第九話「三種三様」

アルパードは、目の前の光景をただ黙って見ていた。一般的には書物の知識と公共に配布される協定会議の議事録でしか知ることの無い妖人。公開会議で初めて見た時、自分が持っていた知識との差異に多少の戸惑いを感じたが、概ねこの世界のもう一つの知的生命体という印象は変わらなかった。それが今、獣のように畜人を貪り食っている。


「いくら食用だからって、調理もしないで食べるのか?」


アルパードの呟きを無視するかのように、妖人は黙々と食べ続けた。腹を裂き、臓物を放り投げ、太股やお腹周り等の肉付きがいい箇所を選んでいるようだった。一般的な感覚を持つアルパードには妖人の食い様は刺激が強かったのか咽そうになり、そのおかげか、ようやく事の重大さに気づき始めた。


両国の許可が無い限り、妖人も人間もお互いの縄張りに立ち入る事は許されない。これを破ったものは、例えその場で殺すことも止む無し。また、無許可での食肉も同様のものとする。


目の前にいる妖人はどちらも破っているし、かといって許可を得ているとも思えない。つまり、この世界での重犯罪者ということなる。アルパードの背中に冷たいものが大量に噴き出した


個体数でいえば圧倒的に人間より少ない妖人だが、個々の筋力、魔力は一般的な人間とは比べもにならないと言われている。現に目の前にいる妖人はいとも簡単に、畜人の頭部を胴体から捻じ切った。もし、妖人が殺人を厭わない異常者だったら、自分も危ない。問答無用で殺してもいいと言われはているが、だからといって実行できるほどの度胸も力も自分には無い。そもそも、これは現実なのか?さっきの白い畜人といい実は自分は夢を見ているのではないか?だが、必死で現状から目を逸らそうとしたアルパードは更に現実離れしたものを見る事になった。


「なにやってんだ……」


白い畜人が何かを大声で喚きながら、全力で妖人へと殴りかかろうとしていた。



ああ、美味しい。やっぱり自分の故郷の食事とは大違いだ。牛や豚なんかとはまるで違う。ここは天国だ。匂いからしてここにはまだ数はいそう。今までは一応隠れながら食べていたけど、もういいや。自分はここで死のう。協定を破ったものを故郷は簡単には殺してくれない。なら、ここで人間達に殺されるほうがよっぽどましだ。ほら、そこの二人。早く助けを呼んでおいで。どういうわけか一人の方は小さななりの癖に私にまとわりついているけど、もう一人の方は何やってるの?それとも自分が全部食べ終わるのを待ってくれているの?そう、じゃあ遠慮なく頂こうかな。次は自分にまとわりついているこれ……あれ、人間じゃないの?どうして美味しそうに見えるんだろう?人間でしょ?違うの?さっきからわけのわからないことを叫んで。おねえちゃん、カエデ?ああ、もう何もわからなくなってきた。つぎのをたべよう。ちょうどちかくにいるじゃない。しろくておいしそうなのが。



「ごめんね」


椿は言葉と共に血を噴き出した。不思議と痛みは無いが、身体から力が抜けていくのがわかる。


「また、守れなくてごめんね」


自分の胸から生えている紫色の杭のようなものを引き抜こうとして、手を伸ばした。だが既に右腕は肩から消失していた。どこにいったんだろうと、ぼやけた視界の目に入るのは目の前の化け物の口。なんだ、そこにあったんだ。


「弱いお姉ちゃんでごめんね」


楓だったものの頭部は何も答えない。そっか、そりゃ怒るよね。二回も見殺しにしたんじゃしょうがないか。


「何のために、この世界で生まれ変わったんだろう」


そう昔では無いのに、懐かしい感覚が襲ってくる。電源を切るときって確か、こんな感じだっけ。



「ようやく、準備は整ったわ」


耳障りな声が聞こえる。またか、と悪態を呟きそうになった。


「何のために生まれ変わったのかって?私を楽しませるためよ」


クソ野郎。殺してやりたい。


「ああ、怖い。やっぱり経験者が言うと違うわね、あははは」


殺す殺す殺す殺す。


「ふふふ、まあ、いいわ。前にも言った選択肢のこと、覚えてる?」


何のことよ。


「本来なら貴女達は償うための惨めな家畜の人生を送るだけだったのよ。でもそれじゃあ可哀想でしょ。だ・か・ら、私からのささやかなプレゼント。選ばせてあげる」


「家畜の王か」


「それとも家畜の神か」


「ただ幸せな一匹の家畜としての人生か」


結局は家畜じゃない。


「そうよ。甘えないでね、家畜さん。とりあえず、今は目の前の選択肢に集中して」


目の前って……あ、あれ……


「次に会う時はもう少しゆっくりお話しましょう。それじゃあ、またね」




アルパードは、ひとまずその場から離れようとした。今のところ妖人はこちらを気に留める様子も無いし、どういうわけか白い畜人の匂いを不思議そうな顔で嗅いでいる。右腕を数回咀嚼した後、吐き出していたがもしかして味が好みではないのかもしれない。


念のために、アルパードは視線を外さないように後ずさりを始めた。一歩、こちらを見ようともしない。二歩、妖人が白い畜人の左足に噛り付いた。三歩、太股を味わうように咀嚼している。四歩、再び首を傾げて吐き出した。五歩、畜人の首筋を眺めながら口を大きく開けた。そろそろ駆け出すか。次の一歩で走ろう。六歩……


「な、なにやってんだ!!」


アルパードの足が止まった。呼応するように妖人の動きも止まっている。両者は自分が見ているものを全く信じる事が出来なかった。


白い畜人が、息を吹き返し妖人の頬を噛み千切る姿は、それほどまでに異常な光景だった。

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