屋上にたったひとりの男

ちびまるフォイ

ブラジルの人

目が覚めるとコンクリートのビルの屋上にいた。


「あれ……? どうしてこんなところに……?」


回りを見渡しても屋上の柵しかない。

出入り口もなければ階段もない。


空からパラシュート降下でもしない限り、こんな場所には来れない。


腰の高さほどしかない柵から身を乗り出して下をのぞく。


「み、見えない……」


ビルの屋上から下は雲ができていて、下に何があるかうかがえない。

雲を突き抜けた高さにあるビルっていったいなんなんだ。


「だれかーー!! 助けてくれーー!!」


下に向かって声の限り叫んでみた。なにも反応はない。


「なんかのゲームか? 誰か見てるんだろ!

 人体実験でも、心理実験でもしてるのか!? そうだろ!?」


今度は空に向かって叫んだ。こちらも反応はない。

屋上には柵以外何もなく、人の気配すら感じない。


石一つ落ちてないから、屋上の床に「SOS」と書くこともできない。


雲にさえぎられることのない直射日光がじりじりとうなじを焼いていく。


「そ、そうだ! 何か物を落としてみよう!

 下にいる誰かが気付くかもしれない」


靴の片方を脱ぐと、そっと落としてみた。

雲の中へと消えていった靴はすぐに見えなくなる。


それからしばらく待っても、なにも変わらなかった。


もう一足の靴をぬぐと、ひもをほどいて「SOS」の形にしてから落とした。


屋上から落ちていった靴は雲の中へ消えていった。


 ・

 ・

 ・


「……ダメか……」


諦めるには時間がかかった。

靴を下に捨ててみても、そのあと靴下を投げてみてもダメだった。


きっと洗濯ものが風で飛ばされたとか、靴が捨てられたとか思われたのかもしれない。


柵から身を乗り出して、下の様子を見てみる。

そのとき、ものすごい速さで靴が下から飛んできた。


「うわわっ!!」


思わず体をのけぞらせて飛んできた靴をかわす。

靴は空の方へと飛んでいったまま見えなくなった。


「いったいどうなってるんだ……?

 誰かが下から恐ろしい速度でぶん投げ返したのか?」


この高さまで届く肩の力なんて、メジャーリーガーでもいない。

機械にせよ人間にせよ、とにかく下に誰かいることは確実だ。


「よし、ちょっと降りてみよう……!」


よく考えてみれば、一番下から投げ返したということもない。

たとえば、俺のいる屋上の下に部屋があって、そこから靴を投げ返したのかも。


上着やズボンを脱いでキッチリと端をしばると、

柵にくくりつけて命綱にしながら、ボルダリングのように壁を伝っていく。


「誰か! 誰かいませんかーー!!」


命綱が伸びる限り壁面を伝って下に降りていく。


ここがビルならどこかの部屋のベランダがあるかもしれない。

希望を胸に、屋上から降りられるあらゆる場所で様子を見た。


「う、うそだろ……壁しかないじゃん……!」


淡い望みは一瞬で断たれた。


どこをどう降りて行っても部屋やベランダなどはない。

延々と続くコンクリートの壁面が続くばかりだった。


まるでコンクリートの柱の上に取り残されているようだ。


屋上に戻ると、もう何も策が思いつかなくなり座り込んだ。


「あっちぃ!!」


座ると太陽で熱されたコンクリートが鉄板のように尻を焼く。


せめて飛行機やなにかに気付いてもらおうと、

服をつなげた命綱は柵にぶら下げたままにした。



それからどれだけの時間が経ったのか。



ぶら下げていた服は太陽の光で日焼けして色が抜けた。

体も真っ赤に日焼けして、水分がなくなりすぎて汗もつばも出てこない。


確実に自分の中で「死」が近づいているのがわかった。


残された時間はもうなかった。


「こうなったら……いちかばちか、降りるしかない……」


このまま助けを待っていても、到着するころには死んでいる。

だったら、命をかけてこの壁面を伝って降りるしかない。


柵を超えて、一番つかむ場所がありそうなところを選ぶ。

手のひらには服を巻き付けて、もし落ちた時でも摩擦を軽減するようにした。


もう命綱はつけない。


新調に壁のかけた部分に指をかけて、壁を蹴って崩した場所に足を固定し降りていく。


壁は意外ともろく、削る分には大した力はいらなかったのが幸い。

すいすいとまではいかないが、順調に壁を伝い着実に降りていく。


「よし、これならきっと降りられそうだ」


安心したとき、ぐらりと目の前がゆがんだ。


「あ……」


熱中症だと気付いたのはあまりに遅すぎた。

さえぎるものが何もない直射日光に晒され続けていた。


脱出に必死で自分の体調の事など考えることもなかった。


一瞬だけ意識が飛びそうになっただけで、

指が壁から離れてしまった。


「うああああ!!」


ものすごい勢いで落下していく。

必死に壁に手を伸ばしてみるが捕まる場所が無いのでただ摩擦で焼けただれる。


落下のスピードはぐんぐん速くなり、いつまで落ちていくのかわからない。

いずれにせよ、この速度ではもう助からない。いつしか抗うことも止めた。


そのとき、声が聞こえた。


「この手につかまれ!!」


手放していた生への執着が蘇り、意識が戻った。

反射のように手を伸ばすと、別の手が俺の手首をつかんだ。


「せーのっ!!」


そのままぐいとひっぱりあげられた。


「た、助かった……!」


俺は床に手をついて何度も何度も感謝した。


「落ちているところを助けてくださり、本当にありがとうございます!

 本当に、本当にありがとうございます!!」


「あなた、落ちてきたなんて、変なこと言いますね」


「え? 変ですか?」


俺を助けてくれた男は偽りのないまっすぐな目をしていた。



「あなたは落ちてきたんじゃなく、

 下から飛んできたんですよ。いやぁびっくりしました。

 人間が空に向かって飛んでくるなんて思わなかったから」



周りはさっきまで俺のいた屋上と同じ殺風景のコンクリートと柵があった。


その一角に、俺が下に向かって投げた靴や靴下が転がっていた。



ビルのへりから見える下の風景に、俺のいた屋上はもう見えなかった。

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