第13話 マコちゃんの事情【後編】

 マコちゃんが落ち着くまで、わたしはその天使のつむりを撫で続けた。

 わたしの手のひらで、気持ち良さげに面持ちを変幻させている。

 いつまでもこのままでいられそうだけど、今は昼休みなのだから、あまり時間もない。

 わたしはハンカチを取り出し、マコちゃんの顔にそっと押し当て涙を拭くと、次の話題へと切り出した。



「マコちゃん、少し話変えるね」


「承知致しました」


「マコちゃん今どこに住んでいるの? 昨日すぐに帰っちゃったし、連絡を取りようにも番号知らないから」



 わたしの問いに少し困った顔を見せている。

 そして、なぜか生唾を飲み恐る恐る口にした。



「わたくしは携帯電話なるものを、持ち合わせてございません。そして、現在の住まう処はビジネスホテルなる処。故にご連絡を頂きようにも、その術がございません」


「ビジネスホテル? ご家族は?」


「わたくし一人でございます。お母様はわたくしが生まれた時に他界し、お爺様は湊様とお別れしてから一年後に帰らぬ人となりました。お父さまは来日したことはございませんが、現在も祖国に残られております。

 ですから、日本にわたくしの血縁者はございません」


「それじゃ、お金は? ビジネスホテルでもお金かかるでしょ? 食費だってあるし」


「わたくしの持ち合わせもそう長くは続きませんので、アルバイトで雇って頂ける先をお尋ねしているところです。

 いつまでもホテル住まいは難しいと存じておりますので、アパートをお借りできるところもお尋ねしなくてはなりません。故に学校を終え次第伺います。

 昨日もご説明なしに帰宅したこと、大変申し訳なく思っております」


「えっ? マコちゃん、いつから日本で暮らしているの?」


「昨日、入国を致しましてから、すぐこの学校へ参りました。

 本来であれば、住居等の確保を第一優先にすべきところではございますが、湊様にお会いしたいと急く想いは抑えきれず、足が向いてしまったことに、わたくし自身を責めることができません。

 この学校においては、先に編入手続きを完了していたため、問題なく受け入れて頂きました」



 マコちゃんにしたら、昨日はかなりドタバタな日だったのね。

 入国してから直ぐにわたしに会いに来てくれたなんて、すごく嬉しいのだけれど、わたしったらそんなマコちゃんが寄り添ってくれたことを、恥ずかしいと思っていたなんて。

 自己嫌悪の気分になるよ。

 でも、マコちゃんみたいな女の子が、ビジネスホテルで一人だなんて絶対にダメ。

 アルバイトは高校生にもなればやっている子はたくさんいるから、止める権利はないのだけど。



「マコちゃん、住むところを探しているならうちに来たらいいよ。うちなら余っている部屋もあるしね」



 後ろの方で『ゴン』という音が聞こえた。

 沙織の方からだけど、どうしたのだろう?

  振り返ると沙織は机に頭を落としていた。

「大丈夫?」とわたしが掛けた声に対し「気にしないで」と頭を机に付けたまま返答があった。

 マコちゃんはそれを気にする様子も見せず、わたしの提案に戸惑いを持って答えた。



「有難いお言葉なのですが、湊様にご迷惑をおかけするなどもってのほかでございますし、頼ってしまいますと自分自身に甘えが生じてしまいます。

 今のわたくしは至極未熟の身にてございますので、世間を知らなければ湊様と吊り合わなくなってしまうような気が致します。

 ですからこのような業を乗り切ってこそと思うのです」


「ダーメ。世間を知るってそういうことじゃないと思うよ。

 ビジネスホテルに泊まりながらが一人暮らしする部屋を探すなんて、そんな孤独な業はいらないの。ましてや、アルバイトで稼いだお金で生活なんて絶対無理だわ。学費とかもあるんだし。

 わたしが心配になっちゃうんだから、絶対にうちに来て貰うから」



 わたしはキッパリと断言した。どんな事情があるにせよ、そんな生活はあんまりだ。

 わたしと吊り合うためということなら、頑張るところが間違ってる。



「ですが……」



 それでも戸惑いを覗かせている。う〜ん、どうしたものかなぁ。



「二週間だけホテル暮らしを許してあげる。それで部屋を探すのはなし。そしてわたしがマコちゃんの部屋にたまに遊びに行くっていうのが条件。それでいいでしょう?」


「それでは、全くわたくしの趣旨と変わってしまうような気が致します」


「わたしはそれでもすごい寂しいと思う。マコちゃんの言う世間てなんでも一人でやろうとするイメージなんだろうけど、女の子がそんなことをする必要はないの」



 マコちゃんの決意をわたしが無理難題を並べて水を差しているのかもしれない。

 だけど、例え滅茶苦茶な理由を持ってでも、アルバイトのうえ一人暮らしなんて絶対させないよ。


 すると後ろから『ガラ』と椅子をずらす音が聞こえ、ツカツカと沙織がやってきた。

 教室でわたしの傍まで来るなんて、なんとも珍しい。



「瀬野さん、湊ちゃんがここまで言ったらもう曲げないよ。湊ちゃんのことが好きなんだったら諦めた方がいいと思う」



 沙織はなぜか涙目で訴えていた。

『合いの手を入れてくれることは嬉しいのだけど、それじゃまるでわたしが頑固おやじみたいじゃない』と心の中で呟いた。

 でも口には出さずに、勇気を振り絞って発言をしてくれたことに、感謝だけを顔で伝えた。


 マコちゃんは肩を竦め逡巡していた。

 でも沙織の言葉で思い直したようだ。



「承知しました。ご提案どおり二週間だけホテルで生活し、その後、湊様のご自宅でお世話になることに致します。

 確かにわたくしの世間というのは抽象的なものでございますので、一人暮らしをすることがそれを知ることとはなり得ないのかもしれません。

 沙織さん、ありがとうございますね。あなたのお気持ち、とても嬉しく想います」



 マコちゃんのその言葉に沙織は、はにかみながらもとても嬉しそうな様子。

 こんな場面だけど、沙織の一歩も踏み出した気がする。



「決まりね」



 わたしは満足げに、満面の笑みを浮かべて言った。

 そこへ意表のついたドアのノック。

『トントントン』という方を向くと、廊下でみんながこちらを見ていた。

 慌てて壁掛け時計を見ると、ああ、もうお昼休み終わりだよ。

 みんな気を使って廊下で待ってくれていたんだ。

 わたしとマコちゃんは、向かい合ってクスクスと笑い合った。


 沙織はというと、そそくさと自分の席に戻って行ったのだった。

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