群狼 ③
「手前らは一体何をしていやがった!」
宿の一室にヘンリーの怒りに満ちた声が響き渡った。
集められたのは第一発見者のタックと、ルーネの寝室から一階下に屯していた黒豹たちである。
よもや宿が襲撃された際に備えての配置であったが、タックがルーネをトランプに誘おうと部屋を訪ねた時には既に彼女の姿は無く、開け放たれた窓と、テーブルの上に誘拐犯からのものと思しき置き手紙が残されていた。
ルーネはヘンリーにとって仲間である以上に、この難局を生き延びる為の絶対的な切り札だ。
天から地獄に垂らされた一本の糸に等しい。
もしも彼女の身に万が一のことがあれば万事休す。
故に、飲んだくれて彼女へ気が回らなかった部下たちを厳しく叱り飛ばした。
さすがの黒豹も責任を感じているらしく、バツが悪そうに俯き、髪を掻きむしっていた。
「面目ない。オレたちがいながら……」
ヘンリーもそれ以上部下たちを問い詰めることはしなかった。
奪われたからには奪い返さなければ腹の虫が収まらない。
怒りをぶつけるべきなのはあくまでも誘拐した連中なのだから。
「して、置き手紙には何と? 犯人たちの手がかりになりそうなものは?」
あくまでも冷静さを保つウィンドラスが今は何よりも頼もしく、しかしヘンリーは置き手紙の内容を黙読するやいなや、渾身の力をこめて握りつぶした。
「明日の午前0時に波止場の倉庫裏に来い、だとさ。俺一人で」
するとウィンドラスが顔を
「十中八九、罠でしょうね。恐らく相手はロッシュファミリーと敵対する組織かと」
「まあ、そんなところだろうな。まさか皇女だってことが知れたか?」
一番の懸念事項にウィンドラスは首を横にふる。
「いえ。それは考えにくいかと。恐らくは、船長といつも行動していたので狙われた可能性のほうが高いと思われます。恋仲、とまではいわずとも、傍から見れば彼女は船長のお気に入りであるように映ったのでしょう」
「畜生、警戒していたのが裏目に出たってわけか。あいつのことも助けにゃならんが、ロッシュの旦那にも始末をつけて貰わんとな。此処は奴が勧めた宿だ。きっちり落とし前をつけて貰おうじゃねぇか」
既に落ち着きを取り戻したヘンリーは、深夜であることも憚らずに早速ロッシュの事務所に乗り込んでいった。ドアを無遠慮に荒々しく叩き、苛立って出てきたファミリーの下っ端の胸ぐらを掴みあげてロッシュを叩き起こすように命じた。
カットラスの刃をちらつかせるヘンリーの剣幕にすっかり縮み上がった下っ端はすぐにロッシュを起こしに向かう。
その間に、ヘンリーとウィンドラスは事務所の応接間にて息子のロベルトに事情を粗方説明した。
ロベルトはすぐに事態を飲み込んで深く頭を下げた。
「こちらの不手際でした。本当に申し訳ない」
「全くだ。見習いとはいえ俺の仲間に万が一のことがありゃ、只じゃおかんから覚悟しておけ」
まもなく寝巻き姿のロッシュが応接間に現れた。安眠を妨害された不機嫌さもロベルトから事の粗筋を伝え聞いた彼は、酷く神妙な面持ちで深くソファに腰を落とす。
「不味いことになりましたな。だがこんな卑劣な真似をする連中といえば、ニューウェストではバンディットと名乗るギャング集団に違いない。暗黒街での掟も守らず、我々も早急に潰したいと願っていた相手だ」
「ほぅ。で、おたくらは一体どう落とし前をつけてくれるってんだ? まさか敵の名前を出して終わりってわけじゃあるまいな?」
「勿論我々も最大限の協力はさせて貰う。それが協定というものだ。必要な人員や、用意すべきものがあれば何なりと言ってくれ」
するとヘンリーがウィンドラスに目配せをし、咳払いを鳴らしたウィンドラスが感情を押し殺したような淡々とした口調で要求を提示した。
「では、一人こちらに預けて頂きたい人物が」
「というと?」
葉巻を咥えたロッシュが訝しむと、ウィンドラスの手が隣に座るロベルトを指した。
「ご子息ロベルト殿を、暫しレイディン一家にて預からせて頂く」
「そ、それはどういうことだ! 我々を疑っているとでもいうのか!」
流石に一人息子を預かると聞いたロッシュは語気を強めて抗議した。
これはいわば人質。
ルーネの身に何かあれば、ロベルトの命を取ると言っているに等しい。
ファミリーの跡取りを失えば組織は瓦解し、あっという間に他の組織に呑み込まれてしまうだろう。
だがヘンリーは断固たる態度を崩さなかった。
「元はといえば手前らの不始末だろうが。第一、こちとらはおたくらがどうなろうと端から知ったことじゃ無え。そのバンディットとかいう連中は徹底的に潰すが、うちの見習いが死んだときは手前らも潰させて貰う」
不穏な言葉が聞こえたロッシュの護衛たちがドアを開けて応接間に押し込み、ヘンリーとウィンドラスに銃を向ける。
しかし当のロベルトが手下たちと父親を制し、ヘンリーに歩み寄った。
「暫くお世話になります」
「ロベルト! 勝手なことをするな!」
息子を叱る父に、彼はすこしばかり哀しげな顔で答えた。
「僕は父さんを信じています。そして船長のことも信じている。彼の言うとおり、今回のことは僕達の負い目。むしろ、こんな僕がケジメとして認められたことが嬉しいのです」
今まで万事を父の指示に従って生きてきたロベルトが、弱々しくも頑とした気迫を以って我を通したことにロッシュは何も言えなくなった。
ヘンリーはロベルトの他にも、約束の時間と同時にバンディットのアジトを襲撃する手はずをロッシュに約束させ、事務所を後にした。
宿への帰り道のこと。
人質として同行するロベルトがヘンリーに尋ねた。
「もしも、船長が逃れられぬ運命に板挟みになったとしたらどうしますか?」
「あぁ? そんなときゃ決まってるだろうが」
彼は懐から取り出したワインを飲みながら応える。
「挟んでくる板をぶち壊すんだよ。ただ挟まれるだけの人間なんてのは、自分じゃ何も決められん奴だ。いくら悩んだところで前に進めるものかよ。だったら挟んでくる板をぶち壊した方が利口だと思わねえか? お前さんもあれこれ悩む前にまず足を動かしてみろ」
あまりにも簡単に、そして想像していた答えよりも遥かに乱暴な意見ではあったが、ロベルトは不思議と納得してそれ以上何も聞くことは無かった。
さて、当然ながら海賊たちも早速戦闘準備を整えていた。
カットラスを磨き、ピストルに弾を込めていく。
今度ばかりはマフィアを襲撃するときのような遊び半分ではなく、仲間を助け出す為に真剣そのものだった。特に古参の水夫たちは皆ルーネとも仲が良いので殺気立っており、新入りたちもその迫力に気圧されている。
さながら狼の群れの中に混じった家犬の如く。
たまたま同じ宿に宿泊していた旅人も安眠妨害の文句を言ってやろうとしたが、部屋だけでなく廊下でもガラの悪い男たちが剣を磨いているとあれば出しかけた言葉を引っ込めるしかなかった。
ロベルトも幾度と無く鉄火場を目の当たりにしてきたが、ここまでピリピリと殺気立つ空気に触れたのは初めてのこと。
ヘンリーの部屋に監禁され、船長が壁に掛けられた絵に向かってナイフを投げる様を押し黙って見つめている。
投擲されたナイフは全て描かれた男の額に突き刺さっていた。
「なぜ彼女にそこまで? 傍目には、少女とはいえ見習い水夫にしか見えませんが」
ものを聞けるような雰囲気では無かったが、尋ねずにはいられなかったロベルトに鋭い視線を送りつけたヘンリーは、投げかけていたナイフを下ろす。
「……俺には親もいなけりゃ兄弟もいねえ。ただ同じ船に乗る仲間がいるだけだ。その仲間が奪われて、放っておけるとでも思うのかい?」
「いえ。ただ、見習いにしては船長に対してかなり馴れ馴れしいといいましょうか。何か特別な存在に映るものでして」
「他所の事情を詮索するのはいい趣味じゃねえな。まあ、お前さんはそこいらの木っ端悪党どもとは一味違うからな。遅かれ早かれバレちまうことだし、少し種を明かしてやろう。あいつは――」
窓の外に浮かび上がる赤みがかった月が、驚愕に顔を青ざめるロベルトの顔を静かに覗きこんでいた……。
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