進撃 ⑤
海峡の外で繰り広げられる戦いはすぐに都中に広まっていた。
空に響く無数の砲声が民の心を不安に駆り立て、いよいよ皇位継承宣言をしようとしていた大公ジョルジュは、海軍大臣からの報告を受けて姿見鏡を蹴り倒す。
ジョルジュは栄えある帝国の長として相応しいように、全身を金糸で装飾された白銀の衣装を纏い、背に帝室の紋章を描いた丈の長い真紅のマントを羽織っていた。
民衆に対する演説も完璧に覚え、尚且つ可愛い姪の死を悼む悲壮さを装う術もしっかりと心得ていた。
だというのに、あろうことか、帝室の紋章を掲げた狼藉者たちが都へ攻め寄せてくるとは一体どういうことなのか。
ジョルジュの怒りは天を衝くばかりで、直ちに都に兵を配置させた。
海軍だけでなく陸軍の兵まで集められた港は無数の銃砲によって固められ、民衆は近づきつつある私掠船から逃げ惑う中、そのマストに掲げられた紋章を見逃さなかった。
そして舳先に立つ少女の姿も……。
相手はたかが3隻と油断していた陸兵たちが野砲の狙いを定める。
されど彼女の存在が引き金に掛けられた指を固まらせた。
驚愕と疑念が兵士たちの間に駆け抜ける中、グレイウルフ号の18ポンドカロネード砲の砲声が轟き、兵士たちの足を竦ませた。
しかし宮殿から様子を見ていたジョルジュが直ちに攻撃するように断固たる命令を下し、上層部から直接指令を受けた兵士たちは砲撃を開始する。
その内の一発がグレイウルフ号のすぐ背後を航行していた私掠船に命中した。
メインマストが折れ、航行不能に陥っている。
さらにもう一隻も大破炎上し、多くの水夫たちが海へ飛び込んでいく。
グレイウルフ号とて無傷ではなく、砲弾を受け、マスケットから放たれた銃弾によってマストに登っていた部下たちが次々に斃れていく。
だが狼の足を止めるには至らず、船体を岸壁に無理やり突入させたヘンリーはタラップを降ろして一斉に上陸を開始。
無数の銃口が向けられる中、先頭を切って歩み出るのはローズを傍らに侍らせた皇女自身だった。
「下がれ! 忠勇たる帝国の兵士たちよ! 正統なる皇位継承者、ルーネフェルト皇女殿下のご帰還であるぞ!」
身分を失ったとはいえ、騎士であるローズの姿は誰の記憶にも新しく、さらに皇女の凛とした佇まいは兵士たちの士気を大いに落とした。
「私の愛する民たちに願います。どうか道を開けて頂きたい。私は、この帝国を継ぐべき者として、亡き皇帝の遺志を継ぐべき皇女として、帝位を簒奪せんと目論んだ大公を誅します!」
皇女の周囲をグレイウルフ号の乗組員たちが取り囲み、ローズとヘンリーを伴ったルーネが宮殿に向けて進んでいく。が、彼女の足元に銃弾が飛来し、兵士たちの中からかつてローズに襲いかかった刺客たちが飛びかかる。
されど皇女の喉元を掻き斬らんと突出されたナイフは、ローズのサーベルと、ヘンリーのカットラスによって受け止められた。
「今度は以前のようにはいかないぞ!」
「失せろ、鼠どもが」
華麗な剣技によって喉を貫かれ、あるいは荒々しい狼牙によって斬り伏せられた。
その間にも皇女は懐かしき都の石畳を歩む。
父祖が築き上げ、そして自身が治めねばならぬ民たちの視線を一身に受けた。
喪服に身を包んでいた都の民草は見紛うことなき皇女の帰還に沸き立つ。
一体何が起き、何故に死んだと言われていた皇女が、追放された騎士と、悪名高き海賊を率いて戻ってきたのかは民には理解出来なかった。
しかし、彼女はしかと戻ってきた。
民衆にとって羨望の的であった麗しの姫君が生きていた。
気づけば口々にバンザイと叫んでいた。
宮殿に至った皇女は止めようとする衛兵たちを威圧的に退かせる。
「おどきなさい! 私は大公に話があるのです!」
「し、しかし、大公殿下より何人たりとも通すなと命じられております!」
「貴方達は大公に忠誠を誓うの? それとも、皇女たる私に忠誠を誓うの? 選びなさい!」
「……ご無礼致しました」
衛兵によって正門が開かれた。
宮殿内は逃げ惑う貴族と婦人たちによって阿鼻叫喚となっており、中には大公派の貴族が皇女を偽物と罵り、彼女へピストルを向けた刹那、ヘンリーが放った弾丸によって眉間を貫かれていた。
貴族でさえ大公に属するならば容赦はしないという皇女の姿勢に恐れおののいた彼らは、もはやジョルジュの世が訪れることはないと目敏く感じ取って、再び皇女と帝室に忠誠を示した。
とはいえ、ただ私腹を肥やそうとする魂胆が丸見えだった為にルーネに嫌悪感を募らせるだけであったのだが。
とはいえ今は貴族たちにかまっている余裕はない。
さらに宮殿の屋根から刺客たちが襲いかかってくる。
その上、大公の私兵たちまでもが宮殿の至る所から現れ、マスケットやサーベルを振りかざした。
「殿下、ここは我らにお任せを。レイディン……頼んだぞ」
「ああ。任せとけ。行くぞ、ルーネ」
「ローズ、どうか無事で」
ルーネとヘンリーが宮殿内に入り、中庭ではローズ以下、黒豹らが私兵たちと対峙した。
「よおよお、お嬢ちゃん。あんたの剣術、頼りにしてるよ?」
「そちらこそ、油断は禁物だぞ!」
両手にカットラスを構えた黒豹が兵たちの中に飛び込み、渾名に違わぬ俊敏さによって次々に敵を倒していく。
またローズも華麗な身のこなしによって相手の剣を払い、銃との間合いを一気に詰めて蜂の一刺しを繰り出していた。
一方、港でも一悶着あった。
グレイウルフ号である。
かき集められた兵士たちは一体どちらに組みすればいいのかわからず、指揮系統の混乱によって右往左往していた。
そこへウィンドラスが得意の弁舌を以って大公の陰謀を語っていたときのこと、虫の息であった刺客が死の間際に撃った一発の弾が船の砲台の側に積まれていたカーカス弾に直撃した。
元々松脂などが塗りこまれた砲弾故に、一発の弾丸によって引火し、連鎖的に他の砲弾にも炎が回ってグレイウルフ号の左舷船首が爆音と共に内部から弾け飛んだ。
爆風によって岸壁の兵士たちは吹き飛ばされ、またたまたま甲板にいた多くの乗組員たちも四方へ飛ばされていく。
その中にはタックや、ハリヤードらの姿もあった。
天地がひっくり返ったような感覚に襲われたタックは背中から海面にたたきつけられ、呼吸もままならないまま必死に手足を動かして沈まぬように努めた。
だが彼の目に映ったのは、カーカスの炎によって船体を引きちぎられた灰色狼の最期だった……。
港に沈みゆくグレイウルフ号は大きく軋み、断末魔の遠吠えを辺りに響かせると、そのまま海中に姿を没した。
グレイウルフ号の大爆発は宮殿の綺羅びやかな階段を駆け上がる二人の耳にも聞こえ、窓の外を見たルーネが叫ぶ。
「船長! グレイウルフ号が!」
「お前は前だけ見ていろ!」
長年共に海で狩りをした船の最期をヘンリーは振り返ることもなく、立ち止まったルーネの手を引いて前へ進ませる。
船に残した仲間がどうなったのか、本当ならば気が気でないはず。
だというのに、ヘンリーは一切そんな素振りを見せることもなく、ただ眼前に立ちふさがるジョルジュの私兵たちを相手にカットラスを振るった。
やがて二人は玉座の間に至る。
黄金の扉を乱暴にヘンリーが蹴り開けると、中で待ち伏せていた衛兵二人がサーベルを振り上げ、荒々しく伸びてきたヘンリーの両手によって喉元を掴まれて床にたたきつけられた。
その隙に玉座の間へ足を踏み入れたルーネの視線の先に、かつて父が、そして帝国を築いてきた祖先の玉座に座る大公の姿を見た。
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