群狼 ⑤

 昨夜の騒ぎから一変して、街の住人たちはマフィアが壊滅した噂で持ちきりだった。

 ボスのロッシュが港で変わり果てた姿で見つかった上に、事務所も海賊たちによって破壊され、ほとんどの構成員たちはその姿を眩ませた。

 一方で住人たちは新たな支配者であるレイディン一家に対して畏怖の眼差しを送っていた。

 が、マフィアとくらべてみれば威張り散らすよりも陽気に金を落とし、喧嘩を吹っ掛けない限りは手出しをしなかった為、段々と彼らを受け入れるようになった。


 特に酒場では彼らは大いに歓迎された。

 長くマフィアに売上を搾取されていた商人たちからも気さくに声をかけられ、ヘンリーは道を歩く度に女たちから黄色い声で騒がれる始末。

 女といってもキングポートのときのような娼婦らではなく、真っ当な町娘たちからである。おかげでどうにも落ち着くことができず、あの悪徳の港を恋しく思い、今日も行きつけとなった老婆の酒場へ赴いた。

 銃弾でボロ雑巾のようになった外套も新たに調達し、カウンターに頬杖をついて、ライムが浮かぶラムモヒートを舐めるように味わう。


「あんたもすっかり人気者だねぇ」


 老婆の皮肉交じりの冗談に何も言い返せず、他に居合わせた酒飲み共からもニヤニヤと笑われた。名が知れ渡るのは世に生を受けた男児として快事ではあるが、人から恐れられ、あるいは蔑まれこそすれど、こうも無言で讃えられては背中が痒い。

 ロベルトもあれから暫く今後のことを考えたいと言い、暫く身を潜めると言って町を出たという。

 ともあれニューウエストから脅威が去ったことにより、ルーネもようやく大手を振って外を歩けるようになった。

 タックと買い物に行くという約束もようやく実現し、二人は気兼ねなく街の市場にて店先に並ぶ商品を物色していく。


 みずみずしい果物に綺羅びやかな装飾品等など、以前にもヘンリーと一緒に見て回ったが、あのときは街の空気もギスギスしていたので落ち着いて買い物を楽しめなかった。

 それだけに今回は彼女たちの心も大いに踊り、持ち前の金貨で以って思い思いの商品を購入していく。

 歩きながらリンゴを囓り、タックは念願の短剣や新しい靴を手に入れ、ルーネも服などを何着か選んだ。

 水夫のシャツとズボンから一転し、町娘たちが着ているチュニックや丈の長いスカートなどで少しばかり着飾ったルーネが試着室のカーテンから出てくると、タックは途端に頬を赤く染めて頬を緩めた。


「スカートなんて久しぶりだけど……どうかな? 似合う?」


「うん! 似合う! 似合う!」


 興奮して何度も首を縦に振るタックは完全に彼女に見惚れてしまい、なんの気なしにルーネに手を握られると心臓が嵐の日の三角帆のように暴れまわった。


「タック? 顔が真っ赤だよ?」


「えっ!? そ、そうかな? あははは……」


「またいやらしいこと考えてるんでしょ?」


「そんなことないよ! ほら、ルーネ! はやく行こう!」


 と、恥じらいを隠すようにタックはルーネの手を引いた。

 異変が起きたのはそんな折だった。

 二人が買い物を終えて港に続く海沿いの歩道を歩いていたとき、ふと彼方に広がる水平線に目を向けてみれば、はじめは二、三隻の船がニューウエストを目指して近づいているのが見えた。

 ところが、すぐに四隻、五隻、六隻と、港を目指す船の数は増えていくではないか。

 しかも商船の群れにしては何処の国旗も商社の旗も掲げておらず、ちょうど購入したばかりの双眼鏡で船を伺ってみれば、商船にはありえぬほどの武装が施されている。


 その上、乗っている船乗りたちも全て武器を携帯した荒くればかりだった。

 それはまさしく狼の群れ。

 私掠行為を禁じられ、帝国から追われる身となった大小二十隻もの海賊たちが最後に頼って集ってきたのが、この最果ての港であった。

 水先案内人らも海賊たちを前に怖気づいて近づこうとせず、彼らは勝手に港に入って思い思いの桟橋や岸壁に船をつけはじめた。その岸壁の一角に修復と改装を終えたグレイウルフ号が既に停泊しているのを確認した海賊たちは、足を揃えて灰色狼に向かって歩み始めた。

 ルーネとタックは急ぎ足で船に戻ると、甲板上で各船の船長らとヘンリーが立ち会っていた。

 いずれもマーメリア海を中心とする名うての猛者ばかりで、古参の水夫たちは錚々そうそうたる面子が集まったものだと緊張していた。


「よぉ、ヘンリー。てっきり海の藻屑になっちまったものかと思っていたが、まだ生きていやがったのか?」


「そっちこそこんなところまでご苦労なことだったな。私掠禁止令とやらに追われたか?」


「ああ。おかげで商売上がったりだ。補給もままならねぇ。できればラムを一樽貰えんか?」


「いいともさ。俺も手前らが来るのを待ちわびていた。まあ、こっちも色々あってな」


 かくして街の酒屋という酒屋から酒樽が港に運びだされ、新たな火種が起きないかと不安がる住人たちを他所に岸壁や酒場では海賊たちの大宴会が催された。

 といっても飲めや歌えやと騒いでいるのは手下の水夫たちで、各船の船長たちはヘンリーの案内でかつてロッシュファミリーが営んでいた街一番のホテルに入った。

 一連の事件によって支配人が不在となったホテルは開店休業状態であり、ホテルマンたちも姿を消し、海賊たちの貸切状態となっていた。

 そこで主にパーティなどに使われる宴会場にて酒樽を開け、巨大な円卓に種々の料理を用意して船長たちをひと通りもてなしたヘンリーは、ほろ酔い気分となった船長たちに話を持ちかける。


「帝国が私掠行為を禁じた以上、俺達は単なる賊になっちまったわけだ。軍からは追い回され、世界のどの港を目指しても歓迎されることは無くなった。そこで諸兄らに聞きたいんだが、再び私掠免許を得られる手段があるとすりゃぁ、一つ俺に協力してくれる気は無いか?」


 突拍子もない提案に船長たちは難色を示した。


「おい、おい、レイディンよ。そいつは無理な話だぜ。帝国は正式に私掠禁止令を発布しちまったんだぜ? 第一、お前さんは皇女を手にかけたっていうじゃねえか。帝国が目の敵にしているというのに、そんな絵空事を口にするほど頭がおかしくなったのかい?」


「ああ、手前らが首をかしげるのも無理からぬことだ。だが、俺にはその絵空事を実現する切り札がある」


「というと?」


「こいつだ!」


 と、ヘンリーは予め付き添わせていたルーネの頭をぽんと手のひらで叩いた。


「その小娘が何だってんだ?」


 訝しむ海賊たちの視線がルーネに集中すると、ヘンリーは身を乗り出し、叫ぶ。


「この小娘こそが帝国の跡継ぎ、皇女殿下ことルーネフェルト・ブレトワルダだ!」


 途端、場がしんと静まり返った。海賊の長たちは目を丸くして少女の蒼い瞳を凝視し、次の瞬間には膝や机を叩いて笑い始めた。

 一体全体何の冗談だと。

 皇女がこんな場所で、しかもレイディン一家の見習いをしているものかと。

 彼らは腹筋を痙攣させ、下品な笑いを響かせていたが、それをヘンリーが放った銃声によって黙らせた。


「信じるか信じないかは手前らの勝手だが、こいつは紛れも無く皇女だ。そして俺達が生き残る道はただひとつ! こいつを帝都へ送り届け、玉座に座らせて女帝に就かせ、俺達に私掠免許を与えさせることだ! それ以外に俺達がこの海で生き延びる手段なんてありゃしない! それが嫌だってんなら好きにしやがれ! 俺は御免だね! ただ黙って帝国や他の国に追い回される惨めな生き方なんてな! 俺について来るのか、来ないのか!」


 彼の咆哮は血に飢えた狼たちの顔から笑いを消し去り、彼らの心を大いに揺さぶらせた。


 もしもあの少女が本物の皇女であるならば、あるいはヘンリーの言うような道が開けるかもしれない。

 否、元よりそれ以外に道などありはしないのだ。

 待ち受けるのは果てしない海をたださまよい続け、軍から追い続けられ、どこともしれぬ波間に消えゆくだけの航海だ。

 船長だけでなく、手下も船も、全員揃って魚の餌となる運命に甘んじるのか否か。

 すると一人の船長が手を挙げた。

 口ひげを蓄えた老練な男で、彼はルーネにしわがれた声で話しかける。


「皇女さんよ、もしもレイディンが言うようにあんたが女帝になった日には、わしらに免許を与えて下さるのか? 約束して下さるのか?」


 問われたルーネは一瞬答えに詰まった。

 なにせそんな話は今の今になってヘンリーの口から出てきたデタラメ以外の何物でもなく、そもそも如何にして帝都へ乗り込むのかすら彼女には知らされていないのだから、そのような約束など出来るはずがない。

 だが、ルーネは大きく息を吸い込むと力強く頷いた。


「ええ。帝国皇女、ルーネフェルト・ブレトワルダが約束します。私と、そしてヘンリーに協力して頂ければ、私掠免許を与えましょう」


 その言葉を聞いた老船長は、ラムが注がれたジョッキを高々と掲げた。


「然らば、この老骨をヘンリー・レイディンに預けるとしよう!」


 一人が同調すれば跡はドミノ倒しの如く連鎖していく。

 船長らは次々に杯を掲げてヘンリーの提案を呑み、彼らはここに結成された私掠連合の首領をヘンリーと定め、彼に従うことに同意した。

 ルーネはその姿に高揚せずにいられなかった。

 たとえ海賊であっても、たとえ帝国から追われる荒くれ者だとしても、味方が一人でも増えてくれることがこれほど頼もしいことに彼女は興奮した。

 風が吹き始めた。群狼たちに導かれ、帝都へ向かうための追い風が。

 ルーネにはその風が神の息吹と思えてならなかった。

 

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