 荷物はすでに、朝の登校時に家に持ってきてある。

 だから、手ぶらで帰ることができるんだ。

 そういえば、マコちゃんが「お仕事をさせて頂いている間は、決して覗くような行為はお辞めください」と鶴の恩返しみたいなことを言ってたっけ。

 マコちゃんお嬢様っぽいから、アルバイトなんてしたことあったのかな?

 わたしはないのだけれど。


 何だか、マコちゃんの働いている姿が見たくなってきた。

 トイレ入口の隣に、従業員用通路があることは確認済みだ。

 ここはトイレに行くフリをして覗いてみよう。

 ちょっとだけ。

 まさか鶴になって帰ったりはしないと思うし。


 通路口に行くと少し中の様子が覗ける。

 中では厨房と食器の洗い場は完全に分業されていて壁で隔たっていた。

 できるだけ気付かれないように、そーっと、そーっと。



「瀬野、しっかり洗えよ。これだからお嬢様あがりは使えねぇんだよ」



 中から訊こえたその声にわたしはギョッとした。

 瀬野ってマコちゃんだよね。

 マコちゃんに対してなんて口の聞き方を。

 でも、仕事中だからグッと堪えて覗き込んだ。

 そこには、髪をお団子にし一生懸命お皿を洗っているマコちゃんと、その後ろで腕を組みながら、偉そうにしている茶髪のチャラ男が立っていた。

 マコちゃんはメイド服のようなウエイトレスさんの格好をして、とても可愛いのにそれを愛でている余裕もない。



「申し訳ございません。一層丁寧にお仕事に当たりますので、どうかご容赦を」


「いや、ダメだな」



 チャラ男がそう言うと、あろうことかマコちゃんのお尻をスカートの下から、グイっと鷲掴みにした。

 苦虫を噛み潰した顔で、じっと耐えているマコちゃん。


 たとえどんな理由があろうとも、それをしちゃーお仕舞いでしょ。

 わたしの怒りは脳天を貫き、後のことは考えずに体が動く。

 まあ、考えたところで同じ行動を取ると思うけど。


 わたしは、二人の側まで歩み寄った。

 そっとではなくドカドカと。

 それに気づいたチャラ男はパブロフの犬のような条件反射で、マコちゃんのお尻から手を離し、目を点にしながら阿保面を晒していた。

 わたしはその阿保面に、怒鳴るように啖呵を切った。



「何をしてくれちゃってるのよ、このセクハラ野郎! そこはあんたみたいなゲス野郎が触っていいところじゃないのよ。もっとその場から離れなさい、この蛆虫」



 なかなかこの蛆虫チャラ男に、相当する言葉が出てこなくてもどかしかった。

 そして怒りが収まらず投げ飛ばしてやろう、と思ったその時。



「み、湊様……」



 触られたことに対してか、わたしが登場したことに対してか、少し目を潤ませながらマコちゃんが呟いた。

 そして、蛆虫がマコちゃんの言葉に我を取り戻したのか、わたしが入ってくる前の威勢に舞い戻った。



「お前、瀬野の友達か? バイトリーダーの俺にそんなこと言っていいと思ってんのか? あー!」



 悪びれもなく勢い付いている蛆虫に、わたしは侮蔑の言葉を投げつける。



「あんたがバイトリーダーでも、店長でも、どうでもいい話よ。所詮、ゴミはゴミだわ。ゴミの言うことなんか、ハエの羽音より耳障りなのよ。黙って下がりなさい」



 わたしの言葉に気に障ったとばかりに、今度はわたしに手を上げてきた。

 平手打ちでもするかのように。

「このヤロー」と喚きながら、勢い巻いていた割には、スローに繰り出される掌。

 そしてその手を、取り、捻り、極めるわたし。

 さすがにこんな狭い場所では投げ飛ばせないことに気付き、関節を極めたまま動けないように固定する。



「いててててぇぇ」



 厨房をゴミの音が響き渡り何事かと人が寄ってきた。

 コックさんや従業員たちでその数五人。

 その中の四十半ばくらいの人が訊いてきた。



「ちょっと落ち着きなさい。まず、その手を離して。一体何があったのか説明してくれないか」


「あなたは?」


「わたしはこの店の店長だ」



 さすがにこれだけの人がいれば、このゴミも余計な行動はできないでしょ。

 わたしは手を離した。

 ちょっと勢いよく極め過ぎたせいで蹲っていたけれど、知ったことではないわ。

 そしてわたしは事の顛末を説明した。

 するとその店長は、わたしの説明を理解した上でこう言ったの。



「もし君の話が本当なら、瀬野さんには大変失礼なことをした。店長として謝罪しようと思う。

 だけど、山田君の話も聞かなくては判断ができない。山田君は仮にも長年勤めてきたバイトリーダーだから信頼もあるんだ。そしてこの問題はうちの店の話だから、然るべき対応をする。

 だからできれば君はこれで引いて欲しいんだが」



 カッチーン! 最初は真っ当な店長が出てきたと思ったら、こいつはゴミを纏めるゴミ袋だ。

 何こいつ。

 何様?



「あんたがそんなだから、バイトリーダーもこの程度なのよ。

 マコちゃんはこの店の従業員である前にわたしの家族なの。家族がセクハラ被害を受けて引けるわけないでしょ。

 こんなゴミが長年勤めてきたから信頼あるって、あんたの目はよっぽど節穴なのね。

 まあいいわ。マコちゃんは、これでこの仕事は辞めさせてもらいます。こんな巣窟には置いておけない」


「うちは構わないが、瀬野さんはいいのかい?」


「湊様がそう仰るのならわたしに異論はございません」


「そしたら給料は」



 わたしが決めた辞意に対し、反感なく総意してくれるマコちゃん。

 最後に店長が言いかけた言葉を遮るように、わたしが被せて言い放つ。



「もちろん、今までマコちゃんが働いた分は、正当な対価としてわたしが後日受け取りにきます。セクハラやパワハラ被害で訴えられないだけでも感謝しなさい」



 わたしはマコちゃんの方を向いて、「マコちゃん、着替えてきて」とできるだけ優しい面持ちを作り促した。

 マコちゃんは「承知しました」と頷くと、着替えに向う。

 ゴミ袋店長は、やれやれ参ったなとでも言いたげに呆れ顔で、未だ蹲っているゴミを見ている。

 もうこの店にはお金を取りに来る以外二度と来ないと、そんなゴミ袋店長らを見ながら心に決めていた。


 マコちゃんが着替え終わって出てきた。

 さあ、もう用事もないしとっとと帰ろう。

 すると店長が最後に困ったような顔をして、問いかけてきた。



「申し訳ないんだが、瀬野くんの連絡先がないので、給料の算段が付いた時に連絡が取れない。君の名前と連絡先を教えてくれないか?」



 そうだった。

 マコちゃん、携帯電話も持ってないんだ。

 ホテルもチェックアウトしちゃったし。

 だからって、わたしの個人情報も教えたくない。

 少しの逡巡の後、わたしは「書くものありますか?」とメモを用意してもらい、書いて店長に渡した。

 それはわたしの下の名前と、お父さんの会社名と電話番号。



「父がここに勤めていますので、湊の件と言っていただければ連絡が付きます。くれぐれも名前は間違えないように」


「いや、普通お父さんの会社に、娘の名前だけ言ってもわからないんじゃないか?」


「わたしがわかるように話を通しておきますので、ご心配無用です」


「いや、しかし」


「たかが女子高生の言うことだから信じられないと?

 それでは、今、父に連絡をしてもいいですけど、詳しい事情を話さなくてはなりません。そうしたら、この場では収まらなくなるかもしれないですけど、いいんですか?」


「わ、わかった。別に君の言うことが信用できなかったわけではないんだ。ただ、君のお父さんにご迷惑を掛けたくないと、そう思っただけなんだ」


「それでは、わたしたちはここで失礼します。今まで無礼な発言があったと思いますが、済みませんでした」



 わたしは、捨て台詞的な謝罪を残し、マコちゃんの手を引いた。



「短い間ではございましたが、大変お世話になりました。多様な失態の数々申し訳ございませんでした」



 とマコちゃんは深々と頭を下げていた。

『こんないい子にセクハラなんて、ゴミバイトリーダーよりよっぽどの損失よ』などと思考しながら、声に出すのはグッと堪えてその場を退出した。


 店内の自席に戻り、まだ会計を済ませていなかったので、お会計伝票を持ちレジで清算する。

 少し年上であろうウエイトレスさんに伝票を渡し、「先程は騒いでしまい済みませんでした」と謝罪すると、「いえ、こちらこそごめんなさい。お友達に辛い想いをさせてしまって」と返してきたので、会釈をして外へ出た。

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