群狼 ④
ルーネは手足を荒縄で縛り上げられ、口に布をつめ込まれた状態で港の倉庫に幽閉されていた。
無数の木箱が積み上げられた倉庫内には、いかにも教養も礼節も弁えていなさそうな男たちが十数人ほど見受けられた。
いずれも十代か二十代そこらの若者ばかりで、あわや乱暴されるものかと思ったが彼らはルーネを拘束するだけで手出しをしようとはせず、むしろ、話題はヘンリーと彼の首にかかった懸賞金のことばかりだった。
恐らくは彼を始末した後にルーネをじっくりと料理する算段なのだろう。
あるいは見た目が年端もいかぬ少女であるから欲情すら覚えなかったのか。
それはそれで女としての魅力に欠けているようで腹立たしいのだが、ともかくも、いつ気が変わってあの凶刃で喉を掻っ切られるか分からない。
だがルーネの蒼い瞳に怯えや恐怖といった色は浮かんでいなかった。
こんなことで震えてなるものか。
自分は帝国皇女であり、大海賊ヘンリー・レイディンの見習いだ。
もしも彼が助けに現れたとき、泣きべそなどかいていた日には呆れられて物笑いの種になるに違いない。
絶対に屈してなるものか。
と、ルーネは心中で赤々とした炎を燃え滾らせていた。
現在の時刻は分からないが、外が静まり返っていることから夜中らしい。
丸一日食事も睡眠も与えられていない彼女は少なからず疲労していたが、眠気を堪え、己を拉致した男たちに明確な敵意の視線を飛ばし続けた。
時折その視線に気づいた男たちがルーネの頬を引っ叩き、喉元をナイフの腹で撫でてくるが、彼女の視線が変わることはなく、それ以上手出しをすることもないままに男たちは引っ込んだ。
堂々と皇女であることを名乗れれば、一人残らず断頭台に送りつけてやるものを……。
などとすっかり海賊流の物騒な考えを頭に浮かべていると、俄(にわか)に倉庫内が騒がしくなった。
まさか彼が来たのかと思っていると男たちに縛られた手首を掴み上げられ、半ば引きずられるように倉庫の外へ連れ出された。静まり返った岸壁に打ち付ける
吹き抜ける潮風に黒い外套を靡(なび)かせ、腕を組み、たった一人で十数人と対峙する。
時刻は午前0時。
寸分の狂いなく、ヘンリーはギャングたちの前に立っていた。
男たちは腰からナイフやらピストルやらを持ちだしてヘンリーを威嚇するが、彼はそんな脅しなど毛ほどにも感じておらず、つかつかと彼らのすぐ近くまで歩み寄ってくる。
「おい、手前ら。うちの見習いは無事なんだろうな?」
若手のギャングたちは思わず後ずさった。
ヘンリーも何か様子がおかしいと感じ取ったのか、思っていたよりも大した連中ではなさそうなので更に強気に出る。
「おい、よく聞けチンピラ共。俺は多少の悪戯なら笑って目をつぶってやるし、俺の首と金が欲しけりゃいつでも遠慮無く襲ってきて構わんと思っている。だがな、俺の仲間に手を出す奴だけは絶対に許しちゃおけんのだよ。たとえ手前らが地に額をつけて謝ろうが、目の前に金貨を10000枚積み上げて許しを請おうが、俺は絶対にお前らを許す気は無い!」
右手をカットラスの柄に手をかけ、左手がピストルのグリップを握ったとき――。
「許すか許さぬかは、我々が決めることだ」
聞き覚えのある声が波止場に響き渡った。
倉庫の屋根、木箱の陰などから武器を携えた街のマフィアたちが一斉に現れてヘンリーを取り囲み、それらの先頭に立っていたのは、ほかならぬロッシュであった。
「今までご苦労だったな、船長。おかげで他の組織は大いに弱体化し、今となっては我々だけでこの街を支配出来るようになったよ。心から感謝している。せめてもの礼として、ここを君たちの墓場にしてあげようじゃないか」
ロッシュが片腕をあげると、百を超えるピストルやマスケットライフルの銃口がヘンリーとルーネに向けられた。
流石にこれだけの数を相手にすることは無謀極まり無いが、ヘンリーは一切動揺する素振りなど見せず、余裕ぶるロッシュに対して不敵に笑う。
「おうおう、狸が本性を表しやがったな? さしずめバンディットとかいうチンピラ共も手前の部下だったってわけか。だがあんたの息子はいいのかよ?」
「問題ない。そちら側の人質になった時点で、私はロベルトを切ることにした。息子など、また作ればいいだけのこと。第一、君を始末すれば、取り戻すのも容易ではないかね?」
「そりゃぁ、俺の部下たちも見くびられたもんだな。あいつらは手前らのような野犬じゃねぇ。一匹一匹が群れの長になりうる狼どもだ。気をつけろよ? あるいは今も手前らの喉元に食らい付こうとしているかもしれんぜ?」
言うや否やバサリと外套を脱ぎ捨ててマフィアたちの照準を遮り、神業めいた手早さでルーネの胸ぐらを引っ掴むと一気に駆け出し、港の海へ身を投じた。次の瞬間、マフィアたちが構えた無数の銃が一斉に火を吹いて彼の外套をボロ布のように引き裂き、波止場の地面を蜂の巣に変えていく。
「追え! 決して逃がすな! 金貨2000枚だぞ!」
叫ぶロッシュの視線の先、海を挟んだマストの森から砲声が轟いた。
夜空を不気味な風切り音が鳴り響き、流星のように飛来した砲弾がマフィアたちの頭上で炸裂した刹那、砲弾に仕込まれた松脂に引火した紅蓮の業火が倉庫に降り注ぐ。
さながら古の神話において神の怒りに触れた国が天から降り注ぐ炎に焼きつくされたように、灼熱の火炎は情け容赦無く倉庫ごとマフィアたちを火達磨へ変えていった。
夜の闇を引き裂く炎の輝きにルーネは恐怖し、ヘンリーと共にグレイウルフ号の仲間たちに引き上げられた。そこには黒豹を始めとする面々が桟橋に大砲をずらりと並べており、今しがた撃ち込んだ砲弾の威力を目の当たりにしたドクター・ジブは手を叩いてはしゃいでいた。
「やった! 成功だ! 成功だ! 見よ! これこそが天才ジブが生み出したる
腹を抱えて笑い転げるジブを他所に、黒豹たちは通常の砲弾も同時に撃ち込み、炎から逃れようとする敵の行手を阻む。
今頃はロッシュも含め、あの炎の中でのたうち回っていることだろう。
目の前で繰り広げられるこの世のものとは思えない光景に、ウィンドラスはただ黙して十字を切り、ルーネもヘンリーに抱きついて見ようとしなかった。
街の者たちも港が火事だと大いに騒ぎ、すぐに消防団などが駆けつけて鎮火に励むが、松脂などに引火した炎は簡単に水で消えることはない。
ともあれ、迅速な動きによって何とか街へ延焼することは防ぎ、その騒ぎに紛れて港を後にしたヘンリーたちは混乱するロッシュファミリーのアジトを含める街のマフィアたちへ襲撃をかけ、夜が明けるまでに主要な組織をほぼ壊滅させた。
残る問題はロベルトだ。
宿の最上階に見張り付きで幽閉されていたロベルトは、窓から港の炎を見つめていた。
すると下の階から銃声が聞こえた。
恐らくは抵抗しようとしたホテルマンが撃たれたのだろう。
まもなく此処へヘンリーたちが戻ってくる。
ならば彼らは己を始末するつもりなのだろう。
もはや逃れるつもりはない。覚悟はできている。
人質とはそういうものだ。
むしろ、これで父や組織からの呪縛から開放されると思うと、何やら清々しい気持ちにさえなった。
扉が乱暴に蹴り開けられ、ピストルを持ったヘンリーが部屋に入ってくる。
顔に殺気を満々と浮かべる剣幕に対して、ロベルトは冷ややかだった。
「……彼女は、無事だったのですか?」
「ああ。だが手前の親父が俺たちを裏切ってくれた。まあ、お互い悪党だ。利用し、利用されるだけの間柄だ。火で焼かれようと文句はねえだろうよ。で、手前の親父は先に地獄へ叩き落としてやったわけだが……」
ピストルをロベルトの眉間に向けると、彼は真っ向からそれを受け入れる。
「覚悟は、出来ています」
「そうかい。じゃあ、あばよ」
言葉を遺す猶予も与えず、ヘンリーが引き金を引き絞る。
「だめぇ!」
慌てて彼の後を追って部屋に駆け込んだルーネがヘンリーの腕に飛びつき、直後に放たれた鉛球は部屋を飾っていた花瓶を粉々に砕いた。
彼女はロベルトを庇うように二人の間に割って入る。
「邪魔だ、どけ。こいつにもきっちりケジメをつけて貰わんといかん。もう生かしておく理由も無いからな」
「彼に何の責任があるというの! 私が無事だったのだからもういいじゃない!」
「お前が良くてもこの俺の腹の虫が収まらないんだよ! 良からぬ芽は全て摘み取らねばならん」
「ならば皇女として命じます! 銃を下ろしなさい! ここは船でもなく海でもない! この私の国よ! 彼は私の民よ!」
しかしヘンリーは彼女の怒声を無視し、再びロベルトの眉間に狙いを定めて引き金を引き…………ただ虚しく撃鉄の音だけが部屋にこだました。
「チッ、これだから単発式は面倒なんだよ」
吐き捨てるように悪態をついたヘンリーはピストルをホルスターに戻し、二人に背を向ける。
「お前さんを挟んでいた板は俺がぶっ壊した。後は好きにするがいいさ」
どかどかと足音を鳴らしながらヘンリーは部屋から出ていき、残されたルーネは緊張の糸が切れて危うく座り込みそうになった。それを後ろから支えたロベルトは彼女を部屋の椅子に座らせ、まるで騎士のように彼女の前に跪く。
「数々のご無礼、どうかお許しを。皇女殿下」
「許します。けれど私は、皇女ではなくルーネとして今を生きている身。そんな風に畏まらなくてもいいから、顔を上げて。その、こんなことを言うのはおかしいのだけど、お父上のこと、お悔やみします」
「いえ。父も覚悟の上だったと思います。それに、もう過ぎてしまったこと。僕も、これからのことをゆっくりと考えようと思っています。ただのロベルトとして生きるのか、それとも、父の跡を継ぐべきなのか。貴女がかつて言ったように、自分の生き方は自分で決めます」
その言葉にルーネは大きく頷き、そのまま気を失うように深い眠りの淵へ落ち込んだ。
ロベルトは彼女を抱きかかえて部屋の外にいたタックに託し、自身もベッドに腰掛けて人知れず父の死と部下たちを悼み、涙を流すのであった。
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