暗流 ③

 出立の朝。

 大勢の使用人や領民たちに見送られ、馬車に乗り込んだ男爵父娘は一路帝都を目指し、数名の護衛を引き連れて野を進んだ。ローズとしては直接鞍に跨るほうが好きなのだが、父は女子がはしたないことをするなと言って五月蝿いので、渋々馬車の中で揺られている。


 車内は当然ながら緊張した空気に満ちていた。

 帝都まで馬を飛ばして半日ほど。

 もしも動きを知られていれば、道中で襲撃される可能性も十分に考えられる。

 護衛の騎兵たちはドゥムノニア家に仕えて久しい古参の猛者ばかりだ。

 裏切ることはまずないが、数で押し寄せられれば一巻の終わりだろう。

 故に普段は剣術を嗜まないダラスもサーベルを杖のように携えており、ローズも懐のピストルに弾を装填済みだった。


 いざとなれば馬車から飛び出して応戦するだけの気構えをローズは見せ、そんな覚悟も虚しいままに、馬車は何事もなく草原を進んでいく。

 同じ揺れでも馬車と船では大違い。

 ローズもまた海に魅入られた者の一人であり、陸にいればいるほどに体から潮気が抜けていく感覚になっていた。

 そんな娘を見守る父はといえば、いくら湯浴みをさせても鼻につく海の香りがどうにも落ち着かなかった。

 このまま宮殿に連れて行って、貴族や婦人たちから笑われるのが不憫に思えてならなかったが、親の心子知らずといった具合にローズは素知らぬ顔で窓の外に広がる景色を睨み、やがて馬車は帝都の街並みを一望する丘の上に達した。

 宮殿を始めとして都の至る所にバラの王冠を被った獅子の旗が翻り、馬車専用の広々とした道を通り抜けていく途上でローズは軍人としての責務を果たすために海軍司令部の前で馬車を降りた。


「くれぐれも気をつけるのだぞ」


「父上も、どうかご無事で」


 ダラスと一旦分かれたローズは足早に海軍省の門をくぐって荘厳な建物の中に入り、一先ず直属の上司にあたる艦隊司令への面会を願い出た。

 ローズが生死不明である報せは当然ながら海軍省にも届いており、直ちに司令室に通された彼女は扉をノックして入室するなり、両手を広げて出迎えた司令を前にして片膝を床につけた。


「不肖、ローズ・ドゥムノニア。大命を受けながらかような失態をし、おめおめと戻ってきたことをお許し願いたい。本来ならば自ら海中に没すべきところを、恥を忍び、軍人として使命を全うするために罷り越しました」


「顔を上げ給え。仮にも騎士たる者が易易と頭を垂れてはならぬ。まずは報告を聞こう。君への沙汰はその後に検討せねばならん」


「ははっ」


 ローズは屋敷にてしたためた報告書を提出した。

 といっても内容は全くのデタラメで、要約すると、監獄島を脱獄、破壊したヘンリー・レイディンの捕虜となった後に隙をみて脱走。

 海賊と交戦しつつボートを奪取して命からがら逃れたというもので、その後のヘンリーについては所在不明なれども根城としていたリンジー島近辺に向けて航行していたという、これまたデタラメな推論を以って締めくくられていた。

 我ながら報告書の出来栄えとしては三流以下であり、後にも先にも軍に提出する文章に偽りの文言を書くのはこれきりだった。

 腰を深く椅子に埋めた司令は報告書を唸りながら黙読し、よもや見破られたかと心中穏やかならざるローズに鋭い視線を向ける。


「リンジー島周辺海域にいまだ潜伏していると、君は判断したのだね?」


「はっ。彼らに寄るべき港は既になく、グレイウルフ号にも少なからず損傷を与えました。船員の休息や船の修理には、あの海域の島影にて行うのが常道です。私ならばそうします」


 半分は本音だった。

 ローズもまさか帝国領内のニューウエストに入港するとは思いもよらず、自身がヘンリーの立場であれば、浅瀬が多く軍艦が近づき辛いサンゴ礁海域にて力を回復する。

 限りなく真実に近い嘘ほど人を騙せるもので、司令は彼女の言葉を受けて無言で頷く。


「ならば直ちに追手を差し向けねばなるまい。君は暫く謹慎していなさい。沙汰は後ほど下す」


「……了解致しました」


 本来ならば謹慎など恥辱以外の何物でもなかったが、これである程度は帝都の中で動くことも出来るだろう。司令の態度から察するに、やはり皇女の生存は一部の者にしか伝えられていないらしい。あるいは司令がその一部の人間であったとしても、海上で交わしたヘンリーとの約束を知る由など無いはずだ。

 司令部を後にする際、彼女は知己の軍人にそれとなく同期の調子や現在の配属等を尋ね、幸いなことに殆どが帝都にて待機していることを知ると、早速行動に移ることとした。


 その頃、ダラスを乗せた馬車は宮殿の壮麗な広場に挟まれた正門に達し、整った身なりで馬車から降りた彼は、何食わぬ顔で衛兵らの礼を受けた。黄金と琥珀に飾られたエントランスにて他の貴族たちと挨拶を交わし、これから宮殿の中庭にて茶会が催されるので如何かと誘われた彼はすぐに応じた。

 珍しくダラスが茶会に顔を出したので婦人たちもしきりに歩み寄り、帝国議会の議員たる貴族の序列の中において最も下位である男爵にしては破格の待遇といえた。


 人工の小川が流れ、花々が咲き乱れる庭園の中に並べられた大理石の円卓にて異国から輸入された極上の茶葉と菓子を味わいながら、耳に心地よい宮廷楽士たちの演奏を他所に、貴族同士の他愛無い雑談に興じていく。

 彼のように皇祖と共に国の礎を築いた家柄もあれば、元々は事業が成功して富豪となり、それなりの気持ちを捧げた者も貴族に列せられていた。尤もダラスのような由緒ある家柄のものからすれば単なる成金にすぎないので軽蔑の対象ではあったが、この際なので、孤立を誤魔化すようにふんぞり返っている彼らにもダラスはしきりに声をかけて回った。

 どいつもこいつも醜く肥え太り、貴族とは何事においてもスマートであるべきと考えるダラスからすれば同じ空気を吸いたいとも思わなかった。この辺りが娘にしっかりと遺伝されているが、兎も角も優雅な微笑みを保って言葉を交える。


「ごきげんよう。景気は如何ですかな?」


「これはこれはドゥムノニア卿。いやはや、ここのところ手持ちの銀山の採掘量が云々」


 と、世間話を交えつつ次期皇帝の即位について話題を誘導した。


「ときに大公殿下のご機嫌は如何に? 帝位について何かご進展は?」


「それはもちろん、大公殿下に即位して頂く他はありますまい。殿下も先日までは辞退を口にされておいでであったが、最近では満更でもない様子で、皆も安堵し、こうして茶会を催している次第」


「ふむ……よからぬことが起きねば良いのですが」


「といいますと?」


「いや、どうにも私は心配性が抜け切れないようで。では失礼」


 やはり成金に聞いても大した情報は持ちあわせていないようだ。己の利益を貪ることにしか興味が無い連中なのでもしやと思ったが、あそこまで素っ頓狂な顔をされては疑う余地すらないではないか。こういう場合は噂好きな婦人たちの輪に混じった方が賢明だと判断し、派手にドレスで着飾った公爵夫人のグループへ近づいた。


「本日も麗しきご婦人方に於かれてはご機嫌如何ですかな?」


「まあ、男爵閣下にお言葉を頂けるなんて光栄ですわ。主人がいつもドゥムノニア卿のことを気にかけておりまして、わたくしも心配しておりましたのよ?」


「お気遣い痛み入ります。ささ、お茶をご一緒に願えますかな?」


「もちろんですわ」


 婦人たちと席についた彼は聞き上手な耳を以って彼女たちの口から泉の溢れ出る話題を一つ一つ聞き入り、あるいは相槌を打ち、それはやがて宮廷内におけるちょっとした悪口へと繋がっていった。

 使用人への悪態から始まり、この場にいない貴族夫人の横柄な態度を論い、徐々に帝国中枢のことについて触れかかったが、流石にしゃべり上手な彼女たちは超えてはならない一線は心得ているために口を噤んだ。

 

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