進撃 ③

 早朝。

 水平線の彼方から眩い朝日が昇り、闇に包まれていた最果ての港を明るく照らしだす。

 たっぷりと休暇を楽しんだ海賊たちは各々の船で出港の時を待ちわび、船長たちは旗艦であるグレイウルフ号の船長室に集められていた。

 いよいよ帝都へ向けて進撃する日を迎え、誰の顔にも緊張の色が濃く浮かび上がっている。

 そこへ、ローズに護衛されたルーネが進み出た。

 いつも身にまとっている水夫服から一変し、今はニューウエストの仕立屋に誂えさせたドレスを見事に着こなしている。

 色は帝国の象徴たる真紅。

 金色の髪には銀のティアラが据えられ、さらに帝室の紋章である薔薇冠の獅子が描かれた首飾りを身につけていた。


 いつも見窄らしい格好で会議に参加していただけあって、荘厳な出で立ちに私掠連合の面々は心を奪われている。

 一方でヘンリーはしてやったりと顔をにやけていた。

 彼女にドレスで着飾るように言ったのは他ならぬヘンリーなのだから。

 船の上でドレスなど邪魔以外の何物でもない。

 しかし、ルーネはこの連合の旗頭だ。

 帝国皇女の存在を知らしめ、誰が正当な皇位継承者か示さねばこの戦に大義が無くなる。

 故に彼はルーネに見習いであることを忘れ、帝国を統べるべき皇女の姿へ戻るように言いつけた。

 否、そう願った。

 もはや彼女をただの見習いとして扱うことなど出来ないのだから。

 少なくとも衆目の前では、だが。


 ルーネ自身、この日を覚悟していた。

 一人の少女ルーネから、帝国皇女ルーネフェルトへ戻らねばならない日を。

 そして亡き父の遺言の通り、女帝として帝国に君臨せねばならない日を。

 故に彼女は着慣れていた水夫服を脱いだ。

 皇女はかつて宮殿で振舞っていたように、厳かな声色で皆に語りかける。


「時は来ました。頼もしい海の勇士たち。今一度お願いします。どうかこの私を、ルーネフェルト・ブレトワルダに力を貸して頂きたい」


 すると連合の面々は彼女の前に跪いた。

 ルーネに対してではなく、皇女という衣に対して彼らは頭を垂れたことを、彼女は敏感に感じ取った。

 続いて首領たるヘンリーが音頭を取る。


「諸君、聞いてのとおりだ。俺達は元より碌でもない奴ばかりだが、一旦は帝国の私掠船として自由の海に生きると誓った。今や俺達は一人も欠けることが出来ん仲間だ。俺達私掠連合は――」


「おっほん……」


 音頭の途中でローズが咳払いをし、ヘンリーは面倒くさそうに言葉を訂正する。


「ああ……助っ人一名と共に、帝都を目指す。いいか、野郎ども。よく聞け! 俺達がこの先も自由の海で生きるには何としても帝都へ征かねばならん! 皇女を女帝の玉座に座らせ、この手に私掠免状を得なければならん! たとえ水面に沈もうとも、たとえ鉛球に貫かれようとも、俺達が進むべき航路はこれ以外にはない! さあ、狼どもよ。盃を取れ。そして共に行こう。共に死のう! 共に勝とう!」


「応!」


 全員の手に鮮血の如く紅い葡萄酒が注がれたグラスが配られた。


「いざ征かん! 出帆の時は来たれり!」


「いざ!」


 一息に酒を飲み干し、そしてグラスを床に叩きつけて粉々に砕いた彼らの目には、赤々とした闘志の炎が燃えたぎっていた。


 港に停泊していた海狼たちの帆が一斉に開かれた。

 街の者たちに見送られる中、グレイウルフ号を先頭に大小20隻の私掠船が海原へ繰り出していく。澄み切った群青の天空を吹き抜ける風を受け、全ての帆が乗組員たちの意気に応えるかのように活き活きと最高速を叩きだしていた。

 紺碧の海原を進む船団は白波を砕き、飛沫を巻き上げながら帝都へ目指して東へ進む。

 当然ながら、ルーネとローズはグレイウルフ号に乗船していた。

 後部甲板にある指揮所に並び立つヘンリーとローズは、望遠鏡で未だ見えぬ帝都の街並みを頭に描きつつ他愛のない言葉を交わす。


「つくづく思い知らされたよ。私では貴様に敵わないということが」


「何を言ってやがる。こっちだってあんたの執念には呆れ返って物も言えんところだ。利口な奴なら、とっとと大公の側についたほうが安泰だったろうに」


「冗談ではない。私は殿下に身命を捧げると誓ったのだ。決して帝位を簒奪するような男になどに頭は下げん」


「それはそうなんだろうが、よくもまあ潔癖症のお前さんが俺達と組むことになったもんだ」


「他に良い手段が見あたらなかったからな。第一、このまま負け犬として惨めに生きてたまるものか。私だってこの手に取り戻してみせるさ。失った名誉も、そして私自身のキャリアも!」


「ははは! 意外と俗っぽいところも持ってるじゃねえか」


 戦いを前にして愉快に笑い飛ばす二人の姿は自然と水夫たちの士気を高めた。

 ヘンリーは一旦指揮をウィンドラスに任せ、船長室で待機している皇女のもとへ赴く。

 ルーネはヘンリーの姿を見るなり駆け寄った。


「船長! 私も何かお手伝いしたいの」


「今は気持ちだけで十分だ。それと、少しばかりお前さんの覚悟を確かめておきたい」


 いつになく神妙な顔で顔を覗きこんでくるヘンリーに、ルーネも息を呑む。


「俺達はこれから帝都へ乗り込むわけだが、当然海軍どもが邪魔をするだろう。そのとき、お前さんが愛する兵たちを撃たねばならん。向こうが撃ってくるからには、こっちも黙って撃たれるわけにはいかんのだ。連中は都を守るために必死だろうし、お前と大公の事情なんぞ知ったことじゃないだろう。目の前で自分の兵たちが海の藻屑となることに、お前、耐えられるか?」


 問われたルーネは暫し視線を落としたが、深く呼吸をした後に、はっきりと首を縦に振った。


「もう、引き返すことなんて出来ないもの。たとえ血塗られた女帝だと言われても、私は、私が選んだ道を引き返したりしない。だから見届ける。私の愛する兵士たちの最期を。この目で、決して忘れないように」


「そうか。ならばもう聞くことはない。後のことは俺達に任せろ。お前さんの出番は、帝都へ乗り込むその時だ」


 踵を返して出ていこうとする彼の背を、今度はルーネのか細い声が呼び止める。


「待って……もう少し、側にいて欲しい……」


「怖いのか?」


「ううん。怖くなんて無い。けれど、せめて二人きりのときは、あなたの見習いでいさせて欲しい。ただ一人のルーネでいさせて欲しいの」


 帝位に就けば、もはや今までのような生き方は望めなくなるだろう。

 誰もが彼女のことを少女ルーネとして見ることは無くなり、女帝ルーネフェルトとして崇め奉るようになるだろう。

 ある意味で、彼女はもうすぐ人ではなくなる。

 女帝という衣を纏った象徴という名の一個の偶像となる。

 刻々とその時が迫る中、少女はヘンリーの傍らに身を寄せた。

 そんな彼女の髪をヘンリーはぐしゃぐしゃと荒く撫で回し、鼻で笑う。


「ハッ、下らないことで悩みやがって。お前は何処に居て、何になろうと、お前であることに変わりなんか無いんだよ。胸を張って名乗ればいい。我こそはルーネだと。世を騒がせた悪党ヘンリー・レイディンの見習いだと。文句のある奴は出てこいってな。それで納得しない野郎がいたら俺に知らせろ。俺がそいつの顔を殴り飛ばしてやるからよ」


「本当? 約束してくれる?」


「ああ。仲間を裏切らないのが、うちの掟だ。忘れたか?」


「忘れたりなんかしない。だって、あのとき船長の前でサインをしたんだから」


「ああ。だから安心しろ。お前が女帝になろうが、あの誓約書は捨てやしない。言ったはずだぜ? 俺の船には貴族も奴隷も関係ないってな。だからもうそんなことで悩むな。お前はお前だ。他のだれでもないルーネだ。俺と、この船のバカどもが保証する」


 そう言ったヘンリーが部屋のドアを開けると、今の今まで二人の様子を伺っていた黒豹やタックを始めとした馴染みの面々が雪崩となって滑り込んできた。誰も彼もルーネを囲って彼女の頭を撫で、肩に手を乗せ、いつもと同じようにルーネの名を呼んだ。


「みんな……ありがとう!」


 先ほどの曇った顔色から一転し、ルーネはいつものように屈託のない笑みを浮かべた。


 それから三日後、マストの見張りが声を張り上げる。


「見えたぞ! 大灯台の火が! 海峡の入り口が見えたぞぉー!」


 吹き荒れる波浪に包まれた私掠連合の眼前に、難攻不落の絶壁が立ちふさがった……。

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