第七話「人間と家畜①」
素足で触れる床の感触は、固くて冷たいものだった。
「石造りなのかな、それともコンクリート?」
自分の記憶と照らし合わせて、答えを探るように椿は歩いている。自分がどこにいるのだろうという疑問は、最初の階段を降りる頃には解消されていた。
「病院?それとも何かの研究施設?」
廊下に漂う消毒液の匂いや、幾つか通り過ぎた部屋に書かれた文字で椿はそう推測した。どうして自分が知らない世界の文字を読めたのかという疑問は、知識のおかげで深く悩まずに済んだ。ここはそういう世界なんだ。これは私のいた世界と今いる世界の共通事項なんだ。じゃあ、違うところは?
「魔法……この世界ではありふれたものなの?」
この疑問は、壁に貼られたポスターで解消された。黄色の背景に「見直そう、魔力の込め具合。少しの油断が大きな後悔」と赤字で書かれているそれは、この階の至るところに貼られていた。
「頻繁に事故が起きてるってこと?」
背中に冷や汗が流れる。自分はもしかして危ない施設にいるのではないかという疑問。それが脳内の警鐘を受けて確信に変わりつつある。自然と歩く速度が上がった。早くここを出ないと。出てどうする?出てから考えればいい。
施設の出口にたどり着くまで、椿はどうして自分は誰にも会わないのだろうという疑問を持つ事は無かった。
椿が最初に目にして驚いたのは太陽の形だった。自分が知っている丸い形ではなく、横に引き伸ばしたような楕円型をしている。だが、自分がいた世界との違いはそれだけで、他は全て見たことがあるようなものばかりだった。
周囲に多い茂る草木や、そこらを飛び回る蝶や蜂等の昆虫。青臭さを感じる空気は決して不愉快なものではなくむしろ心地良い。自分が今出てきた施設を背にして見る風景は、豊かな自然そのものだった。
「うわぁ、こんなの元にいた世界でも見たこと無いよ」
思わず感嘆の声を上げた椿は、そのまま気の赴くままに駆け出した。サイズが合っていない白衣では多少動きづらいが、それ以上の解放感が自分の心を満たしていく。それに身体が軽いし、自分の思う以上に動く。試しにジャンプをしてみたら、自分の身長以上の高さを飛ぶ事ができた。
「凄い、すごい!!」
更に驚いたのは自分の視力だった。元の身体では近視気味で眼鏡の購入を検討していたのに。施設内ではあまりわからなかったが、こうやって広い場所に出るとそれがよくわかった。遠くにあるであろう何かの放牧場がはっきりと見えるからだ。ようやく見つけた新しい場所へ、椿は全力で走り出した。
息切れを全く感じることなくたどり着いた放牧場は、椿の期待に反して殺風景な場所だった。周りにも柵の中にも何もいない。そういえば自分が目にしたこの世界の人間は、最初に見たあの人達だけだ。もしかしてこの世界は既に滅びようとしていて、自分はその世界を救うためにここに呼ばれたりとかして……適度な運動で少しばかり気分の良くなった椿は、自分の額の巻角が疼くのを感じた。なんだろう、これ。後ろ?
何気なく振り向くと、そこにはいつの間にか人が立っていた。あの部屋にいた人達と同じ白衣をだらしなく着ている若いであろう男。顔立ちは良くもなければ悪くも無いが、少なくとも第一印象で嫌悪感を抱かれることは無さそうだった。全体的にお人良しを思わせるような作りをしている。椿はほんの少しだけ抱いた警戒感をすぐに解いた。
「貴方は誰?」
椿は当たり前の質問をしたつもりだったが、目の前の男は少しだけ驚いている。もしかして、また同じようなパターン?
「あ、ああ。俺はアルパード。ここの職員だ」
だが、男はすぐに気を取り直して返答した。目だけはまだ何かを探るように窺っているが、それは椿の中では許容範囲だった。
「ああ、ようやく話が通じる人に出会えた」
目の前の男、アルパードは少なくとも自分を見て気絶したり発狂する事は無いだろう。思わず笑みがこぼれた椿は、何を話そうか、何を聞こうかいう考えに集中するあまり、椿はアルパードの目に宿る真意に気づく事が出来なかった。
その目は、元の世界で自分が野良猫に向けていたものと同じだった。両者の認識の違いを指摘するものは誰もいない。もしこの場に第三者がいても、目の前にいるのは人間と家畜。その差はあまりにも大きかった。
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