VOYAGE 11
出航 ①
亡き皇帝の弟にしてルーネの叔父。
そして全ての貴族たちの頂点に立つ大公ジョルジュ・ブレトワルダは、もはや二度と目にすることは無いと確信していた姪子の顔を目の当たりにして、冷ややかな視線を向けていた。
何も知らぬまま死んでいれば楽であったろうという哀れみと、こうなれば叔父自ら引導を渡さねばならぬという殺意の視線。
ジョルジュは全身を鎧で固めていた。
帝室に代々伝わる黄金の装飾が施された黒壇の甲冑と真紅のマント。
それは同時に、自らを皇帝と名乗っているものと同義だった。
故にルーネは玉座を簒奪した叔父に、自らが持つ唯一の
「叔父上……何故、このようなことを……」
震える声で銃を向ける姪に、ジョルジュは表情を一切変えることなく口を開いた。
「哀れなるかな、我が姪よ。兄上がそなたに帝位など譲らねば、吾輩もかような仕打ちなどしなかった。そなたも知っていよう? この玉座が如何に重き責務を与えるか。外敵は虎視眈々と我が領土を狙い、内にも多くの反乱分子を抱えておる。国を背負う者は、民を、兵を、時に無慈悲に切り捨てねばならぬ。心に一匹の鬼を飼わねばならぬ。されどそなたはその覚悟があるか? ただ外の世界への好奇心しか無く、帝位の重みも理解しておらぬ。そのような小娘が帝位を継いだところで、この帝国に未来などあるものか。帝国は強くあらねばならぬ。そのためならば、吾輩は自ら鬼となろう!」
己に向けられた銃を恐れず立ち上がったジョルジュがルーネに迫ると、その太い首にヘンリーのカットラスの切っ先が突きつけられた。
「そなたが、ヘンリー・レイディンとやらか?」
「ああ。手前がルーネの叔父貴だって? 人のことを言えた義理じゃねぇが、よくもまあ悪どいことをしてくれたもんだ。おかげで俺は私掠免状も奪われ、同業者も全員賊になっちまった。その落とし前をつけさせて貰うぜ」
するとジョルジュは
「たかだか私掠船の長に帝国の何がわかるというのだ。もはやこの国に私掠船など不要。吾輩は帝国の力を以ってこの世界を一つに統べる。そなたら賊の出る幕など無いわ」
「成程な。要は世界をまるごと奪っちまおうってわけだ。なぁ、ルーネ。言った通りだろう? この世で最も力のある盗賊ってのは、結局のところ国なんだよ。やってることなんぞどっちも変わらん。強い者が生き延び、弱いものから食われていく。この世はそういう仕組だ。だったらここで俺が手前を食い殺したところで、何の文句も無いだろう!」
振り下ろされたカットラスの刃が、ジョルジュの得物によって防がれた。
「もはや帝国は吾輩のもの! 我は皇帝! 我はジョルジュ・ブレトワルダ! 皇帝に歯向かった罪、その血で償って貰おう!」
抜き払われた刃がヘンリーの胸元を切り裂く。
咄嗟に身を引いたので皮一枚で済んだが、ジョルジュの手に握られた得物を見た彼は目を丸めた。
「
「武に疎き者が帝国の長など務まらぬわ!」
轟と唸り声をあげて振るわれる大剣をマトモに受けたカットラスは刃が歪み、ヘンリーの腕も痺れて暫く力が入らなかった。さらに振り下ろされた一撃を紙一重で躱すと、ジョルジュは高齢とは思えない膂力を以って大剣を横一文字に薙ぎ払ってきた。ヘンリーはがら空きとなったジョルジュの首元目掛けて跳びかかり、床に押し倒して胸のベルトに差し込まれた短剣を逆手で抜く。
「こいつで終いだ!」
「そうかな?」
短剣がジョルジュの喉を切り裂くよりも前に、大剣の柄頭がヘンリーの脇腹を殴りつけた。
「ごふっ」
馬乗りになっていたヘンリーは壁に叩きつけられ、歪んだカットラスを杖代わりにして何とか立ち上がる。足は震え、胃液がこみ上げてくる。
「この……馬鹿力が……!」
「姪共々、あの世へ逝けぃ!」
とどめを刺そうと大剣を振り上げたジョルジュの耳に銃声が鳴り響き、彼の左手が鮮血で染まった。激痛に唸るジョルジュの視線の先には、銃口から硝煙を立ち上らせるルーネが、肩を震わせながらも鋭い目でジョルジュを睨んでいた。
「私は……逃げたりなんてしない! この国を背負い、民を守り、そして父祖に恥じない国を作り上げてみせる! 鬼である前に、一人の人間として私はあなたを倒す!」
「おのれ小癪なぁ!」
左手を封じられ、片手では大剣の威力も半減する。
ジョルジュは見誤っていた。
ルーネの覚悟の程を。
そして、彼女が心から信頼する狼の強さも。
「余所見してると怪我するぜ!」
彼はジョルジュ目掛けてカットラスを投げつけた。片手で尚も大剣を薙ぎ、カットラスをたたき落としたジョルジュの懐深くにヘンリーが潜り込む。
船上で身につけた軽快さにジョルジュも驚きを隠せなかった。
が、気づいた時にはヘンリーがサーベルを一閃させてジョルジュの右手首を切りつけて大剣を地に落とさせ、さらに懇親の力で頬を殴り飛ばす。
今度はジョルジュが壁に叩きつけられた。
得物を失ったジョルジュはぐったりと背を床に預け、己を見下ろす姪に笑いかける。
「そう憐れむな……そなたらの勝ちだ」
「叔父上……何故……何故なのですか……何故、こんなことに……」
頬を溢れる涙で濡らす姪を見つめるジョルジュの顔は、一人の叔父のそれに戻っていた。
「もはや言葉など要らぬ。吾輩は帝位を簒奪し、皇女を亡き者にしようとした大罪人よ。もはやそなたに従わぬ貴族もおるまい。皇位継承者はそなたしかおらぬ。吾輩の死を以って、この国を継ぐが良い」
叔父の言葉に涙が止まらないルーネの背後で、ヘンリーがジョルジュに銃を向けた。
「実を言えば、あんたには少しばかり感謝している。あんたが企んでくれなきゃ、俺はこいつと出会うことも無かったろうし、ずぅっとフォルトリウの阿呆の下にいたことだろうよ」
「ふん……我が兄にも、そなたのような男が産まれておれば、かような企みなど抱かなかったことだろう。くくく、兄上の怒り顔が目に浮かぶわ。さあ、神の身許へ送ってくれ」
「生憎と俺は神が嫌いでね。送ってやれるのは、地獄だけだ」
今までそうしてきたように、ヘンリーが引き金を絞ると、放たれた弾丸がジョルジュの眉間を撃ちぬいた……。
叔父の最期を見届けたルーネは、手の甲で涙を拭い、今となっては叔父の魂が父のもとへ逝くことを願うより他に無かった。
一方のヘンリーは脇腹を押さえて床に座り込んでしまい、激痛に顔を歪ませる。
「大丈夫!?」
「ハッ、まだ死んじゃいねぇよ。ああ、痛えな。こりゃ肋がイカれたかもしれん」
痛がりつつも懐からパイプを取り出したヘンリーは紫煙をくゆらせ、不安げな顔を浮かべるルーネの尻を軽く蹴る。
「そら、とっとと下らん争いを止めてこい。これ以上うちの部下が減るのは御免だからな」
「分かってるわ……私にしか、止められないもの……っ」
駆けていくルーネの背を見送ったヘンリーは、ふと天井を見上げ、中指を立てる。
「おい、神様聞こえてるか? 今まで散々悪態をついてきたが、まあ、これからも宜しく頼むわ。あいつのこと、しっかり守ってやってくれ。俺の代わりに、な」
そしてヘンリーは眠るように瞼を閉じた。
宮殿の外ではローズと黒豹が満身創痍になりながらも健在で、中庭にジョルジュの私兵の亡骸がさながら石ころの如く転がっていた。
次なる相手に刃を構え、私兵たちも二人を討ち取らんと互いに踏み込もうとしたとき、宮殿のバルコニーに姿を表したルーネによってジョルジュの死が告げられた。
私兵たちは驚きのあまり手から武器を落とし、生き残った海賊たちが空に向かって雄叫びを上げる。
大公に付いていた兵士たちも次々に投降していき、一連の皇女暗殺事件はここに幕を下ろした。
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