進撃 ④
帝都へ続く水路を守る崖上の砲兵たちは、曇天の海原から現れた船団に度肝を抜かれた。
どう見ても帝都へ入る商船の群れではない。
かといって海軍の船でもなく、先頭を航行している灰色狼のマストに掲げられた旗を望遠鏡のレンズに捉えた。
黒地の旗に描かれた人喰狼の紋章に加えて、信じがたいことに、帝室の紋章である薔薇冠の獅子の旗も掲げられているではないか。
あの旗を掲げることが出来るのは、帝室の人間が座乗している船のみ。
不用意に掲げればそれだけで罰則を受ける。
勿論帝室の人間が船旅に出ていたという話など聞いておらず、一体どこの不届き者かと兵士たちがグレイウルフ号の舳先に視線を集中させると……。
真紅のドレスを身にまとった金髪碧眼の少女が、波浪を物ともせずに兵士たちを見つめ返していた。
兵士たちの額に汗が滴る。誰の脳裏にも少女の名が浮かんだ。
そして、それがありえぬことだと激しく鼓動が乱れた。
ともかくも、怪しげな船が近づいてくる以上は任務を遂行せねばならない。
崖上に設けられた砲台が一斉に私掠船団へ向けられ、さらに帝都の司令部に艦隊の出動を要請した。
皇女の旗を掲げた船団が都を目指しているとなれば黙っているわけにもいかず、海軍司令部は直ちに沿岸警備艦隊に出撃命令を下す。
停泊していた軍船の純白の帆が開かれるが、兵士も、そして士官たちも、お世辞にも士気が高いとはいえなかった。
既に皇女生存の噂は風と共に都にも伝わっていたからだ。
さらにあの帝国への忠義に篤いドゥムノニア家の令嬢が反逆罪として追われ、男爵ダラスもまた宮殿内で急死したという。
表向きには病によるものということだが、あまりにもきな臭い一連の動きに、都の兵士たちも何かおかしいと薄々感づいていた。
また一部の艦長たちがしきりに皇女生存説と、大公による陰謀説を流布しているとも聞いていた。
そんなところへ、皇女の旗を掲げた船が近づいているとなれば疑問は益々深まっていく。
自分たちの知らないところで、何かとんでもないことが起きたのではないか。
あるいは皇女が生きているのではないか。
だとすると、暗殺されたという発表は何だったのか。
奇しくもその日は皇女ルーネフェルトの国葬が執り行われる日取りとなっており、都の民たちも全員が黒い喪服に身を包み、同時に大公ジョルジュが正式に皇位継承を宣言する日でもあった。
神の悪戯にしてはあまりにも出来過ぎていたが、当のルーネも私掠船団もそんなことは知るよしもない。
崖上の砲台が威嚇射撃を開始した。
砲煙が見えた瞬間、船団の周囲に水柱がそびえ立つ。
ルーネは頬に飛沫を受けながらも微動だにせず、背後で指揮を執るヘンリーを信じて疑わなかった。
帝国側の船はざっと数えて15隻。数の上では私掠船団が優位だが、なにせこちらは寄せ集めの荒くればかり。
碌な艦隊訓練を重ねていないので動きに統一性がなく、逆にあちらは帝都に駐留する精鋭なので見事な単縦陣を整えていた。
「流石に行儀がいい連中だな」
茶化すヘンリーの隣でローズが誇らしげに鼻を鳴らす。
「当たり前だ。いかなる国の海軍であろうとも、相手にならないだろう」
「そいつは結構なことだが、今は困るんだよ。俺達にとっちゃな。さてと、向こうもルーネの姿を確認しただろうが、果たして上手くいくかねぇ?」
「元よりこれは賭けだ。殿下も、十分理解されている……」
ローズの拳が震えていた。
皇女をあのような危険な場所に立たせるなど、本音を言えば許しがたい。
すぐにでも駆け寄って彼女の手を引き、船室に退避させたい。
だがそれは出来なかった。
マストに帝室の紋章を掲げた以上、皇女の姿を晒さねば問答無用で撃沈されるのだから。
相手の心理をかき乱すにもこれ以上の要因はない。
事実、帝国艦隊の運動は見事なれども、未だ砲弾を撃ちこんでくる船は無かった。
艦長たちも判断に迷っているのだろう。
ルーネは届かぬとわかっていながら、吹き荒む風に叫んだ。
「お願い、道を開けて!」
されど彼女の声に答えたのは絶壁から打ち込まれる威嚇射撃の着水音だった。
同時に、焦った私掠船団の後続から指示を待たずに応射する者が現れ、艦隊も被害を恐れて徐々に接近してくる。
さらに艦隊からも消極的な小規模の砲撃が始まった。
「阿呆が! 誰が撃てと言いやがった! 後でマストに吊るしあげてやる!」
後続に怒号を飛ばすヘンリーは直ちに配下の船団に指示を下し、両艦隊はいよいよ互いの砲を向け合う反航戦に突入した。
ルーネはすぐさま相手から目立つ場所に立って大きく手を振るが、既に相手は砲弾を装填し、甲板に並んだ兵士たちはマスケット銃を構えている。
尚も呼びかけようとする皇女の手をローズが引き、彼女を船室に退避させた。
「手前らには
相手がやる気を出したからにはこちらも躊躇していられない。
ヘンリーの命令により、新式のカロネード砲が轟音と共に全てを焼きつくす地獄の炎を吹き出した。
たちまち敵艦は紅蓮に包まれて兵士たちはこぞって海へ飛び込み、やがて弾薬に引火してあっという間に海中に没した。
崖上から様子を見ていた兵士たちも、突如として軍艦が炎上したので呆気に取られている。
他の船団も交戦を開始していた。カーカス弾は数に限りがあるので多用は出来ず、通常の砲弾と接舷からの白兵戦を繰り広げている。
ほとんどの船が軍艦に取り付いて離れようとしなかった。
あるいは砲撃によって敵のマストをへし折って足止めをしている。
ローズが打ち立てた計画とはこれだ。
相手は他ならぬ帝国の兵士たち。無駄な犠牲は極力減らさねばならないので、各船が軍を足止めしている隙にグレイウルフ号と護衛の二隻程度が湾内に突入する。
あとは船を放棄してでも上陸し、まっすぐ宮殿を目指し、大公を倒す。
砲台も敵味方入り交じる海戦の最中に砲弾を降らせるわけにもいかず、沈黙した隙を見たヘンリーが決断した。
「今だ! 全速力で海峡へ突っ込むぞ!」
全ての帆が勢い良く開き、グレイウルフ号以下3隻の私掠船が脇目もふらずに渦巻く海峡へ向けて怒涛の進撃を開始した。
砲台も慌てて狙いを定めようとするが、絶壁に接近していくに連れて砲の死角に入り込まれて手出し出来ない。
が、ヘンリーが恐れているのは砲弾などではなく、帝都を400年外敵から守り続けてきたこの天然の要害そのものだった。
潮の流れが速く、そこら中に浅瀬や岩があり、まともな船乗りであれば全速で突っ込みはしない。
少しでも船底を岩にぶつければたちまち海水が流れ込んで立ち往生してしまい、進退窮まるだろう。
ローズも岩礁すれすれを駆け抜ける様に冷や汗を流していた。
こんなものは無謀だ。
海軍随一の操船名人であっても、否、いかなる国の腕利き船乗りだろうと、この海峡を全速で突破しようなどと試みた例は、後にも先にもこれ一回きりだろう。
ヘンリーは絶妙な舵捌きによって狭い航路を巧みに抜けていくが、最後尾の一隻が船底を擦って脱落していた。
航路のどまんなかで立ち往生されてしまい、退路は絶たれ、振り返ることもなくヘンリーたちは進む。
「もうすぐ海峡を抜けるぞ!」
ローズの声を聞いたルーネが船室から飛び出すと、グレイウルフ号は難攻不落の海峡を見事に突破し、外の波浪が嘘のように穏やかな、新緑の丘と草原に囲まれた湾内に踊りでた。
そして全員の視線の先に、純白の宮殿が威容を誇る帝国の都が広がっていた。
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