進撃 ②
私掠連合の面々は久方ぶりの休息に満足しつつも、やはり帝都へ乗り込むという無謀な計画には不安が顔に浮かび上がっていた。
中には露骨に文句を口から垂らす者もいたが、すでに決定したことに異を唱える者は決して許さないというヘンリーの威圧に黙らされている。
商船で金儲けをする傍らで私掠行為に勤しんでいた連中は利に聡く、己の保身が第一なので、概ね連合に賛成していた。
皇女がこちら側にいるとなればどうにでもなると考えたのだろう。
ニューウェスト港に定期便の貨客船が到着したのはそんな折であった。
元々碌でもない連中が港に屯していたが、いつの間にか港には完全武装した海賊たちが大勢押し寄せていたので貨客船の船乗りたちはすっかり恐れ慄いている。
そんなへっぴり腰の善良な船乗りたちの背後に、全身を見窄らしいフードとマントで隠している人物がいた。
港に入るべきか、それともこのまま母港へ戻るか協議している船長たちの間に割って入り、戻るには構わないが自分だけは上陸せねばならないので、せめてボートを一艘貰えないかとやたら高圧的に迫った。
その腰に吊るされたサーベルの刃すらちらつかせて。
脅迫とも言える願い出に、船長たちはただ首を縦に振るしかなかった。
他の乗客たちも冗談ではないとばかりに騒ぎ出し、ただ一人だけボートに乗せて港へ向かわせ、貨客船は脱兎の如く母港へ向かって引き返していった。
哀れなのは積み荷を届けなかった責任を問われ、地位を剥奪される船長だろう。
が、今の彼女にとってそんな赤の他人の事情など知ったことではなく、桟橋にボートをつけた彼女は近づいてくる海賊たちを全て無視し、街の中へ入っていった。
すっかり様子が変わった街の空気に半ば驚きつつも、ヘンリーの居場所を裏路地を住まいにしている連中に尋ねた。
「すまないが人を探している。ヘンリー・レイディンは何処だ?」
なるべく落ち着いた口調で聞いたつもりだったが、一刻も早く皇女に事の次第を報せねばと気持ちが逸り、問われた浮浪者たちは顔を引き攣らせて街のホテルを指さした。
「ありがとう。これは気持ちばかりの礼だ。君らに神のご加護があらんことを」
と、彼らに手持ちの金貨を与えてホテルを目指した。
件のヘンリーたちは円卓に巨大な海図を広げ、帝都への侵入方法をあれこれと模索していた。
ああでもないこうでもないと議論が白熱し、されど纏まる様子もなく、ヘンリーもルーネもいつしか黙って皆の意見を聞くだけになっていた。
「首領なんだから纏めたら?」
「お前も皇女ならこのくらいの人数纏めてみせろよ。帝王学とやらを勉強してたんだろう?」
二人して退屈そうにしていると、不意に会議室のドアが開かれた。
「暫く見ぬうちに、ずいぶんと大所帯になったではないか。レイディン」
突然部屋に入ってきたフードの人物に海賊たちは何者だと口々に詰め寄り、それらを全て黙らせる銃声が部屋の天井に向かって鳴り響いた。
彼女は海賊たちを押し退けながら進み出ると、彼女の到来を待ちわびていたヘンリーがニヤリと笑って出迎える。
「そっちも遅かったじゃねぇか。まさか、化けて出たわけじゃあるまい?」
「無論だ。貴様に受けた借りを返さなければ、死んでも死にきれるものか」
白く細い手がフードを掴むと一気に脱ぎ払うと、みすぼらしい布切れの下から麗しい銀髪の女騎士が現れたことに場の一同は言葉を失った。
ローズはすぐさまルーネの前に跪く。
「殿下、お久しゅう御座います。ローズ・ドゥムノニア、御身に身命を捧げるため、戻って参りました」
「忠節、嬉しく想います。帝都の様子は?」
「はっ。やはり大公ジョルジュが帝位の簒奪を企てた次第で御座います。我が父が、命を賭して掴んでくれました……」
「男爵が……そんな……」
危うく足から崩れ落ちそうになったルーネの背をヘンリーが支えた。
「男爵ってのは、お前の親父か?」
「そうだ。父は自身を顧みず、殿下と私、そして貴様を信じて志を託されたのだ」
「ローズ……そして、ダラス・ドゥムノニア卿の恩は生涯忘れない。改めてお願いするわ。どうか私達に力を貸して。貴女の力が必要なの」
「無論で御座います。さあ、賊どもよ。いや、殿下に忠義を誓った者たちよ。この帝国騎士、ローズ・ドゥムノニアが陣列に加わろう。共に帝都を目指そう!」
流石に帝国の将兵たちを率いていただけあって言葉に力が宿っており、ローズの助言の下、着々と帝都へ進撃する計画が整えられていった。
日が沈むまで軍議は白熱し、休息も兼ねて一旦散開としたヘンリーに続いて港へ赴いたローズは、新型砲弾の試射を見学した。
空中で炸裂した砲弾から紅蓮の炎が降り注ぐ様を見た彼女は言葉を失っている。
「これを……貴様が作ったのか?」
「実際に作ったのはうちのイカれた船医だがな。どんなに強力な軍艦も、所詮は木造よ。燃えぬ木など存在しない。まだ数は少ないが、脅しにも有効だろう」
「まさかこれで都を焼きつくすつもりではないだろうな?」
「ルーネがいなけりゃ、それも一興だったんだがな。心配するな。これでも何を以って勝ちとするかは心得ているつもりだ。そして、その難しさもな」
騎士と海賊。
相対する二人が港を一望出来る人気のない公園で言葉を交わす雰囲気は、どこか奇妙なものであり、同時に互いの実力を認め合っている気さくさも少なからずあった。
「お前も飲むか?」
ヘンリーは懐から取り出したワインの小瓶を彼女へ差し出す。
「企みでも?」
「そのつもりならとうに抱いている」
「貴様の命と引き替えにな。いただこう」
ローズは素手でコルクを抜くと、芳醇な葡萄酒を飲み下していく。
酒はあまり得意ではない。
パーティや晩餐会でも、食前酒を口にするだけで、酔って自分を見失うことを彼女は恐れていた。
しかし今は飲まずにはいられない。
父を失った悲しみも、身分を奪われた屈辱も、酒と共に全て飲み干してしまいたかった。
酔うことによって、一時的にでも忘れられるならばそれでいいと思った。
そんな彼女の、上っ面だけ強がっているか弱さにヘンリーは見ていられず、気づけばローズの手を引いて胸元へ抱き寄せていた。
ローズは抵抗しようとしたが、彼の力強い腕に封じられている。
「やはり、企んでいたのだな……卑怯者」
「そう思いたきゃ思っておけ。だがな、俺は自分を偽って生きるような奴を仲間とは思えんのだ。此処には騎士の面子を気にする奴はいない。親父も死んで、何もかも全部投げ出してここへ戻って来たのだろう? だったら俺の腕の中でくらい、騎士であることも捨てて女に戻れ。その後で決闘でも何でも受けてやるさ」
「誰が……貴様に、涙など……っ」
「だったら俺は星でも眺めているからよ。後は好きにしろ」
と、ヘンリーが頭上に広がる星空を見上げた途端、ローズは酔った勢いもあって、彼の胸の内で小さな嗚咽を漏らした。背を撫でる彼の手の強さと温もりが、騎士であると同時に一人の女として扱う気遣いが、彼女の目を枯れることのない涙の泉へと変えていく。
同時に、彼女の心には言い知れぬ悔しさがあふれていた。
賊だと蔑み、皇女を奪われたことを恨んでいた獣に、彼女は男を見てしまった。
今ならば理解出来る。
何故皇女が彼の下に留まるのか、何故彼が皇女を見捨てなかったのか。
否定したくとも出来ない。
どれだけ騎士として凛としていようと、やはり彼女とて一人の女性であることを捨てきれなかった。
この男の腕に抱かれ、涙を流し、弱い自分をさらけ出すことが出来る。
だが恥辱ではなく、喜びとして胸が高鳴った。
それが悔しくてならない。
この男に惚れてしまった自分が情けない。
嗚咽する中、彼の胸を震える手で何度も叩いたのが、彼女が出来る唯一の抵抗だった。
ヘンリーは無言で彼女の全てを受け止め、流れ行く星の煌きを眺めていた……
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