暗流 ④

 シルクのカーテンの陰から茶会の様子を見下ろす人影がいた。

 他ならぬ大公ジョルジュ・ブレトワルダであった。

 自分の館に篭もり気味であったダラスが茶会に出ていることにも驚いたが、何よりも彼の心を揺るがせていたのは、姪である皇女の生存の報告である。

 情報の出処は監獄島アビスの所長だ。文面は自らの手柄を臆さずに書き並べており、当然のことであるが側近以外には見せておらず、既に焼き捨てた。


 ダラスの娘から届けられた報告書も既に握りつぶしたが、アビスの兵士たちに知られてしまった以上、彼女が生きているという噂が広がるのは時間の問題だろう。

 ジョルジュは慌てる様子もなく執務室の椅子に腰掛け、皇帝代理として無数の書類にサインを走らせた。

 その中には私掠行為禁止法に関する書類もあり、ジョルジュは無意識に等しいほどの淡白さで承認印を押した。


 その瞬間、帝国に属する全ての私掠船は略奪免状が消滅したことになる。

 単なる海賊と成り果てたことを彼がどれほど理解していたのかは定かではないが、少なくとも彼にとって海賊だろうが私掠船だろうが、取るに足らない木っ端に過ぎなかった。

 既に賽は投げられた。

 兄の形見であり、可愛い姪っ子までも犠牲にしてまで企てた乾坤一擲の大勝負。

 ジョルジュは五十枚ほどの書類にサインを書き終え、深く息を吐きながら瞼を閉じ、暫し我を忘れて思考の海へ沈んでいく。

 それが姪の命をも貶めた後悔からか、この後に待ち受ける苦労の日々への鬱屈かは分からないが、少なくとも彼は既に腹をくくっていた。


 皇帝のみが座すことを許された荘厳な黄金の椅子。

 かつて兄が腰を据え、あらゆる外敵から祖国を守り、そして強く誇りある国を導いた。自身に兄ほどの器があるとは思っていないが、少なくともルーネよりは立派に国を動かすだけの自負がある。彼女はまだ未熟だ。大の男でさえ重圧に日々苦しむというのに、あの少女が耐えられるとはとても思えない。

 その先に待つものは臣下が積もらせた不満による国家の転覆。

 あるいは他国からの侵略。

 いずれにしても彼女では難局を乗り切れないだろうとジョルジュは常々考えており、兄とてそれを理解し、弟である我に帝位を譲るかと思っていた矢先のこと。


 崩御の夜、皇帝の私室に多くの親族や貴族たちが集められ、皇帝は身を深くベッドに沈め、手を施すべき主治医も既に鎮痛な面持ちで微動だにしない。

 娘のルーネは勿論のこと、皇帝に仕えてきた臣下たちの啜り泣く声が聞こえてくる。本音を言えば誰もが大声で嗚咽し、特に親族などは家長の衰え果てた弱々しい胸元に抱きつきたかったが、臣下の手前、あくまで凛と構えねばならなかった。

 やがて帝国の長は天へ旅立ち、今際の際に絞り出された一声がその場にいた全員を驚愕させた。


 帝位を我が子ルーネフェルトに託す――と。


 前代未聞だった。子に託すことが、ではない。

 託された子が女であったことだ。

 ジョルジュは兄の薨去こうきょに嘆く一方で憤慨した。

 何故自分ではないのかと。

 何故年端もいかぬ少女などに国家の命運を託すのかと。


 思えば姪はいつも自由を求め、宮殿ぐらしを嫌い、部屋を抜けだしては衛兵に捕まって戻ってくる。そのような身内がいるだけでもブレトワルダ家の評判を落としかねないというのに、あろうことか、そんな娘が帝位に就くなどと、考えただけでも身震いがする。


 そんな折であった。


 帝位に就くからには他国にも事前に報せねばならぬのではないかという話が聞こえ、そんなものは適当な使節団でも送っておけばいいではないかと吐き捨てかけた言葉をグッと飲み込んだ。人は時に悪魔に囁かれる。それが金や権力に関わる誘惑ならばより強く、より心に訴えかけてくるものだ。

 気づけば、実の姪に諸国を巡る船旅を提案していた。

 彼女の冒険心や外の世界への好奇心をくすぐる言葉を並べ立て、同時に、元々は帝室の人間を護衛する忍びの集団らを手中に収め、彼らを策略によって姪は海賊の手によって闇に葬られた……はずであったというのに。

 瞼を開き、白昼夢の如き黙想から戻ってきたジョルジュは机を飾っていた紅いバラを握りつぶした。

 ジョルジュは中庭にて婦人たちの相手をしているダラスを私室へ呼び出した……。


 その頃ローズは船の中にいた。帝都の港に停泊している無数の軍艦のうちの一隻であり、彼女と士官学校で同窓であった、ローズのような勅任艦長よりも階級が低い海尉艦長の青年に話を持ちかけている最中であった。

 無論、同窓という理由だけで選んだわけではなく、士官学校で共に机を並べ、将来の目標や抱負などを語り合う中で、熱烈たる帝室への忠誠心を垣間見た故であった。

 事実彼の艦長室で従兵も人払いさせて今までの経緯を語ると、彼の麗しくもどこか冷たさを感じる白い顔にみるみる怒りが沸き立つ様が伺えた。

 改めて協力を求めると彼は快諾してくれたが、かといって心から信頼しているわけではない。彼は忠誠心こそ高いものの、貴族ではなく平民の出身なので、どうにも名誉欲などに貪欲な部分が抜け切れないフシがある。


 ともかくも味方を増やさねばならないと躍起になる彼女が次なる船に向かおうとしたときのこと。

 港の物資置き場の陰から数人の男たちが不自然に現れた。

 見た目にはシャツとズボンを身にまとった水夫に思えるが、その四肢から放たれる殺気は隠そうにも隠しきれるものではない。

 無意識に彼女の意識が腰のサーベルに集中し、直立しているようですぐさま抜剣出来る大勢で、四方を取り囲む男たちと対峙した。


「下がれ、下郎。私をドゥムノニア家の士爵と知っての無礼なのだろうな?」


 女性にしてはドスの利いた声色で威圧するも、男たちはニタニタと笑いながら腰に隠していたナイフを取り出した。

 次の瞬間、男たちは一斉にローズに向かってナイフをグッと引き込んだ状態で突進し、動きを見るやいなやサーベルを抜き払って正面の男を牽制し、その一瞬の間に体を器用に転がして敵の初撃を躱した。

 すぐに立ち上がり、体勢を整えようとするが男たちは有無をいわさぬ勢いで追撃にかかり、次々と繰り出されるナイフの刺突に彼女はサーベルでは対処しきれず、思い切って相手の懐に飛び込む。

 ほぼ隙間を開けることなくつきつけられた銃口が火を吹いた。

 銃ほど人を簡単に殺すことが出来る道具もないが、問題は単発式であり、しかも装填するには銃口から弾と火薬を押し込まなければならないため、戦闘ではたった一発の弾丸が勝敗を決する。

 いわば切り札だが、ローズはとっておきの一発を惜しげも無く消費し、血しぶきを上げて斃れる男を尻目に、硝煙の匂いを纏ったまま一気に港を駆け、最寄りの軍艦に駆け込んだ。


「私は勅任艦長のローズ・ドゥムノニアだ! 援護を願う!」


 しかし甲板上に当直の士官も待機中の水兵の姿もなく、代わりに、海軍省にいるはずの艦隊司令が彼女を待ち構えていた。何故彼がここにいるのか、背後から迫ってくる刺客に気が気でない彼女がともかく司令に近づくと、彼は彼女に銃口を突きつけた。


「なっ……」


 言葉を失ったローズに、司令は冷淡な口調で言葉を紡ぐ。


「ローズ・ドゥムノニア。皇女殿下殺害犯であるヘンリー・レイディン脱獄に加担した罪により、現時刻を以って全ての権限を剥奪する。同時に、国家反逆罪により君を逮捕する!」

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